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【姦通罪】 [obsolete]


『もちろん、姦通罪もあった。姦通の罪が重かったのも、そうした堕胎が不可能な仕組みと関連していたのかもしれない。
 玉江が蒼ざめたのは、子を産まねばならぬということより、嘉助にそのことをどのようにして説明しようかという恐怖であった。』
(「越前竹人形」水上勉、昭和38年)

「姦通」とは、結婚をしている人間が、他の男あるいは女と性的な関係をもつことである。したがって、これは夫にも妻にも該当する。いまで言えば“不倫”ということになる。ところが「姦通罪」となると話が違ってくる。対象になるのは、なんと女すなわち妻だけ。
明治13年に布告された「姦通罪」は太平洋戦争が終わった2年後の昭和22年に廃止されるまで70年近く続いた。これは親告罪で“妻を寝取られた”夫の告発によって取り上げられる。有罪と認められれば懲役2年以下の判決が下った。浮気相手の男も同罪。しかし、江戸時代はもっと厳しく“不義密通”といって、当事者の男女はもちろん仲を取り持った人間まで死罪に処せられたというからコワイ。

さすがに戦後、“民主主義”の世の中になると「それは男女同権からみても不公平だろう」ということになった。しかし「それなら、男の方にも姦通罪を適用しよう」とはならなかった。既得権は守らねばならない、と考えたかどうか。では、男も女も大ぴらにできるかというとそうもいかない。「僕もやるから君もやれ」で夫婦仲良く? お互いに不倫生活を楽しんでいればいいが、たいがい不倫はどちらか一方。姦通罪はなくなったが、不倫で離婚となれば、そのぶん慰謝料上乗せなんてことにもなりかねない。法律用語では立派な“不貞行為”という言葉が残っている。

しかし、近松「大経師昔暦」あるいは漱石「それから」、志賀直哉の「暗夜行路」を出すまでもなく、姦通、不倫はドラマティックな世界だったし、それは現在も変わらない。人々が社会倫理で不倫を許し難きものとしながらも、芸術の世界でそれを認めるのは、不倫が反社会的行為であると同時に、人間の持っている本質的な行為であることを知っているからである。

水上勉の描く女性は、主人公の男性よりも印象的である。この「越前竹人形」の玉江も例にもれない。
玉江と嘉助の関係はファンタジーの世界である。玉江に“母を見る”嘉助は絶対に同衾しようとしない。嫁に来た当初、拒絶されて蒲団の中で涙をこぼすこともあった玉江だが、いつしか、嘉助は自分のほんとうの子供ではないか、という気さえ起こってくるようになる。実生活ではあり得ない。それだけに玉江の心は美しい。
昔の男に犯され、子供を身ごもった玉江は、街へ行って堕胎しようとする。それはいまの自分の幸福を守るためではなく、嘉助を悲しませないためである。街で堕胎の処置をしてくれる医者を探しているうちに、幸か不幸か流産してしまう。嘉助に気づかれずに家へ戻ってくるのだが、その三月あまり後、肺結核で死んでしまうのである。
読者は、玉江がはからずも流産してしまう場面で胸をなでおろす。夫に“真実”を語らないまま死んでいく玉江に共感し、後を追うように縊死する嘉助にさえ賛美を送ってしまうのである。それが水上勉が創りあげた男と女のファンタジーの世界なのである。


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