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BLACK/黒い花 [color sensation]

水原弘.jpg


♪黒い花びら 静かに散った
 あの人は帰らぬ 遠い夢
 俺は知ってる 恋の悲しさ 恋の苦しさ
 だから だから 
もう恋なんて したくない したくないのさ
(「黒い花びら」詞:永六輔、曲:中村八大、歌:水原弘、昭和34年)

「黒い花」といえば思いつくのが「黒百合」と「黒薔薇」。あとは海外の小説で、映画にもなっている「黒水仙」や「黒いチューリップ」。黒百合以外は実際にそういう名の花があるのかどうだか。

とにかく「黒い花」などほとんど見ませんし、聞きません。と思っていたらそうでもなさそう。調べてみると、わたしが知らないだけで結構あります。

黒ビンカ、黒花フウロ、黒椿、あるいはゲラニウムブラックビューティー、セントーレアブラックボウル、ユーフォルビアブッラックパールなど、というように。またそのほかでも、スカビオサエースオブスペードとか、ヒューケラオブシディアンなど、見たことも聞いたこともない「黒い花」があるらしい。

といっても、そのすべてはカラスや黒髪のような純然たるブラックではなく、濃い紫だったり濃い青だったりというのが真相。
そもそも花の色というのは色素によってつくられるもので、大きく分けてカロチノイド系とフラボノイド系の2つがあるそうです。この2つの配分によって赤、橙、桃、紫、青、黄などの花色になるのだとか。

そのほか、茎や葉の緑はクロロフィルという色素によるもので、黒を発色するにはメラニンが必要なのだと。ところがメラニンを含む花はなく、したがって真っ黒の花というのは現実にはないということになるのです。

それでもいわゆる「黒いチューリップ」のブラックヒーローやクインオブナイトを見ると(写真ですが)、たしかに漆黒ではないにしても、それはそれで魅きつけられる美しさがあります。

「黒い花」という言葉も字面もイメージを広げてくれる。こういうありそうでないもののインパクトこそ強い。

そういう意味でも、矢尾板貞雄パスカル・ペレスにKOされた昭和34年に発売され、第1回レコード大賞を受賞した「黒い花びら」はそのタイトルもセンセーショナルでした。

新人の水原弘はロカビリー出身で当時流行りの慎太郎刈り。眉が濃くスゴミのある顔は「黒い花びら」のイメージにぴったり。

作曲は高校生でプロデビューしたというジャズピアニストの中村八大。作詞はラジオの投稿からプロになった放送作家の永六輔。どちらも流行歌のプロフェッショナルではないという異色のコンビ。

きっかけは中村八大が、東宝映画「青春に賭けろ」で使用する流行歌を依頼されたことから。有楽町でバッタリ逢った顔見知りの永六輔を自分のアパートへ誘い、ふたりでひと晩に10曲以上つくってしまったというからスサマジイ。

「黒い花びら」はその中の1曲。なぜ黒い花びらなのかというと、永六輔は作詞するにあたりいくつかに「白い~」「赤い~」と色をつけてみようと思ったそうで、そのなかのひとつが「黒い花びら」になったというわけ。
なぜかはわからないが、花びらを赤や白ではなく黒にしたことに彼の作詞家としての非凡さがうかがえる。

また、モダンジャズのピアニストがなぜ歌謡曲をという疑問も。
当時の(今でもそうかも)ジャズメンにしてみれば流行歌は嘲笑すべき音楽(そのくせクラシックには劣等感があったのだが)。それをなぜ。

本人にいわせると、当時中毒に陥っていた麻薬(ヒロポン)から抜け出そうと闘っていたときで、からだの中からヒロポンを洗い流せたと思ったら、流行歌への侮蔑意識も消えていた。ということに。ほんとかな。

それでもジャズピアニストがつくる流行歌だけに、当時主流の古賀メロディーや新進の吉田メロディーとは違う。
どこかブルースやロカビリーの匂いがした。それでよくいわれるのがポール・アンカ「君は我が運命」YOU ARE MY DESTINYとの相似(よく聴けば雰囲気だけだけど)。

映画の中では主演の夏木陽介がうたうことになっていたらしい(観てません)。しかし、あまり歌が上手ではないので吹き替えを使うことに。そこで抜擢されたのが曲調ともあっているロカビリアンの水原弘、というわけ。彼もまたその映画にチョイ役(死語ですか?)で出ているとのこと。

歌詞はいわゆる“失恋ソング”で、初恋に破れた男が「もう二度と恋などしない」とできもしない自己約束を吐露する歌。また歌詞からは男がたんにフラれたのではなく、彼女が死んでしまったことが読み取れます。
いずれにしてもストーリーは従来の流行歌の本流ではあるのです。

それにしても不思議なのが「黒い花びら」。
1番の「静かに散った」はまだしも、2番の「涙に浮かべ」は少しヘン。川や湖に浮かべるならわかるが、涙とは。
いや、これをヘンと思うようでは流行歌は聴けない。とにかく悲しいんだ、辛いんだというイメージが伝わればいい、ということなのです。

このように映画の封切りとほぼ同時にリリースされた「黒い花びら」は、その強烈なタイトルと流行歌としては新鮮な旋律で大ヒット。
翌年、新たに「黒い花びら」という映画が作られたことでも、世間へのその浸透ぶりがわかろうというもの。

以後、水原弘は同じ作詞作曲家で「黒い落葉」「黒い貝殻」と“黒の三部作”、あるいは「黄昏のビギン」、「恋のカクテル」などをリリースしますが、「黒い花びら」に匹敵するヒット曲は生まれませんでした。

昭和30年代後半は不遇の時代だったが、40年代に入り猪俣公章、川内康範による「君こそわが命」でカムバック。これが演歌ブームにものってヒット。
しかしその後が続かず、昭和53年巡業先のホテルで倒れ、肝硬変のため43歳という若さで亡くなってしまいます。酒が好きで破滅型の歌手でした。

中村八大と永六輔もまた、「黒い花びら」のヒットによりその後流行歌のクリエイターとして以下のような名曲を作っていくことに。
「上を向いて歩こう」坂本九
「一人ぼっちの二人」 坂本九
「遠くへ行きたい」ジェリー藤尾
「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ
「涙にしてみれば」松尾和子
「ウェディング・ドレス」九重佑三子
「いつもの小道で」田辺靖雄、梓みちよ
「娘よ」益田喜頓
「サヨナラ東京」坂本九
「おさななじみ」デューク・エイセス
「帰ろかな」北島三郎
「芽生えてそして」菅原洋一

その中村八大も平成4年、61歳で亡くなっています。

ところでみたび「黒い花びら」。
松本清張が短編集「黒い画集」を出したのが昭和35年。「黒い花びら」が登場した翌年。

「黒」とは犯罪や死を連想させるネガティブなイメージ。清張は昭和33年から34年にかけて、そのさきがけともいえる「黒い樹海」や「黒い福音」を書いています。
はたして機を見て敏な永六輔が清張の小説を参考にしたのか、はたまたまったくの偶然で、流行歌のヒットがベストセラー小説の後押しをしたのかそれは不明ですが、以後ちょっとした「黒」のブームが起きることになるのです。

 


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WHITE/白い花② [color sensation]

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♪私の目の前の 白い花
 人目にもつかずに 咲いているけど
 幸せそうに ほほえんで
 香りを 漂わせる
 できることなら この指で
 お前を 摘んでしまいたい
 あの人の心に 誇らしく
 咲いてる お前を
(「白い花」詞、曲、歌:山崎ハコ、昭和51年)

「白い花」っていうのは「赤い花」もそうですが、だいたいが、男の目線から見た女性のことですね。文字どおり無垢で清純なイメージ。
となるとほとんどは十代の少女、それも乙女ということに。
もちろん、20代でも30代でも「白い花」のイメージを抱かせる女性はいます。それはたびたびいうように、“見る”男の感性によるのですが。

でも、「赤い花」にもあったように、女性が同性に対して「白い花」のイメージを感じ取るというケースもあります。そこには多かれ少なかれ同性愛的な感情が含まれているのではないでしょうか。
そして、そういう見方というのは多分に「可愛い」「触れたい」という好意的な感情に裏打ちされている場合がほとんどでしょう。

