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岬①足摺岬 [a landscape]

足摺岬.jpg

♪ つらい別れも 男であれば
  涙見せずに 行く俺だ
  土佐の高知の あの娘の声が
  呼んで 呼んでいるよな 足摺岬
(「足摺岬」詞:高橋掬太郎、曲:吉田矢健治、歌:春日八郎、昭和34年)

足摺岬は歌の歌詞にもあるように、四国は高知県土佐清水市にある。
足摺半島の先端の岬は100mに迫ろうかという断崖で、その上から見渡す太平洋の海と空のパノラマは圧倒的。足摺宇和海国立公園のメッカでもある。

この足摺岬もともとは足摺崎といっていたが、昭和40年「足摺岬」に“改名”された。
その理由は後述するが、「岬」と「崎」はどう違うのか。「碕」や「埼」、あるいは「三崎」などもある。
関東でいうと、伊豆半島の先端に石廊崎があり、三浦半島には三浦三崎、小田原と熱海の間には真鶴岬があり、千葉県には犬吠埼がある。
これらは「みさき」「さき」あるいは「ざき」と読み方は異なるが意味は同じ。
「さき」は「先」で細長い地形の先端の名称。それに美称の接頭語がついたものが「みさき」。

ちなみに「犬吠埼」は地図によって「犬吠崎」、「犬吠岬」と書かれていることがある。この場合の「岬」も「さき」あるいは「ざき」と読む。四国の「室戸岬」(むろとざき。むろとみさきということも)なども同様。
そして岬には欠かせない灯台、これらは正式には「埼」で統一されている。それは、灯台を管理している海上保安庁が「みさき」を「埼」としているから。したがって同庁がつくる海図もすべて「××埼」あるいは「××埼灯台」と表記されている。
しかし実際のガイドブックや地図では「室戸埼灯台」とは書かれていない。やっぱり「室戸岬灯台」なのである。
このへんは慣例に従っているだけで、整理しようという動きはない。整理されて「真鶴埼」や「室戸埼」というのも……。一般的に観光地では「埼」や「崎」より「岬」のほうがイメージが良いらしい。

「足摺岬」が台風の上陸地点としてではなく、その知名度が全国的になったのは昭和27年に刊行された田宮虎彦の小説「足摺岬」によってだろう。

小説「足摺岬」は昭和初期を時代背景に、貧困、病弱、父親との葛藤に生きる力を失った若者の自殺行の話である。
若者は岬に近い商人宿に泊まりその機会を待つ。そこで学問では教えてくれなかった様々な人たちと出会う。宿屋の内儀とその娘、薬売り、元“賊軍”の剣士だった遍路。
若者に取り憑いた死霊は、そういう人々と交わるうちにいつしか消えていく。そして彼は東京へ帰っていく。その3年後、逗留中に結ばれた宿屋の娘を迎えに再び足摺岬を訪れる。
小説は、さらに昭和の大戦争が終わり、妻を亡くした主人公が三度足摺岬を訪ねるところで終わる。とても暗い話。

発表後、小説「足摺岬」は評判となり、昭和29年には木村功主演で映画化された(原作とは内容がいささか異なる)。
その5年後に上にのせた春日八郎「足摺岬」がヒットする。こちらは田宮虎彦の小説とはまったく無関係。
この2つの“ヒット”により「足摺崎」は「足摺岬」と改名された。もちろん観光客誘致のため。

ところが、現在でもそうだが、観光地「足摺岬」の宣伝文句に田宮虎彦の小説はあまり出てこない。どうやら“自殺の名所”というのがひっかかるようだ。実際足摺岬に限らず、こうした断崖を“死地”に選ぶ人は未だに後を絶たないとか。

春日八郎の「足摺岬」は、捕鯨船に乗る漁師が恋人との別れをうたったものだが、実はこの「足摺岬」という歌がほかにも2つある。

鳥羽一郎の「足摺岬」は、
♪足摺の荒ぶる岬に立てば 小(こま)い世間は吹っ飛ぶぞ
という延縄船で世界を巡る漁師の豪快な歌。作詞は漁師ものお得意の星野哲郎。作曲は「浪花恋しぐれ」で歌手としてもしられる岡千秋

足摺岬は初めてアメリカの地を踏んだ日本人・ジョン万次郎の出身地でもあり、そのことも歌の中に出てくる。
村田英雄「あゝ万次郎」があり、
♪怒濤逆巻く足摺岬 海で育ったいごっそう
とうたっている。もちろん足摺岬には万次郎の銅像や資料館がある。

もうひとつ、テレサ・テンの「足摺岬」は、
♪ここまで ここまで やっと来たのよ あゝ…… 足摺岬
恋人と別れた女の感傷旅行。小説の若者のように死に場所を求めてきたわけではなく、「忘れられない 忘れてみせる」と未練を断ち切るために岬に立ったというわけ。
作曲は元ブルーコメッツ井上忠夫、作詞は「針葉樹」(野口五郎)麻生香太郎

ところで「あしずり」とは妙な地名で、おそらく謂われがあるのだろうと思って調べたら、なんでも、弘法大師が岬にある四国八十八カ所巡りの三十八番札所「金剛福寺」を訪れたとき、疲れていて足を引きずっていたというまことしやかな話が残っていた。
またこの「足摺」地名辞典によると元は「蹉跎」と書いて「あしずり」と読ませた(そのまま「さだ」とも)とか。「蹉」も「跎」もつまずくという意味で、弘法大師は足を引きずっていたのではなく、つまずいてコケたのでは……。それはともかく。
「さだ」とは「岬」と同じ「先端が突き出た地形」という意味で、愛媛県の「佐田岬」や鹿児島県の「佐多岬」の「さた」も同じ意味だといわれる。

この足摺岬を含め、わたしも何カ所かの岬へ行ったことがあるが、そこは「さいはての地」を思わせる一種独特のロケーションである。
その岬に住む人、そこを訪ねる人、ドラマはさまざまだが、これからしばらくそんな岬めぐりをしてみたい。


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