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【トリスバー】 [obsolete]

 

『水割りウィスキー二杯で、千円足らずの勘定を、お釣りも細かく持って帰る客を、トンボで大事にしてもらわねばならぬ。トリスバーよりいくらか高いぐらいの勘定で、銀座の女給の手を握り、ドライやカマトトのお喋りを聞かないと、家へ帰る気にならない年齢と懐ろ加減に達した男たちをつかまえるのを、方針とするはずなのである。……』
(「花影」大岡昇平、昭和36年)

「トリスバー」とは、その名からも想像されるようにサントリーのウイスキーを飲ますバーのこと。第一号店は昭和25年池袋にオープンした。断然の人気はハイボールで、それしか飲ませない店もあったとか。やがてチェーン店化していき、最盛期の昭和30年代には全国で3万5000店あまりになったそうだ。昭和32年の井伏鱒二「駅前旅館」の中にも出てくる。
カウンターだけで7、8人入れば満席という小さな店が多く、もちろんホステスさんなどいない色気抜きの社交場。どの店も「トリスバー」の看板を掲げたのだから、サントリーとしても大変な宣伝効果があったはず。
トリスウイスキーといえば、思い浮かぶのが“アンクル・トリス”。サントリーの宣伝課にいたイラストレーター・柳原良平が作ったキャラクター。私ごとだが、中学生時代んなぜか“アンクル・トリス”と呼ばれていた。柳原良平が同僚の開高健と一緒に考えた“アンクル・トリス”の性格は〈酒好き、小心者、少しエッチ、正義感が強い、喜怒哀楽を表わさない、神経は細やか…〉などと書かれている。……うーん。わたしと似てるようでもあり、似て無くもあり……。

「花影」kaeiは、昭和30年代半ばに大岡昇平によって書かれたいわゆる“女給もの”。
主人公の葉子はもうすぐ四十路に手が届こうという銀座のバーのホステス。最近囲われていた男と別れて、また店に出ることになったのだ。オーナーは葉子のかつての後輩。マダム待遇とはいえ、30前のちゃんとしたマダムもいる。17のときからこの世界に入り、古くからの馴染みの客もいる葉子だが、いつまでも若いホステスたちと一緒に働いているわけにはいかない。求婚する男もいる。若いテレビのプロデューサーとも浮気する。そして、葉子に旅館を任せたいと思う古い馴染みの客も現れる。しかし、どれもこれも葉子の心を決定的に奪うまでには至らない。葉子が最も信頼しているのは、ひとまわりも上の美術品の鑑定家の高島。葉子がこの世界に入ったときからの客で、いわゆる金持ちのボンボン。ひと頃は仕事も順調だったが、時代が変わり、すっかり零落してしまっている。
ホステスに近づく男はいずれも躰が目当て。唯一の例外が高島なのだ。高島は葉子の手すら握ったことがない。葉子が高島を信頼しているのは、自分と接する態度が、堅気の女性と接するときと代わらないから、そして、どんなときでも相談にのってくれるからだった。高島はいわゆるダメ人間で、臆面もなく葉子に小銭を借りに来る。そんなとき、嫌な顔をするどころか、ふたたびホステスとして働いて、高島の面倒をみてもいい、ぐらいに考えているのである。葉子は生まれも育ちも複雑で、父親の顔は知らない。高島に父親のイメージを見ていたことは十分想像できる。

しかし、その高島も葉子の命を長らえさせる生きがいにはならなかった。葉子にはなにがなんでも、何処かへ収まろうという“生存本能”が欠けていた。それでも、40歳になろというホステスが、そのままでいられるはずはない。どこか別の場所へいかなくてはならなかった。それが死の世界だった。
葉子は周囲の男たちから愛された。しかしその誰もがどうしても葉子とともに生きたいとは思わなかった。男たちにそう思わせない雰囲気があったのかもしれない。

「花影」のヒロイン・葉子は実際に自殺した銀座のホステスをモデルにしたと言われている。作者・大岡昇平もその店に通った客のひとりだそうだ。映画俳優などとも浮き名を流した人気ホステスで、やはり店の常連だったのが作詞家の佐伯孝夫。彼がそのホステスの死後、彼女を偲んで作ったのが「江梨子」だとも言われている。昭和36年、川島雄三監督によって東宝で映画化。葉子役は池内淳子。その他佐野周二、池部良が出演。


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