ところが、そんな単純にはいかないところが人間のというか、女性の心情。

そんな複雑な“思い”をうたにしたのが山崎ハコ「白い花」

この歌には女心というよりは、人間だれにもありえる邪悪な心「嫉妬」が描かれています。

自分がどうしようもなく好きになってしまった男には相思相愛の彼女がいる。もしかしたら、好きになったのは自分の方が先だったかもしれない。
いくら考えても彼女の清楚な美しさには太刀打ちできない。もし彼女が彼を好きにならなかったら、友だちになりたいくらい可愛いい。それはまるで「白い花」。
もし可能ならば、彼女を彼の中から消してしまいたい。自分の手を汚しても……。

ひとりの男をめぐる恋のバトル。こういう図式はドラマや小説ではめずらしくないですね。というより常套手段でしょうか。

つまり嫉妬に燃える女は「仇役」。決して主役ではありません。
か弱き「白い花」に対してあの手この手の無差別攻撃。最後に善は勝つ、愛は勝つ、悪は滅びる。最悪抹殺されてサヨウナラ。THIS IS 「土曜ワイド劇場」。

ところが歌の場合は何が何でもヒロイン、主役。
だからそんな悪党まがいのことはできません。
ほとんどは、「悔しいけど負けたわ。幸せになってね」なんて心にもないことを言いながら身を引くというのがマジョリティ。

山崎ハコの「白い花」でも、
「あの人と一緒に生きていけ」「あの人をなぐさめながら」と敗北宣言。もちろん彼女に対してそう言うのではなく、自分に言い聞かせているのです。
「あんたなんか殺してやりたいくらいが憎らしくて、ほんとうは、あたしがあの人の心の中に咲きたかったのよ!」
と叫んでいるのです。

でも実際は何も言わず、彼女に対しても平静を装っている。そんな自分に対して「白い花」は邪気のない笑顔を返してくる。引き裂かれそうな自分の気持ちなど知らないで。

なんとかヒロインとしての立場を遵守しているものの、これほど「嫉妬心」や「怨念」を露骨にあらわした歌は少ない。
それもいかにも悪女そうなシンガー(誰だ?)ではなく一見か弱そうな山崎ハコ(年を経てだいぶ逞しくなりましたが)がうたうから、余計にそのギャップを感じる。

花嫁に「くたばっちまえ!」とつぶやくシュガー「ウエディング・ベル」では、女の本音をコミカルに糖衣して“耳あたり”をよくしていますが、「白い花」はいつまでも残りそうな怨念が感じられてコワイ。だけに面白いのですが。

「白い花」の歌はいくつもありますが、こういう捉え方、表現の仕方はハコの十八番。

ついでにフォークの「白い花」をいくつか。
♪白い花をそえて下さい 別れの言葉に 「白い花」松山千春
白い花はアネモネだそうです。アネモネは年下の恋人を失った美の女神アフロディーテが流した涙からできた花だとか。清純無垢という花言葉があるとも。
でも、別れ際に彼からもらいたいというのはどんな心理? まぁいいか。

♪白い花つんで あの人にあげよ 「赤い花白い花」赤い鳥
赤い鳥の代表的な歌で、Jフォーク(造語)のスタンダード。山本潤子もソロでうたっています。ワンコーラスめは「赤い花」。髪に飾ってあげようというのだから男歌? ツーコーラスめは胸に飾るのだから男女兼用? まぁワカチコワカチコってことで。

♪白い花はふるさとの 恋人の花 「花のかおりに」フォーク・クルセダーズ
これは前回の「故郷&初恋」ヴァージョン。作詞作曲は例によって北山修、加藤和彦コンビで、似た曲想の「白い色は恋人の色」(ベッツイ&クリス)も同じ。
名曲だと思いますが、あまりカヴァーされません。

♪白い花髪にさして 娘はお嫁にいく 「白い花」本田路津子
これも古いJフォーク。NHKテレビドラマのテーマソング。白い花はくちなしだそうです。「くちなし」と路津子さんについてはあらためて、ということで。

それにしても山崎ハコの「白い花」が耳に残ります。
とりわけ「お前を摘んでしまいたい」というフレーズ。
若い娘がおない歳くらいの同姓に「お前」っていうのだからどんだけ深い憎悪なんだってこと。

で、この歌は北原ミレイに提供された歌ですが、彼女がうたうとまたニュアンスが違ってきます。同じ歌でも、歌う人のキャラクターや表現力で伝わり方が異なるといういい例。
ミレイさんの場合、過去に男を刺した前科があるので(歌の世界の話ですよ、本気にしないでね)、それはそれでコワイですよね。

かたや見た目「強面」、こなた「清純」、でも中身は一緒。ということになればどっちがコワイ?


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WHITE/白い花① [color sensation]

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♪白い花が咲いてた ふるさとの 遠い夢の日
 さよならと言ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪
 悲しかったあの時の あの白い花だよ
(「白い花の咲く頃」詞:寺尾智沙、曲:田村しげる、歌:岡本敦郎、昭和25年)

「赤い花」の歌も多いけれど、「白い花」もよくうたわれています。

「赤い花」がおおむね女性のことだとすると、「白い花」は男性?
そんなことないですね。どんな花でも花は花。花はやっぱり女。

では「赤い花」と「白い花」の違いは。
赤は経験者、白はバージン。そういっちゃ身も蓋もありません。せめて、赤はオンナ、白は乙女ぐらい言わなくっちゃ。大差なし。

まぁ、とにかく「赤い花」よりは幼いというのか淡いというのか、未成熟の女性、つまり娘という印象でしょうか、「白い花」は。ですから、初恋なんていうのはまさに「白い花」のイメージかも。

♪小さな肩だった 白い花夢かよ 「森の小径」灰田勝彦

彼女と肩を並べて歩く森の小径。互いに言葉はなく白い花だけが舞い散っていた。ときおり腕に触れる彼女の肩。「女の娘の肩ってなんてか弱いんだろう」と初めて思った。主人公は旧制中学の学生。歳でいえば15、6。来年は進学のため上京することになっている。彼女が泣いていたのはそんな理由があったから。
そんな初恋の思い出をうたった歌。

純情ですね、ポエムですね。昭和15年の歌なのですからさもありなんです。
短い歌詞ですが、佐伯孝夫の最高傑作ではないでしょうか。ハイカツの透明感のある声もいいし、兄・有紀彦がつくった旋律がまたいい。こんな抒情的な詞にハワイアンがこれほど合うとは。

もうひとついえば、初恋と重なるかもしれませんが「白い花」には「故郷」の風景がよく似合います。
「森の小径」だって肩寄せて歩いたのは故郷の道。

抒情歌謡といいますか、純情歌謡の極めつけが岡本敦郎のうたった「白い花の咲く頃」
この歌もまさに「白い花」に託して「初恋」と「故郷」がうたわれています。

終戦から5年、NHKの「ラジオ歌謡」から生まれた歌。戦争という歴史的大事変を挟んで世の中大きく変わりつつ、人の気持ちも変わりつつ。そんな時代。
それでもこの歌には10年前の「森の小径」とほとんど変わらない“純情”がまだ生息しておりました。
花も雲も月も、みんな白かったという初恋の思い出。

作詞作曲は、寺尾智沙、田村しげるの夫婦。
田村しげるは戦前からの作曲家。当時キングレコードの専属で、東海林太郎「山は夕焼け」などを手がけています。なんでもふたりはデビュー前からの友人で、東海林太郎をキングに紹介したのが田村しげるだったとか。

「白い花の咲く頃」の翌年やはり夫妻で「リラの花の咲く頃」をつくっています。うたったのも岡本敦郎と「白花トリオ」でそこそこヒットしたそうです。
♪リラの花が胸に泣く今宵 はるばる別れきて
とノスタルジックな詞はもう少し大人の雰囲気。アレンジもタンゴ調で叙情的な「白い花」とはだいぶ異なるようで。
またリラの花はピンク、紫いろいろですが白もあるそうです。

