丘②丘を越えて [a landscape]
♪ 丘を越えて行こうよ
真澄の空は朗らかに晴れて
たのしいこころ
鳴るは胸の血潮よ
讃えよわが青春(はる)を
いざゆけ遙か希望の丘を越えて
(「丘を越えて」詞:島田芳文、曲:古賀政男、歌:藤山一郎、昭和6年)
万葉集でもうたわれているという「おか」だが、流行歌の中で比較的古いと思われるのが上にのせた「丘を越えて」。
これは同じ昭和6年公開の映画「人生の処女航海」の主題歌で、明るい曲調と青春を謳歌する詞で大ヒットとなった。
「丘を越えて」は歌詞からもわかるとおり単純な青春賛歌で、ここでうたわれている「丘」は、歌詞の中にもあるとおり「希望」の象徴。その希望を越えていこう、つまりこの手に掴もう、克服しよう、叶えさせようということ。
ではなぜ、越えるべきものが「山」ではなく「丘」なのか。
もし超えるのが「山」だとすると、これはかなりハードな努力が強いられる。もしかすると一生を懸ける行為になるかもしれない(大袈裟)。流行歌は哲学書でも啓蒙書でもない。いわば一時の清涼剤(ときにはアルコールだったり)でいいのだ。
「丘」は「山」に比べるとはるかに登りやすく、また越えやすい。山の前では足が竦んでしまう人間でも、丘なら登れそうな気がする。そんなライト感覚は“庶民の歌”流行歌に欠かせない。
この「丘を越えて」のように、「丘」が希望、目標、夢、新世界といった生きがい(とりわけ若者の)の象徴としてつかわれる歌は少なくない。
昭和10年代の中盤、束の間輝いて20歳という若さで死んでしまった北廉太郎という歌手がいた。山形は鶴岡の出身で昭和11年にデビュー、わずか5年間の歌手生活ののち15年に白血病で短い生涯に幕を下ろしてしまった。
その間、30曲あまりをレコーディングしたといわれるが、そのなかに「青春の丘」(昭和14年)がある。作詞は「丘を越えて」と同じ島田芳文。
歌詞の中に出てくる丘は、憧憬(あこがれ)であり、麗わしであり、懐しである。その丘を、
♪朗らかに行こうよ 丘を越えて……
とうたっている。タイトルからもわかるとおりまさに青春賛歌。
そのほかにも北廉太郎には丘を越える歌がいくつかあった。
黒龍凍れば あの丘越えて 「黒竜千里」
丘越えて 馬車は行くよ 「追憶の馬車」
丘はさらばと 越えていけ 「若き日の歌」
彼自身は道半ばにして病魔にたおれてしまったが、まさに同時代の若者たちに「希望に向かって行こうよ」呼びかける青春歌手だったにちがいない。
昭和10年代半ばといえば、まさに軍靴の響きに呼応するように軍歌が浸透していった時代。そんな中でも前向きに丘を越えていこうとする歌は少なくなかった。たとえば、
行こよ希望の 丘越えて 「空は青いぞ」藤山一郎
急げ幌馬車 丘越えて 「国を離れて」東海林太郎
丘を越えて遙々 口笛もたからかに 「青い空僕の空」ディック・ミネ
急げ幌馬車 あの丘越えりゃ 「国境の乗合馬車」塩まさる
馬車は行く行く 丘越え野越え 「輝く希望」霧島昇、菊池章子
越えてゆく旅の丘 緑の若草 「素晴らしき首途」霧島昇
しかし、戦雲が重たくたちこめるようになると、
あの丘この丘 越えても遠いよ 「あの花この花」二葉あき子
と、もはや青春を謳歌する時代ではなくなってくる。そして、
緑の丘を 血に染めて 「泪で立てし日の丸よ」筑波高
とあの抒情的な丘すら命のやりとりをする場所になってしまうのである。
丘を越えてもその向こうに、幸せや希望など見えない。となれば誰も丘の歌などうたわなくなる。昭和18年から20年にかけてはまさにそんな時代だったのである。
そして戦後、待ちわびたように流行歌の中で丘は復活する。そしてその丘を越えていこうとする人たちがいた。それは、戦前の藤山一郎や北廉太郎が目指した丘とはどう違っていたのか。
♪山の牧場の 夕暮れに 雁が飛んでる ただ一羽 「あの丘越えて」美空ひばり
昭和26年の映画「あの丘越えて」の主題歌。映画は幼い頃牧場へ里子に出された少女が都会に戻り、家庭の事情に翻弄されながらも幸せをつかんでいくというストーリー。その少女を美空ひばりが演じ、仄かな恋心を寄せる家庭教師は鶴田浩二。雑誌に連載された菊田一夫の同名小説が原作。
歌詞は、「私はひとり ただひとり」と孤独なヒロインがうたわれていて、底抜けに明るかった藤山一郎の「丘を越えて」とはいささか異なっている。
歌詞の中には「丘」も「越える」も出てこない。曲、歌詞ともに「丘を越えて」よりも暗い。そこにある「丘」は希望や夢というよりは、「試練」であり、辛いけれどもそれを乗り越えていこうという決意がうたわれている。
それもつきつめれば新世界へ足を踏み入れることに変わりはないのだが、戦争を“経験”した若者がより現実的になり、自立をめざしているようにも思える。
流行歌にリアリズムが必要か否かという問題はいささか難しい。
ただ時代の成熟(?)とともに流行歌がリアルになっていくのは、その後の和製フォークソングやニューミュージックをみればわかる。そして現代も。それは成熟した(?)社会やリスナーが要求しているからだろう。
ということは、あの戦争という地獄を経験したことは、時代を成熟させることに少なからず貢献したということになるのだが。
今回の「丘」
「丘を越えて」は、老人ホームでよく歌います。
皆、よく覚えていて盛り上がる曲です。
他に、「鐘の鳴る丘」「みかんの花咲く丘」なども
みなさんに好まれています。
丘をこえゆこうよ、「ピクニック」
今日も暮れゆく、「異国の丘」も思いつきました。
多分ご存じないと思いますが、
通っていた学校で「丘はたのし」と言う歌を、毎日のように歌っていたので、丘というと、個人的にはこの歌が一番にでてきました。
丘といったら次は何かな?
それも想像して楽しみに!
by toty (2008-09-14 09:45)
totyさん、いつも見ていただいてありがとうございます。
丘の3本目はtotyさんの頭に浮かんだ歌になってしまいました。
同年代? ということで思いつく歌は同じですね。
「丘はたのし」は聞いたことがありませんが、地域限定の歌ですか?流行歌ではないですよね。
by MOMO (2008-09-14 21:09)