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The River Of No Return② [story]

♪ お下げ髪 君は十三
  春来れば 乙女椿を
  君つんで 浮かべた小川
  思い出は 花の横顔
(「夕笛」詞・西條八十、曲・船村徹、歌・舟木一夫、昭和42年)

「で、どうしてるんだい?」
「どうって。うまくやってるみたいよ。子供ももう小学生。女の子で美紀そっくり」
「家具屋の倅と結婚したってね」
「そう。照ちゃんがいなくなってからすぐにね。……ねえ、あの時、何があったの?」
「なんだ、美紀から聞いてないのか?」
「美紀、本当のことは何も言わないもの。他に好きな人ができたっていっても、そんな素振りなかった。あまり聞いちゃわるいしね。でも、もう時効でしょ?」
「俺じゃ物足りなくなったんだよ、きっと。もう終わったことだから……。で、旦那の仕事の方、うまくいってるのかい?」
「そうみたいね。去年新町に8階建てだか9階建てだかのビルを建てたみたい」
「“みたい”ってずいぶん他人事なんだな」
「そうね……。女って結婚すると変わるのよ。たまには会うことあるけど昔のようにはいかない。こっちがその気でもむこうがね……」
「なるほど。……で、君のほうはどうなの?」
「えっ、わたし? ハハハ……。わたしのことも気にしてくれるんだ。うれしいな……」
「結婚したんだろ?」
「そりゃ、わたしだって貰ってくれる人ぐらいいるわ。お婿さんだけど、おととしよ……」
「……」
「照ちゃんもいるんでしょ? 奥さん」
「そんなのいないよ」
「なんで?」
「なんでって、ずいぶん残酷なこと聞くな……」
「ええ?……」
「で、どんな彼なんだ」
「平凡な人よ。わたしにピッタリ。フフフ……。トラックの運転手でね、去年独立したんだけどなかなかうまくいかなくて。それで美紀にも何度かお金を融通してもらったんだけど、難しくてね。美紀があんなに嫌な顔をしたの初めて……。嫌われちゃったみたい。フフフ……」

10年前の師走だった。照夫は駅前の喫茶店に美紀を呼び出した。窓の外では朝から降り始めた雪が本降りになっていた。
照夫は思い切るように言った。婚約を解消してくれないかと。美紀は取り乱しそうになるのを一生懸命抑えていた。そして、理由を問い質した。理由はひとつ、照夫が茂世を愛していたから。それも以前からずっと。
長い沈黙のあと、美紀は照夫の申し出を受け入れた。ただし、2つの条件をつけた。ひとつは婚約の解消は自分の方からということにしてほしいということ。そしてもうひとつは、
「絶対に茂世と一緒にならないでほしい。一緒になったら絶対に許さない」
美紀は高校時代から、茂世が照夫のことを好きなのをうすうす感じていた。だから茂世に取られることがいちばん怖かったのだ。それが、まさか照夫の視線が自分ではなく茂世に向けられていたとは……。想像すらしなかった。それはどんなことがあっても受け入れることができなかった。
照夫は美紀の出した条件を了承した。そして町を出た。

「別れちゃえよ、そんな旦那」
川の流れに視線を落としたまま照夫が言った。
「えっ? じゃあ代わりに照ちゃんが貰ってくれる?」
「いいよ、いつだって……」
「まあ、いい加減言ってる。フフフフ……。でもね。あの人、わたしがいないとダメなのよね。なんとかしてあげたいの。もうちょっと頑張ればなんとかなると思うんだ……」
橋の上から流れを見下ろす二人の背後を、ホコリを舞い上げながらトラックが走りすぎていった。
「そうか……。じゃあ、そろそろ行くかな」
腕時計に目をやって照夫が言った。
「そう。美紀に何か言伝てがあったんじゃないの?」
「いや、いいんだ。君の話でだいたい想像がつくから。みんな元気そうでよかったよ。これで心おきなく出かけられる」
「ほんとに? それじゃ、照ちゃんに会ったことだけ伝えておくわ」
「いや、美紀には今日ここで会ったこと黙っておいてほしいんだ。頼む」
「そう。照ちゃんのこと話せば懐かしがると思うんだけど……。いいわ、そんなに言うんだったら。でも、寂しいわね。落ち着いたら手紙ちょうだいね。逢えてうれしかった」
「うん。……じゃあこれで行くよ」
照夫は笑顔でそう言って軽く手を挙げた。茂世も笑顔を返した。そして、さよならの代わりに日傘で顔を隠した。二人はお互いに来た道を戻っていった。

太陽の照りつける橋の上を歩きながら袂まで来たとき、照夫は振り返ってみたい衝動に襲われ立ち止まった。その思いを振り切ろうと2、3歩踏み出したが、誘惑に勝てなかった。遙か橋の彼方を茂世が遠ざかっていく。白い日傘と白いワンピースが午後の光りに融けていくようだった。
次の瞬間、遠ざかる茂世を目指して橋の上を走っていく男の姿が見えた。
「茂世が橋を渡りきる前につかまえなくては」と男は思った。〈つかまえてどうするつもりか〉〈茂世を不幸にするだけだ〉〈自分の人生をまた棒に振る気か〉。風が彼の耳元で詰った。照夫の意識は空中に静止していた。橋の袂で棒のように佇む男、風に乗って橋を疾走する男、そして、日傘の茂世。そのどれもこれもが幻像のように思えた。


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gutsugutsu-blog

全然違うんだけど、川島雄三監督の「州崎パラダイス赤信号」を思い出しました。あの映画でも橋のシーンがとても印象的でした。
by gutsugutsu-blog (2006-07-17 00:54) 

MOMO

そうでしたね。特飲街の州崎につながる名もない橋でした。元娼婦の新珠三千代、ダメ男の三橋達也。いい雰囲気でしたね。いまではどちらもいませんが。近所にあるそば屋の店員の芦川いづみが初々しかった。
by MOMO (2006-07-18 22:25) 

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