ほかでは平野こうじ「白い花のブルース」
♪想い出の花 白い花 一輪空に投げあげる ……別れた人の恋しさよ
初恋かどうかはわかりませんが、「白い花」は忘れられない人のこと。昭和36年の歌。作詞は佐伯孝夫なので、「森の小径」の“戦後編”かも。
こちらもスチールギターがはいりますが、作曲は吉田正で青春歌謡とムード歌謡が混在したような(どんなんだか)曲調。

五木ひろし「ふるさと」にも、
♪白い花咲くふるさとが 日暮れりゃ恋しくなるばかり
と「白い花」が。白い花とは都会に出て行った自分を、お嫁に行かず待っているという娘のことだそうです。

ついでにいうと、五木ひろしでは「夜空」にも、
♪誰も答えはしないよ 白い花が散るばかり
とあります。「夜空」は別れた娘のことを時間が経つにつれて恋しくなるという“未練節”。ハラハラと散る白い花が、行く先の不幸を暗示しているよう。

「ふるさと」「夜空」とも作詞は山口洋子

しかし、初恋の花「白い花」とはどんな花なのか気になるところです。
ひとそれぞれ思うところは異なるんでしょうね。相手の印象によっても変わってきますしね。

わたしだったら、そうねぇ、そばかすに黒目がちな瞳が印象的だった道子ちゃんは「霞草」かな。いや、クラスのマドンナでウェーブの髪が大人びて「からたち」のように華麗だった郁子ちゃんがいたな。そうそう、大人しいけどいつもニコニコしていて、卒業してからとても逢いたくなった「静江ちゃん」は「しろつめ草」のように可憐だったしなぁ。って何回初恋したんだって話ですよね。

 


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RED/紅い花② [color sensation]

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朝靄を衝いて 剣を振ってたら
紅い花びらが 眉に落ちてきた
冴えた白刃に 触れたのか
宥して(ゆるして)くれよ 名もない花よ
(「剣と花」詞:萩原四朗、曲:上原賢六、歌:石原裕次郎、昭和46年)

「紅い花」「赤い花」が男にとって好きなあるいは好きだった女の象徴であるのは単純明快だが、なかにはもう少し複雑な「紅い花」もある。

「剣と花」は昭和42年に週刊誌に連載され、のちに単行本となった立原正秋の長編小説。

原作は主人公の石津文三郎とその母違いの妹・千代子の近親相姦を軸にして剣と愛を貫こうとする主人公の滅びの美学が描かれている。

昭和47年、日活が映画化した。その「剣と花」はリアルタイムで観た。
監督・舛田利雄、主演・渡哲也。「無頼」や「大幹部」シリーズでお馴染みのこの「取り合わせ」を見逃すはずはない。ちなみに「舛田・渡」の最高傑作は「紅の流れ星」(軟派の渡が最高)だと思っている。

「剣と花」ははじめにもふれたように文芸作品。それまでのヤクザ映画、日活アクションとはいささか違った。

それでも渡哲也は期待を裏切らなかった。
父親譲りの剣道の達人で妹を愛してしまうヒーローをみごとに演じていた。木刀で匕首を持ったヤクザ者たちを蹴散らし、一方ではバーのママと同棲したり、その店の女の子に手を出すというだらしなさ。硬軟併せ持つ現代のヒーローをみごとに演じていた。ラブシーンは相変わらず下手だったが。それもまたあの時代のヒーローにふさわしい。←何が何でも褒めるぞという態度だね。

そもそも現代劇で“スーパーマン的”ヒーローは描きにくい。
描くのであれば時代錯誤のチャンバラ映画だろう。鞍馬天狗、怪傑黒頭巾、丹下左膳、眠狂四郎、木枯紋次郎とバッタバッタと人を斬り、斬られても死なないスーパーヒーローは時代劇ならでは。

昭和40年代の仇花・ヤクザ映画はその“代用品”だった。それも最後の。

そんな中で公開された「剣と花」は、現代劇でありながら剣の達人という強いヒーローを主人公に据えた。ある意味うまい設定だと思う。まさか射撃の名手というわけにはいかないし(高倉健主演の「駅(ステーション)」では健さんが元射撃のオリンピック選手という刑事を演じていたけど)。

もちろん剣道の有段者が棒きれを振り回して他人に怪我をさせれば通常より重い罪になるのだろうが。
「剣と花」の主人公文三郎は、若いころ木刀でヤクザ者たちに重傷を負わせ、段位をはく奪されたという設定。それでもヤクザ相手の立ち回りは何度かあった。原作より派手でふんだんだったのは、日活の“得意ワザ”だったから。

当時、映画がなかなか面白かったので、そのあとすぐ原作を読んでみた。
原作の幅と奥行きを2時間足らずの映画に求めるのは酷というもので、文三郎と千代子に焦点を絞ったドラマはそれなりにうまく作られているという感想を覚えた。

とりわけ小説の文三郎と渡哲也はみごとに重なった。いつものヤクザ映画より少し長めの坊ちゃん刈りもよかった。反対に千代子を演じた新藤恵美は原作からのイメージとはかなり異なった。原作の静かで底恐ろしい千代子を演じるには新藤恵美の顔立ちは派手すぎ、演技は熱が入りすぎていた。

とはいえ、通常の封切り映画(当時の)であからさまな近親相姦はまずい。という懸念があったのだろう、たぶん。映画では主人公がそれを思いとどまるという正反対のエンディングで締めくくられている。

これはいささか無理がある。
原作、映画とも文三郎は父の遺言どおり、兄姉の非難に耳を貸さず、義母と妹を守りながら古い屋敷を継いでいく決心をするのだが、映画のように一線を越えずというのはいかにも不自然。妹の兄に対する思いはどう解消されるのかがまったく曖昧。原作を読まなければそんなことも思わなかったのだが。

ATGならともかく通常の封切り映画では近親相姦はタブーなので、このあたりが限界だったのかもしれない。それにしてもよく原作者がこうした改竄を許したものだ。
まぁ原作と別物と考えれば、それなりに堪能できる映画ではあったのだが。

上にのせた流行歌「剣と花」は、クレジットの「歌・石原裕次郎」でもわかるとおり、映画の主題歌ではない。映画公開の前年にレコードが発売されている。もちろん映画の主題歌ではないし、挿入歌としてうたわれることもなかった。ちなみに、すこし前衛風の真鍋理一郎の音楽もよかった。

どういう経緯だったのかは知らないが、もしかしたら当初裕次郎主演で企画されたのかもしれない。それがなぜ翌年の渡哲也主演になってしまったのかも不明だが、年齢的にもキャラクター的にも裕次郎よりははるかに渡のほうがハマリ役。

しかし不思議なことに、こと流行歌に関しては「剣と花」と裕次郎との違和感はない。

で、この「剣と花」だがレコードのいわゆるB面で、A面が「地獄花」。当然こちらの方がヒットした。
もちろん「地獄花」も小説「剣と花」の“イメージソング”なのだ。

つまり歌の世界では数少ない(というかほかにあるのかな?)近親相姦ソングなのである。もっとも、原作を知らなければ、映画を観なければ、たんなるラヴ・ソングあるいは不倫ソングで通用するのだが。

♪俺たちに 明日はない あるのは ひかる瞳……
ではじまる「地獄花」の詞はより原作に“忠実”につくられている。

とりわけ間奏ではいる浅丘ルリ子の、
「……そんなに地獄が怖いのですか。誰も二人の世界には入ってこれないのですよ。……怖いのはあなたがわたしを裏切ったときだけです」
という男を煽動するセリフは原作ほぼそのまま。

映画にはもちろんなかったが、原作では主人公が妹を抱きながら「地獄の花だ、地獄の花だ」とつぶやくところがある。裕次郎の「地獄花」はそこからきている。
「地獄花」は、あの真赤な花を咲かせる「曼朱沙華」すなわち彼岸花の別名でもある。

いずれにしても3コーラスめの、
♪地獄がなんだ 滅びるのが アア………… この世がなんだ
という詞でもわかるとおり、「地獄花」は「船頭小唄」「昭和枯れすすき」に匹敵するほどの退廃的な歌でもある。

