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BEYOND THE SUNSET③ [story]

 

「社長さんに会ったら、自分から挨拶しに行くのよ。モグモグ言ってないで、はっきり言うのよ」
「わかってるってば」
母親の言葉を背に受けて、淳は自転車に飛び乗った。
父親と母親がプレス機で加工した自動車の部品を、元請けの野瀬製作所まで届けるのだ。野瀬製作所は、来春淳が働く鉄工場でもある。

坂川沿いを風を切りながら、思い切りペダルを漕ぐ。急かせられる用事ではなかったが、淳は怒りをペダルにぶつけていた。どうすればいいのか、どこへどう足を踏み出せばいいのかわからない、自分に対する苛立ちと怒りをぶつけるように、自転車を加速させていった。

この4カ月あまりで、彼が将来、歩むはずだった軌道を、修正しなくてはならないような事態に立ち至ってしまったのだ。その発端が篠田祐介の出現だった。

淳の家、つまり高沢家は両親と子供3人の家族。両親と、淳とは6つ違いの長男・純一がプレス工場を営んでいる。18歳になる姉の寿恵子は、隣町の文房具店に勤めている。
兄も姉も中学を卒業すると同時に勤労者になった。淳もそのつもりだった。両親や兄のようにプレス工になるのはいやだった。しかし、野瀬製作所では旋盤工の見習として雇ってくれるという。淳にとってキリコを巻き上げながら鉄を削っていく旋盤工は、父や兄のやっている作業よりはるかにカッコいい仕事にみえた。
「お前が一人前になったら、借金して旋盤買って、もっと手広く商売をするんだ」
酔うと口癖のように話す父の言葉は淳にとって、自分が頼りにされているようで、決していやな気分にはならなかった。

そんなわけで、淳は中学を卒業して就職することに何の疑問も抱かなかった。というより、それが自分の進むべき唯一の道だと思っていた。その考えが、祐介と親しくなってから揺らぎはじめたのだ。祐介にすすめられたわけではない。しかし、高校へ、さらには大学へ進学するのだと、さりげなく語る彼の話を、映画雑誌に目を落として聞きながら淳は思った。どうして、自分も祐介のように生きていくことができないのだろうかと。
〈もしかしたら別の道があるのではないか。もっと違う世界、本当は自分が行きたい世界へと続く道があるのではないか〉
と、それまでの自分と自分を取り巻く世界が、急に色褪せて見えるようになったのである。

その道がどこにあるのか、どんな道なのかも分からない。さらに、その道の先にあるはずの自分が行くべき世界というものがどういうものなのかも想像つかない。ただ、それは“きっとある”という拠のない妙な確信だけに支えられていた。そして、それを見つけるためには、定時制でもいいから進学しなくてはいけないのだという、漠然とした思いだけが日に日に現実味を帯びてくるのだった。

しかし、いまさら……。と淳は思う。
もちろん経済的なことを考えれば、働きながら高校へ行くことは可能かもしれない。しかし、すでに就職が決まっている鉄工場で、定時制高校へ通っている工員なんていない。自分だけが許されるはずがない。ならば、通学を認めてくれる仕事場を探すしかない。しかし、それは父親が許すはずがない。世話になっている元請けの工場長に己の息子を旋盤工にしてくださいと、頭を下げて頼んだのだ。いまさら、他の工場へ行きます、なんて言えるわけがない。おまけにあと1週間もすれば中学最後の夏休みに入る。こんな時期になって、進路を変えるなんて教師にとっても迷惑な話ではないか。やっぱり無理なんだ……、でも……。

自転車はスピードに乗ったまま地蔵橋を渡り、風を切って寺町通りへ続く坂道を下っていった。

淳が野瀬製作所から帰り、台所の冷蔵庫からビール瓶に入った麦茶を取りだしたとき、作業場から母親の声がした。
「アツ、冷蔵庫の水捨てといておくれよ。……そういえばさっき博美ちゃんが来たよ。なんだか急ぎの用事みたいで、また来るって帰ってったけど。しばらく逢わなかったけどきれいになったねぇ」

〈なんだろう?〉小学校の頃はともかく、中学になってから彼女が訪ねてくるなんて一度もなかったのに。淳はそう思った。
しばらくすると、作業場兼出入口から「ごめんください」という声が聞こえた。博美だ。
「アツ!」という母親の声を聞きながら、作業場へ行くと入口の開けられたガラス戸の前に水色の半袖ブラウスを着た博美が立っていた。
淳には、さきほどの母親の言葉が甦り、なぜか彼女の姿が眩しく感じた。と同時に自分のランニング姿が少し恥ずかしくなり、頬に熱が走った。

博美は何も言わず、顎を引いて淳に外へ出てくるよう促した。

「なんだよ」
「野瀬さん家まで行ったのよ」
鼻の頭に汗をかいた博美が詰問するように言った。
「ちょっと牛沼で昼寝してたんだ」
「のんきな人ね」
「…………」
「そう、大変なのよ。篠田くんが古川くんたちにまた呼び出されたの。こないだの仕返しよ。大源寺の裏だって。だから早く」
「…………」
「何考えてんのアッちゃん! 友だちじゃないの! アンタしかいないじゃないの! 早く行ってあげないと……」
「……わかったよ。でも、こんな格好でいいかな……?」
「ばかね! 喧嘩とめに行くのに格好もなにもないじゃない! 早くして!」

「ちょっと、友だちのところ行ってくる」
作業場の両親にそう叫ぶと、淳は自転車に飛び乗った。
「あとで知らせるから、おまえは待ってろよ」
「私も行くわ。女がいた方が都合のいい場合だってあるんだから……」
そう言って博美は、止めてあった自分の自転車のスタンドを蹴飛ばした。

寺の参道に続く石段の下に自転車を乗り捨てると、2人は駈け上っていった。
広い境内には数人の参拝者がいるだけで、祐介たちの姿は見えなかった。
「瓢箪池よ、きっと。早く!」
2人は本堂へ向かって駈け出した。
本堂の裏にある林に出ると、その先にある瓢箪池のほとりに数人の人影が見えた。


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