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【金輪際】 [obsolete]


『「……世界中で一番汚い女! ああ、いやだ、いやだ、あんな女がこの椅子に坐ったなんて。……郁雄、はっきり言っておきますけど、私はあんな女と親戚になるのは絶対にイヤですよ。金輪際おことわりよ」
 郁雄はポカンとしてきいていた。彼は母のこの言葉が、どれだけ自分に重大な結果を及ぼすか、まだはっきり気づいていなかった。』
(「永すぎた春」三島由紀夫、昭和31年)

【金輪際】konrinzaiは「決して~しない」「絶対に~ない」など、強く否定するときに用いられる。漢字の字面から想像されるように、もともとは仏教用語。仏教では大地の最下底に〈金輪、水輪、風輪〉と3つの輪があるという。そのうちの金輪のさらに最下端つまり“際”を金輪際という。【金輪際】は極限であり、その下は何もないということから、強い否定の言葉として使われるようになった。現在でも年配の人の会話の中で聞くことがある。若い人は聞いたことがあっても使わないだろう。
言葉そのものは「平家物語」にも出てくるというからかなり古い。ただ、かつての使われ方はやや異なっていたようだ。たとえば、「こんりんざいの敵」「金輪際きいてしまわねば」というように、〈最も~の、極限の〉あるいは〈徹底して、どこまでも〉というような意味で用いられた。

「永すぎた春」で郁雄は女流画家の誘惑をなんとか逃れたが、今度は百子の番。郁雄の学友の吉沢が百子に岡惚れして、なんとかものにしようと計画するのだ。
百子には小説家かぶれの兄がいる。その兄が盲腸炎で入院し時、親切にしてくれた看護婦にひとめ惚れして、こちらも婚約までこぎつける。しかし、その看護婦は母と貧しい二人暮らし。その母が百子と郁雄にヤキモチを焼いて、百子と吉沢をくっつけようと画策する。そのことが発覚して、“引用”にあるように、郁雄の母が激怒するのである。結局百子も吉沢の誘惑から逃れるのだが、今度は兄の結婚が障害となってくる。ところが看護婦の恋人を訪ねた兄はそこで、その母娘と喧嘩になり、婚約を解消してしまう。百子は、それが自分と郁雄の幸せを願った兄の好意だと受け取った。それを聞いた郁雄は兄さんにすまないなんて思っちゃだめだと諭す。百子も「誰にもすまないなんて思わない。幸福って、素直に、ありがたく、腕いっぱいにもらってもいいものなのね」と言って郁雄に肩を抱かれる。ふたりはここでも他人の母娘を置き去りにして幸福へ向かって突き進む。ふたりに幸あれ、である。


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