裕次郎にはほかにも「紅い花」の歌がある。
♪紅い野バラがただひとつ 荒れ野の隅に咲いている 「こぼれ花」
この花は恐ろしい花ではなく、オーソドックスな昔の「あの娘」を思わせる花。

またデビュー曲の「狂った果実」では、
♪……燃え上がり 散っていく 赤い花の実
とうたわれている。

話をもどして、映画「剣と花」は他でも小説とは異なる設定がいくつかあった。
その中のひとつで、原作にはない人物が何人も出ていた。
そのひとりが、主人公・文三郎がバーのママから乗り換えるホステスの夫。原作では気の弱いギャンブル狂のダメ夫だが、映画では“ドス健”という刑務所に入っているヤクザ者。このへんが日活アクションの片鱗。

ドス健は出所して女房の浮気を知り、文三郎に決闘を挑み返り討ちにあう。そのドス健を演じていたのが渡哲也の仇役としては欠かせない青木義郎
もう亡くなってしまったが現代ヤクザでその存在感をアピールした好きなバイプレイヤーだった。

青木義郎が「青」なら、この映画の「赤」つまり「赤い花」も出演していた。
それは新藤恵美の演じた千代子でもなく、ホステスで主人公の愛人の夏純子でもない。渡哲也に捨てられるバーのマダム・冬子を演じていた赤座美代子。これまたいい女、いや女優。わたしの青春時代の「赤い花」のひとりだった。


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RED/紅い花① [color sensation]

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♪昨日の夢を追いかけて
 今夜もひとり ざわめきに遊ぶ
 昔の自分がなつかしくなり 酒をあおる
 騒いで飲んで いるうちに
 こんなにはやく 時は過ぎるのか
 琥珀のグラスに 浮かんで消える 虹色の夢

 紅い花 想いを込めてささげた恋唄
 あの日あの頃は 今どこに
 いつか消えた 夢ひとつ
(「紅い花」詞:松原史明、曲:杉本真人、歌:ちあきなおみ、平成3年)

花の色といえば赤白黄色に橙紫というのがほとんど。
なかでも、なにかにつけて人間の目や気を引くのが「赤」。
赤いものに反応するのはどうやら牛だけではないようで。

今の季節なら皐月、躑躅に始まって薔薇、チューリップ、ベゴニア、カーネーション。まだまだありますスイトピー。ひなげし、デイジー、千日草と、百花繚乱。

たんに「花」といっただけで「赤」を連想する人が多いのではないでしょうか。それぐらい代表的な色なのかも。
それだけに「赤い花」もしくは「紅い花」というのは、さらに「赤」を強調しているようで相当強いインパクトに。

たとえばヨーロッパの言葉には性別があって、名詞なら女性名詞と男性名詞があります。
フランス語でいえば太陽soleilは男性であり月luneは女性に。日本人の共通認識からいうと、天体に性差を感じることはあまりありません。ただ、いわれてみれば納得できないこともないようで。

「花」fleurはどうかというとこれもフランス語では女性名詞。これはなんとなく日本人でもストレートに頷けます。日本にははっきり男性名詞、女性名詞の区別はないにしても、「花」には「女性」のメタファーがあります。「可憐な花」といって男性をイメージする人はごく稀でしょう。

では「赤」Rougeはどうかというと、これがフランスでは男性名詞。ちなみに黒noirも男性。というか、フランス語では色は男性名詞になるようで。
このへんが日本と違うところで、日本なら赤は女性、黒は男性というイメージが一般的。

余談はさておき、日本の場合、「赤」も「花」も女性のイメージで、「赤い花」といったらもうこれはほとんど女性。そして男(の歌手)がそういう場合はほとんど、自分が思いを寄せるか、かつて寄せていた女性のこと。というのはキャリアそこそこの男ならわかるはず。では世の女性は自分のことを「赤い花」って言っちゃえるものなのか……。

思いは別にして、やっぱり女性の口から自分のことを「赤い花」って言うのはちょっと……。
余談の“マトリョーシカ”になりそうなのでこの辺で本題に(マクラが長い)。
ではそんなストレートな「赤い花」の歌を。

♪赤い花を胸に そぞろ歩きの街あかり 「赤い花」藤山一郎
まずは古いところで昭和8年藤山一郎のビクター時代の歌。ハバネラのリズムは当時としてはとてもモダン。作曲は「侍ニッポン」松平信博で、洋楽といわれても通りそうな洒落た曲。
これは男の“目線”で、「赤い花を胸に」は実際に彼女に贈ろうとした花と、去っていった彼女の面影とのダブルミーニング。作詞は佐伯孝夫

同様の“男歌”が上に詞をのせたちあきなおみ「紅い花」
昔の女の思い出。酒とバラの日々。演歌定番の典型的な“未練節”。
好き嫌いはあるけど、ちあきなおみはやっぱり“女歌”のほうがいい。作曲は平成のかあさんの歌「吾亦紅」で話題になった杉本真人。自身のCDで“セルフカヴァー”している。
そういえば吾亦紅も「紅い花」でした。

ほかではやはり演歌で、
♪思い出の赤い花 こころの花だよ 「赤い花」野村将希
が。これまた忘れられない昔の女。たいがいは「ふたりの愛は永遠と、共に暮らしてみたけれど、苦労のタネはつきない闇夜。やがて喧嘩の売り買いで、意地が言わせる別れの言葉。あれから幾年幾星霜、後悔未練の毎日で、胸に枯れない赤い花。なんてストーリー。

では、視点を変えて“女歌”の「赤い花」を。

演歌なら五木ひろし「紅い花」
♪淋しくないのよ 独りが好きと 爪を噛んでる ああ紅い花
これも演歌からポップスまで日本の歌にありがちな男がうたう“女歌”。
元ママの山口洋子描くヒロインは、お得意の“夜の花”。不幸の影を背負いながらも春を待つという健気な女。

あとはポップス。
♪ あなたが来ない 乗換え駅の ホームに咲いてる紅い花 「紅い花」伊藤咲子
不実な彼をあきらめて、自分を大切に生きていこうという元気で前向きな歌。咲子さんも「わたしは負けない」とうたっています。「乙女のワルツ」のB面。

♪紅い花びらの甘い花が咲く 昼の思い出 夜だけに咲く花 「紅い花」UA
これもロマンチックなトーチソング。「紅い花」は愛の花。届かぬ思いならば、せめて夢の中で咲かそうって、“日本のニーナ”でも心は演歌節とそう変わりません。というか、演歌でもポップスでも今でも昔でも、女ごころ、いや人の気持ちはそう変わるものではないということなのでしょう。

これまた♪ウォーウ ウォウオ の悲しき片想いの歌。
♪最後の涙をあげましょう 二度と咲かない花のために 「赤い花」中森明菜
 赤いその色が溶けるまで せめて見守りたいと…
最近カヴァーアルバムを連発しているアッキーナ(言わないか)の韓流カヴァー。ハートブレイクソングで、「赤い花」は自分の恋心というよりも、幸せだった頃の二人に咲いていた花。

アイドルではこんなのも。
♪赤い花のように 春を告げにやってきて 小さな赤い花 「赤い花」宮沢リエ
春を待つ夢見る少女の歌。チャイニーズ風のメロディーに童謡か唱歌のような健全な歌詞。
「赤い花」は憧れや幸福のようなもので、もしかすると初恋だったり。

最後に“両性具有”のような「紅い花」を。
♪耐える笑顔に陽もさすわ 咲いてふたり 雨に咲く花 赤い花 「紅い花」都はるみ
ド演歌で、いわゆる“夫婦もの”。妻は夫を慕いつつ、夫は妻を労りつ……って歌。これは女でもなく男でもない。つまりふたりでひとつの夫婦の花ということ。
ふたりで育み咲かせた花ということなのでしょう。

わたしは男ですから、当たり前のことながら男の視線。
たしかに脳内アーカイブスを検索すれば「赤い花」のひとつやふたつ(エラそうに)出てきます。それも遠ざかれば遠ざかるほど、当時の交流が少なければ少ないほど、その赤が鮮明に見えてくるもんでして。

