秋歌④赤とんぼ [noisy life]
♪ 家のない子の する恋は
たとえば背戸の 赤とんぼ
ねぐらさがせば 陽が沈む
泣きたくないか 日暮れ径 日暮れ径
(「浜昼顔」詞:寺山修司、曲:古賀政男、歌:五木ひろし、昭和49年)
まあ、東京でトンボをみなくなってしまいました。
わたしの子供の頃は、ギンヤンマはザラでオニヤンマだって見ることはめずらしくなかった。ムギワラだのシオカラなんていうのは、捕るに値しないザコ。
それが大人になってみたらごらんの通り。ギンヤンマ、オニヤンマどころか、ザコまでどっかへ行っちゃった。イトトンボすら見ません。池や沼を埋め立て、川に殺虫剤まけば、そりゃいなくなりまするって。10数年昔、日光の林の中でオニヤンマと“再会”しました。あのときの感動は忘れらません。
そして、あの頃のこのシーズン。青空一杯を埋め尽くした赤とんぼの群れ。あの光景はいまだ脳みそに刻み込まれておりまする。
あゝあの赤とんぼたちよ、何処へ……。たまに見ますね一匹狼の赤とんぼや“駆け落ち風情”のアヴェック。
とんぼが消えれば歌だって消えちゃう。
♪ 夕やけ小やけの 赤とんぼ っていう“日本人の心の歌”だってそのうち消滅しちゃうかも。
♪ 赤とんぼの歌を うたった空は…… 「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦、北山修)
と歌われてから30数年。東京の空は変わってしまいました。日本のどこかではまだあの赤とんぼの群れなす飛行を見ることができるのでしょうか。
そもそも日本には200種類のトンボが。赤とんぼだけでも、アキアカネ、ミヤマアカネ、ナツアカネ、ヒメアカネなど20種類あまりだとか。
トンボの寿命はほぼ1年。春先、田んぼや川の中の卵から幼虫がかえります。これがヤゴ。そして梅雨が終わる頃、羽化がはじまりトンボはその勇姿ををみせるのです。
昔からの疑問は、ああして群れなす赤トンボたちはいったい何処へ行くのだろう。鳥のように塒(ねぐら)があって、“トンボ返り”というぐらいだから、夜はそこへ戻るのだろうかなどと他愛もないことを。
一般的にトンボは羽化すると、生まれ故郷の水辺を離れます。少し離れた林や茂みの中でえさを獲り、秋の産卵の時期に、再び“故郷”へ帰ってくるのです。
ところが、赤とんぼ(アキアカネ)は違います。彼らは夏の間、何十キロ、何百キロ離れた高原や山をめざして旅に出るのです。夏の嵐に見舞われることもあります。そんなときは草むらでじっ耐え、雨風をやり過ごすのです。
わたしが子供のころ東京の空で見た赤とんぼの大群は西へ向かっていきました。きっと丹沢や秩父の山々を目指していたのでしょう。
そして秋になると、ほかのトンボと同様、懐かしい水辺に帰ってくるのです。そしてそこでメスと結ばれ、水面に卵が落ちるのを見届けたあと、木枯らしが吹く朝、命も尽きるのです。
太古の昔から(いたのか?)地球の滅びる日まで、そうした“トンボの一生”はえんえんと繰り返されていくのです。そう考えると、あの赤とんぼの大飛行、山々への旅は、とても感動的なものに思えてきます。
上にのせた五木ひろしの「浜昼顔」。古賀政男と寺山修司の合作がおもしろい。
じつはこの「浜昼顔」、“リサイクル・ソング”なのです。
曲は一貫して同じ古賀メロディーなのですが、作詞者は3度にわたって変わっています。
いちばんはじめは昭和11年、詩人でもあり「青い背広で」の作詞でも知られる佐藤惣之助の作詞で、タイトルは「さらば青春」。藤山一郎が歌っています。
2番目は戦後の昭和30年「都に花の散る夜は」というタイトルで、作詞は「高校三年生」の丘灯至夫、歌は青木光一。大正琴をフィーチャーし、都会へ出てきた青年の苦悩を歌っている。
そして3番目が、寺山修司作詞、五木ひろし歌唱で。
曲はそのままで3度もリメイクされる歌というのもめずらしい。
「浜昼顔」は“黄金コンビ”?の効力があってか、そこそこヒットした。
このようにリサイクルソングでヒットした例としては、昭和46年のレコード大賞に輝いた「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)がしられている。この歌その少し前にズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」としてレコード化されている。作詞作曲はともに阿久悠、筒美京平は変わらないのですが。
ほかでは昭和34年に「手編みの靴下」(詞:岩谷時子、曲:宮川泰、歌:ザ・ピーナッツ)で出た歌が7年後に園まりの「逢いたくて逢いたくて」としてリメイク。大ヒットしました。作詞、岩谷時子は同じですが、詞の内容は時代を反映してか大分変えてあります。前者が彼のために靴下を編んでいるのだが、想いが伝わるかどうかが気になるという女の子が主人公。それが後者では、♪口づけをしてほしかった とか ♪耳元で大好きと… と、かなり積極的な女の子に変身している。
そのほか、歌手と歌詞が変えられたものでは、坂本九の「明日があるさ」(ウルフルズ)、南佳孝の「モンロー・ウォーク」(郷ひろみ「セクシー・ユー」)があります。
また詞と曲はそのままでタイトルを変えたものでは、
清原タケシの「夜空の星」がブロード・サイド・フォーの「星に祈りを」
ザ・ピーナッツの「東京たそがれ」が同じピーナッツで「ウナ・セラ・ディ東京」に変わり、いずれも前曲以上にヒット。
こうしてみると流行歌の売れる要素にタイミングがいかに大事かというのがわかります。ヒットに結びつかない名曲でも、タイミングが合えば大ヒットなんてことも。
で、話は「浜昼顔」に。
寺山はあるところで唱歌「赤とんぼ」について、この歌が聞こえると不吉なことが起きる。と書いています。小学生の頃、音楽の時間に「赤とんぼ」を歌っていたとき、小遣いさん(今は用務員さんっていうのでしょうか)が父親の死を知らせに来たことが、そう考える根っこにあるというのです。
しかし、これは寺山一流の諧謔で、父親の訃報も演劇的な匂いさえします。たとえ実際にそういうことがあったとしても、そのことも含めて、寺山は赤とんぼと「赤とんぼ」の歌を哀しみ愛おしんでいたのではないでしょうか。
でなければ、自分の描く世界になんで赤とんぼを飛ばしましょうか。
☆ 「浜昼顔」のこの話は有名なのですが,当時は作詞家まで気をつけてみていなかった。発見です(^^)。南佳孝では他に「スタンダード・ナンバー」(本人⇔薬師丸ひろ子「メインテーマ」)があります。
by deacon_blue (2007-10-21 21:44)
deacon_blueさんnice!とコメントありがとうございます。
作詞は松本隆でしたっけ。
詞は「メイン・テーマ」のほうが好きですね。
by MOMO (2007-10-24 22:32)