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【行李】 [obsolete]


『片づけると言っても、行李ひとつに楽に詰められる程度の品物しか無いのだから、五分とかからなかった。その行李を箱橇に入れて、上に玉夫を坐らせて押していけばいいのであった。
「自分が押します」
 吉田英吉はたくましい腕で軽く橇の押手を握った。……』
(「りんごの花咲くころ」石坂洋次郎、昭和21年)

「行李」は竹や柳の皮で編まれた洋服などを入れておく籠のこと。柳のものは「柳行李」とも言う。また、行李の上等なものを葛籠、さらに上等なものを長持ちといった。以前は各家庭の押入にひとつやふたつはあったはずで、当時の貧乏学生など蒲団をのぞけば、引っ越しは行李ひとつですんだ。
「行李」に入れたのは洋服ばかりとは限らない。「飢餓海峡」(水上勉)の元売春婦・八重は、殺人犯樽見京一郎からもらった大金と、彼が売春宿で使った安全剃刀を大事にかくしていた。また実録としては、その手頃?の大きさから死体を梱包するのに使われ、新聞に「行李詰め殺人」などと見出しが打たれたことも。今でもプラスチック製の衣裳ケースが行李の代用をつとめているが、便利で掃除も簡単な分安っぽい。

「りんごの花咲くころ」は雑誌『主婦之友』の昭和21年5月号に掲載された。終戦からまだ1年を経ていない時期である。
フィリピン戦線で命からがら生還した吉田英吉は、戦地で命を救われた上官の遺髪をたずさえてその妻を訪ねた。しかし、妻はすでに上官の家から離縁させられ、息子とふたりで暮らしていた。ここまで書くともうストーリーは読めてしまう。そのとおりで、初対面からなにかれと世話をする夫の元部下にいつしか妻は魅かれていき、英吉もまた自分の気持ちをごまかせない。そして未亡人は英吉のプロポーズを受け入れ、子供と3人で夫の墓参りに行こうと話し合う。そこにリンゴの花びらが散ってきて物語は終わる。
ここにも戦争の悲劇のひとつが描かれている。そして、それを克服して生きていこうとする人々の姿も描かれている。
シチュエーションは違っても骨組みは「無法松の一生」。無法松は死ぬまでストイックだったが、戦後民主主義は男女にもっと寛大だった。山田洋次で言えば「馬鹿まるだし」から「男はつらいよ」がまさにそうしたオールド・ファッションのラブ・ストーリー。
昭和8年、「若い人」が認められたとき石坂洋次郎は33歳。この「りんごの花咲くころ」は46歳のときの作品。戦後の青春小説のバイブル「青い山脈」はこの翌年に発表された。


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