それに引きかえ、傍にある花はってえと……。以前は燃えるように赤かったのがすっかり色あせちゃって……。どうにかするとドライフラワーに見えたりして……。
いやいやお互いさまということで。軽口封印。


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BLUE/青い鳥③ [color sensation]

カワセミ.jpg

♪僕は青い鳥
 今夜もだれか捕まえに来るよ 銀の籠を持ち
 僕は青い鳥
 だれかの窓辺に歌うよ 銀の籠の中で
 幸せを追いかけて 人は変わってゆく
 幸せを追いかけて 狩人に変わってく
 青い鳥 青い鳥 今夜も迷子
(「僕は青い鳥」詞、曲、歌:中島みゆき、昭和61年)

メーテルリンクの「青い鳥」では、幸福の鳥とは実はハトだった、というある種ガッカリ話のオチ(じゃないよね)がありましたが、フランスにはこんな「青い鳥」の伝説があるそうです。

聖書ではノアの箱船のノアが緑なる大地の存在を信じて船からハトを飛ばし、ハトがオリーブの枝(ピースの絵柄)をくわえて帰ってきたのでそれを確信したという話があります。実はこの話には続編があって、ノアはハトを飛ばしたあと、あまりに戻ってくるのが遅いので、続いて灰色のカワセミを飛ばします。
ところがその直後ハトが戻り、船は無事陸地に着いたので、動物たちと共に上陸したノアは船を壊してしまいます。
可哀想なのはカワセミで、大海の上で船を探しますが見つかりません。大空を彷徨うカワセミのお腹は太陽に焼かれて赤くなり、背中は青空に染まって青くなったとか。

あのトボケた長いくちばしを持ったカワセミが“幸せの鳥”とはまるで思えませんが。

ところで日本には600種類以上の鳥がいるといわれていますが、どうやら「青い鳥」は見あたりませんし、そうした伝説もないようです。それでも明治時代に輸入された“幸せの青い鳥伝説”は定着しているようで、最近の流行歌にもしばしば登場します。昔ながらの青い鳥=幸福というシンプルな歌ばかりでなく曲解、いや新解釈したものも含め現代日本の青い鳥を。

まずはオーソドックスな「青い鳥」の歌。
♪キラキラ降りそそぐ 木漏れ日の隙間に 僕等は青い鳥を見たよ 「青い鳥」藤井フミヤ
幸せを探すカップルのラブソング。青い鳥は消えても二人の愛は永遠にと。

♪いつの日にも明日は来るから 青い鳥はきっとそばにいる 「Bluebird」今井美樹
これもそう。ふとしたことで失くしてしまった“青い鳥”。こういう場合だいたい青い鳥とは愛だの恋だの。とくに女性の場合はね。でもいつか癒されて、また青い鳥を見つけることができる、って自分を励ましている。最近の若い人がよくつかう「頑張れ、自分」ってヤツですか。

♪青い鳥の不満は イカレた森に響く 「青い鳥はいつも不満気」AJICO
長いイントロ、現代のサイケというか前衛音楽風。詞は多分に言葉遊びの感が強いですが、歌の印象は今風カップルの乾いたラブソング。強引に解釈すれば青い鳥は彼らのこと。一見幸福そうなんだけど満たされない。でもたいした問題じゃない、っていうような? UAの声、うたい方は好きだし、こういうのもたまにはいい。でもこればっかだと頭の方がイカレちゃうけど。

♪飛べないブルーバード すべてをゼロに戻して歩いてゆく 「飛べないブルーバード」小比類巻かほり
もはや懐かしの80年代ディスコサウンド。
ブルーバードは自分のこと。なんで自分が幸せの鳥なのか。ただし、“飛べない”って冠がつくので本来幸福な存在なのにいまは不幸、ってことなのかな。“歩いていく”のは飛べないから仕方なく、ってことじゃないよね。

♪儚い命を抱いて カゴを捨てた青い鳥 「アオイトリ」平井堅
この青い鳥は一見自分のこと? つまり貴女のためならば今の幸せを捨ててもいいって。でも後半には♪さまよう二人残して 星に消えた青い鳥 って出てくる。これは二人の幸せや希望が消えたってことで、オーソドックスな青い鳥になってる。まぁ幸福という概念だって自分にとってのだから、自分のことでいいのか。サビの切実感は演歌と通底してます。

「青い鳥」は私。でも人間が自分を青い鳥に例えたのではなく、青い鳥を擬人化した歌が上にのせた中島みゆき「僕は青い鳥」。その青い鳥が自分を捕まえに来る人間たちを憐れみ悲しんでいる歌。相変わらずドラマチックというか大げさな曲調は彼女の持ち味。スクリーンミュージックのような間奏がいいです。

浜崎あゆみにも「BLUE BIRD」が。しかし、これはラブソングというより“友だちの歌”。タイトルからも「青い鳥」というより「憂いの鳥」かも。

演歌だって。
♪俺の心に春を呼ぶ おまえはしあわせの青い鳥 「しあわせの青い鳥」山本譲二
「浪花節だよ人生は」
に代表されるような、長調で調子のいい曲調は演歌の王道ソング。詞がまたしばしば耳にする“女房賛歌”。でもこの種の歌苦手で……。とくにカラオケで聞かされるのは耐えられませんです。

♪泣いたら駄目 死んだら駄目 それなりに青い鳥 「それなりに青い鳥」村上幸子
これまた「辛いおんなの人生航路」と演歌定番ソング。気は持ちようで、男に振られたって辛い出来事があったって、時には小さな喜びがある。それなりに幸せなんだよ、という謳演歌だったり応援歌だったり。
それを“それなりに青い鳥”と気の利いた歌詞にしたのは阿久悠。リズム歌謡は三木たかしの作曲と川口真のアレンジ。
村上幸子は新潟県村上市出身。昭和63年に「不如帰」のヒットがあるが、2年後31歳の若さで病死。幸子の幸は……。

♪男なんて淋しいもんだね どこかの空まで飛んでく青い鳥 「男なんて青い鳥」小林幸子
この青い鳥は幸福よりも自由を求める。たしかに男のある部分はそうかも。でもメーテルリンクの「青い鳥」は自由ではなく幸福の象徴なので、この歌では「青い鳥」を新解釈している。その作詞者はいかにもの荒木とよひさ。いまや演歌界の巨匠。ただこの歌に関しては♪近頃いい男に お目にかかれない とか ♪昔の男たちは 背中がシブかった などとどこかで聴いたことのある歌に似たフレーズ。まぁ、それだけ阿久悠が偉大だったということでしょうか。

メーテルリンクの戯曲「青い鳥」のラストシーンでは、青くなったハトにチルチルとミチルが餌をあげようとしたとき、ハトは大空へ逃げていってしまいます。そしてチルチルが観客に「どなたかあの青い鳥をみつけたら届けてくれませんか。僕たちが幸福になるためにはあの鳥が必要なんです」と語りかけて幕がおります。
えっ? 幸せ探しって最後は人に頼むの? 他力本願……。と思ったけど案外真理かも。


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BLUE/青い鳥② [color sensation]

kris & rita.jpg

I met a girl back in the hills
Who gave my lonely heart a thrill
Her beauty seemed just like a breath of spring
And when I looked into her eyes
I thought of blue summer skies
And when I held her hand in mine
I heard the bluebird sing
…………
([I HEARD THE BLUEBIRDS SING]words & music by HOD PHARIS, vocal by BROWNS, 1957)

もちろん「青い鳥」が幸せの象徴であるという共通認識は日本だけのことではありません。

アメリカでもそのようです。というより、日本よりもっとシンプルな象徴のような気がします(違うかな)。
つまり、日本では前回も少しふれたように、決して手に入らない、あるいは手にしてもすぐに逃げていってしまう幸福、というペシミスティックな捉え方がかなり強いようです。これは恨み節、泣き節が主流の昔ながらの歌謡曲だけではなく、Jポップにもみることができます。つまり日本人の普遍的な認識で思想といってもいいかもしれません。いかに表層が欧米化しようと、日本の二千数百年という歴史の積み重ねはそう簡単に変わらないのでしょうか。

