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【芥箱】 [obsolete]

 

『男の手紙や写真を焼いて行くうちに、読んでみたくなったりした。窓を明けて、煙と匂いが出て行くのを待つ時間が、むやみと長く感じられた。火鉢にいっぱいになってしまった黒い灰を塵取(ちりとり)に取って、表の芥箱(ごみばこ)に捨ててくるまでは、気が落ちつかなかった。』
(「花影」大岡昇平、昭和36年)

「芥箱」gomibakoは昭和30年代後半まで、どこの家庭にもあった“家具”だった。
現在ゴミの収集といえば、ほとんどは半透明のポリ袋に入れて決められた集積所へ出す。この方式がはじまったのは平成になってから。ゴミ袋もはじめは、丈夫な紙製だったり、黒いビニール袋だったり、いろいろ紆余曲折があった。結局、中味が有る程度識別(危険物がないかいどうか、あるいは決められたゴミかどうか)できる現在のものになった。決まるまでには、ゴミ袋に氏名を明記するとか、消却に負担の少ない炭酸カルシウム入りの袋(効果を疑問視する意見の方が多い)にするなど少なからず迷走があった。
そんな、ゴミの分別あるいはプラスチック容器などほとんど無かった時代、ゴミの収集は各家庭の家の前や横に置かれた「芥箱」を介して行われた。「芥箱」には黒く塗られた木製のものと、コンクリート製のものがあった。大きさは高さ横幅ともに1メートル足らずで、小さな子供だったら隠れんぼに使えるほどのもの。木製のものは颱風で道路が冠水すると流されることがあったので、30年代後半はコンクリート製のものに代わっていった気がする。
その「芥箱」へ紙くずでも生ゴミでも何でも入れてしまう。したがって収集車(大八車だった)が来た後はその汚れと臭気を水で洗い流さなければならなかった。
各家庭から「芥箱」が撤去され始めたのは昭和39年の東京オリンピックが開催される数年前から。外国から“お客さん”が来るから掃除しよう、というわけだった。
「芥箱」に代わって登場したのがポリバケツ。いってみれば、庶民は家の外にあった「芥箱」を屋内あるいは敷地内へ引き取ったことになる。ポリバケツはずいぶん長く使われた記憶があるが、やがて現在のようなゴミ袋に代わってゆく。

「武蔵野夫人」のヒロイン・道子も睡眠薬で自殺するが、この「花影」のヒロイン・葉子も同様である。
「花影」では最終章すべてが、葉子の自殺に至るまでの意識の流れと行動で綴られている。彼女の自殺までの道筋は冷静かつ計画的である。日曜日に自殺しようと決め、その数日前から準備をはじめる。3日前には遺書を書き終わり、部屋の整頓、食物も「大根の尻っぽひとつ残らないように」考えて食事の用意をする。上の“引用”もその準備のひとつ。もちろん前日の土曜日まで店には出ている。そしてその夜、店がはねたあと同僚とレストランに行き、ハヤシライスと大きなビフテキをたいらげてしまう。
そして日曜日の午後、風呂屋へ行き、からだの隅々まで洗い、新しい下着をつける。夜、最後の煙草を1本のみ、そのあと睡眠薬を少し飲んで眠る。目覚めると月曜の朝。もう一度化粧をして、腿と足首を腰紐で縛り、今度はすべての睡眠薬を飲み干す。
もちろん、そこに“幸福感”はないが、悲壮感や“狂気”(唯一、大食になることが狂気といえなくもないが)もない。“こと”はまるで日常の決まり事のように淡々とすすめられていく。そのことが反対に、読み手のヒロインに対するシンパシーを強め、それまでの葉子の人生と重なり合って哀しみが伝わってくるのである。


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