そうした流行歌に見る日本の思想(絶望的なくらい大げさ)についてではなく、今日はアメリカンミュージックに出てくる「青い鳥」を。

個人的にすぐに思い浮かぶのが上に詞をのせた[I HEARD THE BLUEBIRDS SING]
カントリーソングでオリジナルはハル・ロン・パインHAL LONE PINEとベティ・コディーBETTY CODYが1952年に吹き込んだもの。1957年に日本でも「谷間に三つの鐘が鳴る」THE THREE BELLS で知られるブラウンズTHE BROWNS がヒットさせました。
「白いスポーツコート」A WHITE SPORT COATで知られるマーティ・ロビンスMARTY ROBINS も歌っていますがやはりデュオが楽しい。仲むつまじかった頃のクリス・クリストファーソンリタ・クーリッジ夫妻KRIS KRISTOFFERSON & RITA COOLIDGEがイカしてます。

邦題は「青い鳥が鳴いていた」、「青い鳥が歌っていた」、「青い鳥」などと様々。
内容は、〈丘のそばで少女の君を見初めたときも、村の教会で結婚式をあげたときも「青い鳥」が鳴いていたっけ。僕たちは深く愛し合い、幸福は永遠に続く。青い鳥のように。〉
というようなハッピーソング。

〈僕の彼女は丘に住んでいた……〉と似たようなトラディショナルソングに「青い鳥が呼んでいる」BLUEBIRDS ARE SING FOR ME があり、ブルーグラスのカントー・ジェントルメンTHE COUNTRY GENTLEMEN のアレンジで聴けます。ただし、こちらは放浪のはて故郷へ戻ってみたら彼女は冷たい土の下……という悲恋歌。

日本のムード歌謡のようにカントリーでもデュエットソングが盛んで、「青い鳥が鳴いていた」のほかにも、デヴィッド・ヒューストンタミー・ウィネットDAVID HOUSTON & TAMMY WYNETTE がうたった「二人の青い鳥」MY ELUSIVE DREAMS が。ポップカントリーというより、ポップスですねこれは。
邦題はロマンチックだけれど、原題を直訳すれば「儚い夢」。ちなみにブルーバードという言葉はどこにも出てきません。つまり日本的発想でつけられた邦題。

実際の内容は、夢を求めて恋人とともにアメリカ中をさまよう男。しかし彼女はもうすっかりその儚い夢に飽き飽きしてしまっているという男の嘆き節。
日本ではナンシー・シナトラリー・ヘイゼルウッドNANCY SINATRA & LEE HAZLEWOOD 盤のほうが知られているかも。
ソロではボビー・ヴィントンBOBBY VINTONもうたっています。

もうひとつはカントリー・デュオが流行するきっかけになったといわれるハンク・スノウアニタ・カーターHANK SNOW & ANITA CARTER の「ブルーバード・アイランド」BLUEBIRD ISLAND 。ブルーバード・アイランドとはハワイのこと? スティールギターと二人のハーモニーがトロピカルな雰囲気を醸し出す一曲。

ハンク・スノウといえばカナダ出身ですが、その先輩がモンタナ・スリムMONTANA SLIM 。彼の代表曲のひとつが「窓辺の青い鳥」THERE'S A BLUEBIRD ON YOUR SINDOWSILL。

ほかでは、これまた失恋ソングでマーヴィン・レインウォーターMARVIN RAINWATERの[GONNA FIND ME A BLUEBIRD]が。これは日本でも小坂一也が「恋を運ぶ青い鳥」というタイトルでカヴァーしています。

また70年代はじめ「アメリカの女の子」THE HAPPIEST GIRL IN THE WHOLE U.S.A. のヒットで話題となったドナ・ファーゴDONNA FARGO の[HELLO LITTLE BLUEBIRD]が。これはノルウェーのカントリーディーバ、ヘイディ・ハウゲHEIDI HAUGE で聴くこともできます。

いつものことながらカントリー中心になってしまいましたので、とってつけたようにブルースとジャズを少々。

ブルースではライトニン・ホプキンスLIGHTNING HOPKINS の「ブルーバード・ブルース」BLUEBIRD BLUES。
〈青い鳥よお願いだ、南にいる彼女のところへ手紙を届けてくれ〉というブルースにありがちな未練節。

ジャズはチャーリー・パーカーCHARLIE PARKER自作の「ブルーバード」BLUEBIRD 。なんとも意味深なタイトルで「青い鳥」というより「憂鬱なバード」といったブルージーな演奏。
1947年、サヴォイスタジオでの録音で、トランペットにマイルス・デイヴィスMILES DAVIS 、ピアノにデューク・ジョーダンDUKE JORDAN、ベースにトミー・ポッターTOMMY POTTER、ドラムスがマックス・ローチMAX ROACH というメンバー。

もうひとつはデューク・エリントン楽団DUKE ELLIGTON ORCHESTRA の「デリーの青い鳥(マイナー)」BLUEBIRD OF DELHI(MYNAH)という曲。
「極東組曲」というアルバムの一曲で、マイナーとは青い鳥の名前だとか。重厚なベースをバックにクラリネットの囀りがエキゾチックな雰囲気。

ところで、青い鳥とは実際にどんな鳥なのでしょう。
「ブルー・カナリー」がいるかどうかは別として、よくいわれるのは背や羽が青いオオルリとか、カワセミ。しかしメーテルリンクの「青い鳥」では兄妹が夢から覚めると飼っていたハトが青くなったと書かれています。つまり「青い鳥」とはハトのこと? ハトが幸福の鳥……、なんだ近所の公園行けば幸せだらけだよ、ほんとに。


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BLUE/青い鳥① [color sensation]

青い鳥.jpg

♪青い鳥を見つけたよ 美しい島で
 幸せ運ぶ 小さな鳥を
 だけど君はあの空へ 飛んで行くんだろ
 ぼくがこんなに 愛していても

 小さな幸福を ぼくの手に乗せたのに
 青い鳥 青い鳥 行かないで
(「青い鳥」詞、曲:森本太郎、歌:ザ・タイガース、昭和43年)

「青い鳥」といえば、モーリス・メーテルリンクの戯曲、チルチル・ミチルの物語。
兄妹が「青い鳥」を求めて旅する話。「思い出の国」や「夜の御殿」「幸福の楽園」「未来の国」を巡るけど、結局青い鳥を捕まえることはできなかった、というまさに「夢物語」。

日本ではよく知られた戯曲ですが、実際には読んだことがないけれど、話の大筋は知っているという人がほとんど。それほど有名な物語なんですね。ところがメーテルリンクの生まれたベルギーをはじめヨーロッパでは、ノーベル賞作家の彼の存在はしっていても「青い鳥」はあまり知られていないとか。

そんな「青い鳥」は幸福の象徴であり、チルチル・ミチルつまり「人間の人生は幸福を求める旅のようなもの」というのがテーゼ。さらにすすんで「何処を探しても見つからない幸福は案外自分の身近にあった」という教訓も。

いずれにしても「青い鳥」は人間の幸福の象徴であることには変わりないでしょう。

人間とは幸福を求めるもの、しかしそれはなかなか手にできないもの。というのは実に単純なリアリズムで、こういう図式は流行歌にはピッタリ。

「青い鳥」が日本に紹介されたのは明治後期ですが、戦前の流行歌の中では聞いたことがありません。多分わたしが知らないだけであったのでしょうが。

戦後になると、
♪青い鳥いとしや いずこえ消えたか恋の鳥
という岡晴夫「東京の青い鳥」(昭和29年)が。この場合の青い鳥は恋人のこと。岡晴夫には他に「君は愛しの青い鳥」があるそうですが、未聴。
また、昭和31年の「自転車旅行」(岡本敦郎)には
♪青い小鳥の住む国へ チリリンチリリンと ベル鳴らし
と出てきます。

しかし、本格的に日本の流行歌の世界に「青い鳥」が飛び交うのは昭和も40年代になってから。

そんななかで比較的古いのは昭和41年の、
♪青い鳥が泣いている 小さな庭の片隅で 「青い鳥が泣いている」ブロードサイド・フォー
幸せをなくした友?を励ますという「バラが咲いた」(マイク真木)を思わせるストーリー性のない和製フォーク。シンプルなアルペジオをバックに。たしか「若者たち」のB面。
まさに和製フォークとGS(グループサウンズ)の両輪が動き始めた日本のオリジナルポップスの萌芽期に出た歌。

そしてそのGSから昭和43年にヒットしたのが上に歌詞をのせたタイガース「青い鳥」
GS特有のメルヘンソングでシチュエーションは「美しい島」。メーテルリンクの戯曲そのままに見つけた青い鳥は飛んでいってしまう。「青い鳥=叶わぬ夢」は“原作”以上に輪郭が強調されていたり。

どちらかというと暗くネガティブな歌謡曲を引きずっていたGSに比べ、その直後のヤング流行歌の主流となったアイドル歌謡では、おなじ「青い鳥」をうたってもはるかにポジティブ。それが昭和48年のヒット曲。

♪ようこそここへ クッククック わたしの青い鳥 「わたしの青い鳥」桜田淳子
青い鳥の訪問に誰よりも幸せ感じちゃってるおんなの娘。「どうぞいかないで」という願いの言葉も不安などみじんもなく、幸せいっぱいに聞こえます。

アイドル歌謡ではさらに昭和52年になると、
♪青い鳥逃げても もう泣かないわ 「青い鳥逃げても」伊藤咲子
昨日までいた青い鳥が消えて、幸せが粉々にくだけちっても、わたしは泣かない、きっと立ち直ってみせる、と“ひまわり娘”がうたっております。こちらも「青い鳥、行かないで」と懇願していたタイガースの悲壮感などまるでなし。

アイドルでいえば小泉今日子にも「AOITORI」が。

20年以上昔、「青い鳥症候群」という言葉がマスコミで取りざたされたことがありました。風俗(困るなぁ、こう書くと誤解を生むようになってさ)関係の本などでは当時の流行語なんて書かれているものもありますが、それほどでも。しかし、よく耳目にしたことはたしか。
これはたしか、夢ばかりを追い続けていつまでも大人になりきれない人間たちのことをいっていたと思っていましたが、インターネットで調べてみるとだいたいは「就職してもさらなる適性の職種があるのではと、次から次へ転職する人間のこと」というかなり限定的な意味で紹介されていました。いつから変わってしまったのだろう。それとも初めから?

しかしチルチル・ミチルも歳を重ねれば、生きるために現実と向き合わざるをえなくなるでしょう。で、彼らは「青い鳥」を探すのをやめるのかといえば、決してそうではなく、夢と現実の両面をかかえながら、バランスをとりながら生きているのではないでしょうか。そういう人間の方が圧倒的に多いような気もしますね。できたら“夢”の方に全比重をかけたいなぁ、なんて思いながら。

♪しあわせの 青い雲~ ……違うか。


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YELLOW/カナリヤ② [color sensation]

ダイナ・ショア.jpg

♪人々の愛を受けるために飼われて
 鳴き声と羽の色でそれに応える
 カナリア カナリア カナリア
 カナリア カナリア カナリア
 盗賊は夜を祝い君に歌わせ
 プリンセスからの長い恋文を待つ
 カナリア カナリア カナリア
 カナリア カナリア カナリア
 いちばん夢を見てた人のことを教えて
 いちばん恋をしてた人のことを教えて
 いちばん大好きな人の名前打ち明けて
(「カナリア」詞、曲、歌:井上陽水、昭和57年)


そもそもカナリヤの原産地はその名のとおりアフリカ北西の太平洋上に浮かぶ「カナリヤ諸島」。♪カナリア・アイランド 風も動かない…… という大滝詠一「カナリア諸島にて」があったっけ。なお、「カナリヤ」と「カナリア」という表記は統一されていないようです。カナリヤ、カナリア、イタリヤ、イタリア、「ア」のほうが響きはいいな。

カナリヤというと一般的にはカナリヤ・イエローなどという色名があるように黄色と思われがちですが、野生のカナリヤはヒワのように黄色や緑色の混じった目立たない色。つまりあの鮮やかなレモン・イエローは飼育改良されたもの。
ちなみに十九世紀の戯作者で「南総里見八犬伝」などを著した滝沢馬琴は「飼育法」を書くほどカナリヤに夢中でしたが、彼の飼っていたカナリヤは「極黄色」、つまり鮮やかな黄色だったようです。

かつて日本で人気のあったローラー・カナリヤはドイツで改良されたもので、その鳴き声の美しさに特徴があり、とりわけ黄色のローラー・カナリヤはペットとして人気だったとか。
一般的には美声を聞かせてくれるのはオスだけだといわれているが、ローラー・カナリヤの場合、美しい声で鳴くメスもいるとか。また、いい声で鳴くためには“美声の持ち主”のそばに置くことが肝心で、そうした訓練もあるそう。
現在でも犬猫ほどではないが、ペットとしての小鳥の人気はあり、カナリヤもいまだに好まれているとか。ちなみに値段は1万円前後からあり、ペアでも2万円。なお、カナリヤの平均寿命は10年あまりだといわれています。

またカナリアといえば、その“敏感体質”を利用して“毒ガス検知機”としても利用されていました。これはイギリスの炭坑ではじめられたようで、ガスが発生している可能性のある坑内へ入るときに用いられたとか。つまり先行者が鳥籠を持って行き、中のカナリアに異常が見られたら危険ということに。考えてみれば残酷な話ですが。

そんな“献身的”なカナリヤへのシンパシーと愛おしい思いをうたったのが井上陽水「カナリア」。陽水独特のエキゾチックなメロディーと歌詞で、とりたててその種類や色は出てきませんが、「鳴き声と羽の色」で人目を魅くのですからきっと黄色のローラー・カナリヤだと想像できます。

それではカナリヤの囀りをいくつか。

♪初めての口づけ交わした窓で あのときのカナリヤがうたっている 「悲しきカナリヤ」岡田可愛
昭和43年に放映された「進め!青春」(主演・浜畑賢吉)の挿入歌。「進め!青春」は昭和40年に始まった「青春とはなんだ」(主演・夏木陽介)からの青春ドラマシリーズのひとつ。「サインはV」でもおなじみの岡田可愛はこの作品まで一貫して出演していた青春アイドル。シンガーとしては「小さな日記」が代表曲。作詞作曲はいかにもの“青春コンビ”岩谷時子いずみたく
この失恋ソングでのカナリヤは、幸福だったときの彼との思い出。

♪歌を忘れたカナリヤよ 今僕らは何処にいるのか? 「カナリヤ」GLAY
故郷から遠く離れてという、いわゆる“思えば遠くへ来たもんだ”的な歌でしょうか。ここでも「歌を忘れた」というカナリヤ定番のフレーズが。おそらくカナリヤは自分のことであり、歌とは輝きであり青春ということなのでしょう。

♪言葉を忘れたカナリヤが空を飛ぶ 「カナリヤ」THE YELLOW MONKEY
こちらのカナリヤが忘れたのは歌ではなく言葉。「沈黙のカナリヤ」という意味では同じ。ただ歌と言葉は似ているようでいささか違うような気も。うたうということは特別な表現ですが、話すということは日常的な表現。日常的表現手段を奪われた方がはるかに疎外感は深そう。

浜崎あゆみにも「KANARIYA」があり、そこでは♪声を押しころしたカナリヤたちは と。やはりこちらも「沈黙のカナリヤ」ですが、♪なけなくなったワケじゃなくて 泣かないようにと というように他力でそうなったのではなく、自ら感性を閉ざして無機的存在になっていくと宣言しているような。

♪苦い蜜かじってみた小鳥みたい 震えてる Lonely Canary 「ロンリー・カナリア」中島みゆき
ロンリー・カナリアとはもちろん恋人と一緒にいてもなぜか寂しさをぬぐえない自分のこと。多分不倫の恋なんでしょうね。そんなことより、ジャジーな中島みゆきって聞き慣れないせいかいいんだか、よくないんだか。画像は柏原芳恵で。

♪逃げ出せ 飛べよ カナリヤの空へ 「カナリア鳴く空」東京スカパラダイス・オーケストラ
空飛ぶ鳥というのはしばしば「自由」の象徴としてうたわれます。このカナリアもまたそうなのでしょう。なぜハヤブサやコンドルやハトではなくカナリアのなか、というのは愚問かも。このうたのなかでの「沈黙のカナリヤ」は♪飛ばないカナリヤ というフレーズでうたわれています。ごきげんなサウンドとチバユウスケのヴォーカルがイカしてる。
これまでの「カナリヤの歌」と違うのは、それらがほぼ後ろ向き、あるいは停滞の自分であり現状であったのに対して、こちらは上の歌詞の一部でもわかるとおり前向き未来志向。
もちろん流行歌なので必ずしも前向きが“良い”というわけじゃありませんが。

まだまだあるぞ「カナリヤ・ソング」。でもそろそろだな。

はじめにイエロー・カナリヤが飼育改良されたものといいましたが、そうすると、そうイエロー以外のカナリヤもあるはず。実際あります。ホワイト・カナリヤにレッド・カナリヤが。

黄、白、赤とくればもうひとつ「青」。
残念ながらブルー・カナリヤという種類はいないようです。
しかし、「カナリヤの歌」数々あれど、最もヒットした歌といえば「青いカナリヤ」BLUE CANARYではないでしょうか。ダイナ・ショアDINAH SHORE の1953年のヒット曲。哀愁にみちた曲はアメリカ本国よりも日本での方がヒットし、雪村いづみのカヴァーも大ヒット。
♪さみしいカナリヤ わたしのお友だち…… は井田誠一の訳詞。昭和29年といいますから本家のうたった翌年のヒット曲。
他ではいしだあゆみがカヴァーしています。また同名異曲?ではジッタリン・ジン「青いカナリア」が。これは「青い鳥逃げた」の歌。

最後は黄色から青に変わりましたので、いざ進めということでさらに色つきの鳥を。


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YELLOW/カナリヤ① [color sensation]

レモンカナリア.jpg

♪唄を忘れた金糸雀は 後ろの山に棄てましょか
 いえいえそれはなりませぬ 
 …………
 唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に銀の櫂
 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす
(「かなりや」詞:西條八十、曲:成田為三、大正7年)

ひところ「童話」や「童謡」が残酷な話として解釈するということがブームになりましたが、この大正ロマンの香る「かなりや」もまた残酷な歌といえばいえる。

「かなりや」は鳴かなくなったカナリヤを山に棄てたり、藪に埋めたり、柳の枝で打ち据えてしまおうか、というコワイ歌。もちろん、童謡なので最後に“助け船”を出すのですが。

日本では江戸時代から飼われているというカナリアですが、ペットとして人気になったのは、その黄色という色彩の美しさ。金糸雀とはうまい字をあてたもので、いかにも高価な小鳥のイメージがします。
そしてカナリヤのもうひとつの魅力はその鳴き声。その美しい囀りを聞きたくて飼う人も少なくなかったようです。

上にのせた童謡「かなりや」には、鳴き声を目的に飼育したのに鳴かなくなったのでは棄てるしかない、という人間の勝手な考えが透けて見えます。つまり役に立たないものは廃棄すべきだと。
実際、わたしが子供の頃この「かなりや」を初めて聞いたときは「棄てる」「埋める」「打つ」という歌詞に反応して、とても暗くてコワイ歌だと感じたものです。そんな非道いこと言わずにはじめから月夜の海に浮かべてやればいいのに、とまでは思いませんでしたが。

まぁ、人権意識が未成熟だった大正時代の歌ではありますが、人間という集団が構成する社会につきまとう「姥捨て思想」「棄民思想」という普遍的な問題を抱えているような(大げさだね)。

この西條八十の印象的なうたい始めをタイトルにしたのが長渕剛
「トンボ」を彷彿とさせるその「唄を忘れたカナリア」では
♪唄をわすれたカナリアよ 破れた喉を引き裂き
 真っ赤な血を吐き 突き刺すように 泣いてやれ!
とうたっています。

これは長渕お得意の“反逆のメロディー”。
世間から殴られ蹴飛ばされて縮こまっている若者に、立ち上がれ! 拳を握れ!と励ましています。カナリヤとはもちろん若者たちのことで、彼らが忘れた“唄”とは“怒り”であり“本音”なのでしょう。だからカナリヤは鳴くのではなく“泣く”のです。

童謡「かなりや」は今でも抒情歌として多くの歌手にうたわれています。
由紀さおりもそのひとり。そんな彼女にもうひとつカナリヤの歌があります。

それは「金糸雀(カナリア)」さだまさしが書き、昭和56年に「両国橋」のB面としてリリース。
♪あなたは男だから きっと解らないのでしょう 金糸雀はひとりでは生きていけないのです

恋人に別れを告げるために路地を通り彼の家へ向かう女性の心情がうたわれています。
歌詞の中に、彼女がプレゼントした金糸雀を彼が、「逃がしておやり」「自由に空を飛ばしてやれよ」というところが。
こういうあまりにも理解がありすぎえる男に不安やもの足りなさを感じ、彼女はきっと彼から気持ちが離れていったのでしょう。もちろん金糸雀とは彼女自身のこと。

じつはこの歌、十数年後にさだまさしが「金糸雀、それから……」というタイトルでメロディーはそのままに、詞を幾分変えてリメイクしています。
その変えた詞の中に
♪唄を唄えなければ 金糸雀ではないでしょうか
という部分があります。
これが童謡「カナリア」の「唄を忘れたカナリア」にダブルエクスポーズ。

ただイコールではなく、金糸雀は唄を忘れたのではなく、唄をうたえなくなった、あるいはうたわなくなったという違いが。
金糸雀にとって“唄”とは彼への思い、愛情ということになるのでしょうか。

この「金糸雀、それから……」のテーマは男への未練を残しつつも別れていく女ということで由紀さおりの「金糸雀(かなりや)」とまったく同じです。
しかし、前述したように詞は、登場するアイテムやシチュエーションなど、かなり変えられています。

たとえば、「旧作」では別れるために彼の家へ向かう彼女は途中、朝顔の種を買うのですが、「新作」ではたんに花を買うことに変えてあります。
また「旧作」では金糸雀は彼女が彼へプレゼントしたことになっていますが、「新作」では元々彼女が自分の部屋で飼っていたもので、それを見て彼が「放してやれよ」と言った、と変わっています。

そのほかにもいくつかあるのですが、こういう詞の変更というのはめずらしく、その間の作者(さだまさし)の変化が読み取れてとても面白い。
ただそれを分析していくと話がいつまでも終わらなくなってしまうので、また別の機会ということで。ただ個人的には改訂版よりもオリジナルを支持しておきます。

「唄を忘れたカナリア」はたま「さよなら人類」にも出てきます。
♪歌をわすれたカナリア 牛をわすれた牛小屋……
と韻を踏みながら不完全なものを並べています。この歌の場合、歌を忘れたカナリアを消去してしまおうとか、あるいは反対に再生させようとか、あるいは「それでもいいじゃないか」といった擁護のメッセージではないようで、ただ不完全なものが存在する事実をそのままをうたっているように感じられます。

カナリヤはご存じのとおり、ペットとして根強い人気がありますが、実は歌の世界でもその色味の鮮やかさでしばしば取り上げられているようです。
これは流行歌でも大事なことで、たとえば青空を舞うカナリヤの「黄色」、あるいは若葉の中の「黄色」、さらにはモノトーンの中に浮かぶ「黄色」など、色彩イメージとしてかなりのインパクトを与えます。

ペットとしての鳥類は犬猫ほど注目されませんが、流行歌の題材としては彼らをはるかに凌いでいます。そのなかでもカナリヤは、カモメと並ぶくらい多くとりあげられている鳥かもしれません。
「唄を忘れたカナリヤ」なんて比喩も詩的なのかも。そんな歌がまだまだあります。


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