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おかしな男 [books]


残念ながら邦画の場合、映像の断片は脳内スクリーンに残っていても音楽や歌が……。

それでも小林信彦氏の邦画ベスト100は、洋画以上に納得。

小津安二郎でいちばん好きな「麦秋」そして「東京物語」。

宮口精二、稲葉義男、千秋実といった脇役の存在感まで活かした黒澤明の「七人の侍」、そして「用心棒」。

短評で小林信彦氏が「最高傑作」といっている成瀬巳喜男の「浮雲」(同感です)。

新珠三千代の汚れ役もよかったけど、やっぱり芦川いづみが可憐だった川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」。さらに同じ川島監督でフランキー堺の怪演がすべてだった「幕末太陽傳」。

吉永小百合の出世作だった浦山桐郎の「キューポラのある街」。不満なのは「私が棄てた女」がリスト外だったこと。
余談ですが、この小林信彦氏の本ではじめて知ったのですが、「私が棄てた女」のキャスティングをはじめ、浦山監督は、棄てる男に小林旭、捨てられる女に都はるみを考えていたとか。

この映画は小林トシ江演じる森田ミツの映画であり、それを捨てる男が小林旭はないですし、都はるみもありそでなしじゃないでしょうか。

ま、話を戻しまして、そのあとも春川ますみの東北女が最高だった今村昇平の「赤い殺意」。伴淳三郎と高倉健の刑事コンビが志村喬と三船敏郎コンビに匹敵するほど印象的だった内田吐夢の「飢餓海峡」と「宮本武蔵・一乗寺の決闘」。

中村錦之助ならばやっぱり加藤泰の「沓掛時次郎・遊侠一匹」。すぐ殺されちゃうけど渥美清も出ていたし、残念ながらメロディーも詞も覚えていませんが、ラストはフランク永井の歌でしたが、残念ながら歌詞もメロディも消去されております。。

そして87本目が、やっと歌が聴こえてきました。

昭和44年、西暦でいえば1969年の松竹映画。山田洋次監督の「男はつらいよ」、シリーズ第一作。

渥美清は東映の喜劇列車シリーズから、それこそ小林信彦氏の本のタイトルのように「おかしな男」ということでファンだったので、第一作から封切で観ておりました。

観たのはたしか新小岩、高校時代のクラスメートとだったと記憶しています。
わたしもつれも笑いました。とにかく笑いました。映画であれほど大笑いしたのはそれ以前に観たゼロ・モステル主演の「ローマで起こった奇妙な出来事」以来。というか、この2本だけ。

倍賞千恵子も中学以来のファンでした。似た子がいて…。それにロケーションも馴染みのある葛飾・柴又ときては観ないわけにはいきません。
ファーストマドンナの光本幸子がまた粋で、おいちゃんの森川信が昭和のコメディアンの片鱗を如何なく見せてくれて。

盆暮れの映画が楽しみになったのは、東映時代劇以来でした。

でも、心底面白かったのは第7作の「奮闘篇」くらいまで。マドンナが榊原るみでしたが、かのミヤコ蝶々扮する寅次郎の瞼の母出現の巻です。これは第1作につぐ傑作ではなかったでしょうか。

あとはもう正直、偉大なるマンネリに対する「お付き合い」というか「義理と人情で」といいますか、そんか感じで最後まで観つづけ、見納めました。

たしかに、その後の吉永小百合や浅丘ルリ子、松坂慶子といった美しきマドンナたちには楽しませていただきました。でもねぇ。

何度聴いても面白い落語と同じで、笑わせてくれるのですが、それ以上にこちらが期待してしまうものですから。
やっぱり、後の俳優さんには申し訳ありませんが、「おいちゃん」が変わってしまってからでしょうか。それほど森川信の存在は大きかった。

話は尽きませんので、おなじみの主題歌を。


言うまでもなく作曲は山本直純。
クラシック畑の作曲家ですが、映画音楽、流行歌、CMソングも少なくない。たとえば赤木圭一郎の「風は海から吹いてくる」、三浦洸一の「青年の樹」、クレージーキャッツの「学生節」、小沢昭一の「ハモニカ・ブルース」(小沢と共作)。CMならボニージャックスがうたった「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」とか。

作詞も西條、佐伯、星野、阿久と言われるぐらい(誰も言っていない)、ヒット曲メーカーだった星野哲郎。
古くは「夜が笑ってる」から「出世街道」、「三百六十五歩のマーチ」、「自動車ショー歌」、「みだれ髪」、「純愛のブルース」、「風雪流れ旅」まで数え上げたらきりがないほど。

そんな大家の作詞作曲にもかかわらず、聴きやすく、覚えやすい歌に仕上がったのは、山田洋次監督の注文だったのではないでしょうか。

特別名曲というほどの主題歌ではありませんが、この歌が聴こえてこなければ毎度毎度の「おもしろ咄」ははじまりません。

もうひとつつけ加えると、「男はつらいよ」では、毎回その時々のヒット曲がまるで、年代スタンプのように、挿入されていました。出演者の誰かが口ずさんだり、ラジオやテレビから聴こえてきたりという具合に。

第1作では北島三郎の「喧嘩辰」でした。寅とお嬢さんが競輪(オートだったか)で遊んだあとの食堂で、ラジオで流れていたような。そして、「デイト」の後のお嬢さんの家であるお寺の耳門での別れのシーン。握手の後、ほろ酔いのお嬢さんが千鳥足で口ずさむ。そのあと寅が楽しかったデイトの余韻に浸るように、深夜の近所迷惑かえりみず、小躍りしながらうたっちゃう。名シーンでした。

もうひとつ歌といえば、「とらや」の裏の印刷工場の職工たちがうたっていた「すいかの名産地」これも耳に残りました。
なぜ職工たちがうたっていたのかはわかりませんが、「すいかの名産地」はアメリカ民謡に日本語詞をつけたものです。

作詞は高田三九三という童謡作詞家で、オリジナルもつくりましたが、外国童謡の訳詞が有名で、「メリーさんのひつじ」や「十人のインディアン」などもそうです。

邦画編はこの1曲ですので、ずいぶん長くなりました。そろそろです。

このところ「男はつらいよ」の周辺がなにやら騒がしくなってきております。第50作ができるとか、NHKで寅の子供時代を描いたドラマが始まったとか。大阪生まれの「男はつらいよ」(つらいねんじゃないのかな)がはじまるとか。

それならば、いっそのこと本当の意味でのリメイク版「男はつらいよ」が見てみたい。その場合車寅次郎を誰が演じるかが最大の問題です。もちろんさくらさん、、おいちゃん、おばちゃんの演者も気になりますが。

渥美清に代わる寅さんはいないだろうなぁ、と思う反面、きっとあの「おかしな男」に迫りうる、あるいは超えてしまう役者がどこかにいるような気がするのですが。
とはいえ、はたして令和の若者たちにあの「おかしな男」の人情噺が通用するのだろうか。








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青い山脈 [books]



洋画に続いて、小林信彦氏が選んだ邦画100本の映画音楽を。


こちらは、洋画に比べてシンクロ度がかなり高い。観ている本数でみるとおよそ60%あまり。とりわけ昭和30年代から40年代初頭の作品については、そのショートコメントも含めてウレシクなるほど同期しています。

ところが、音楽となると……。
これはもちろん小林信彦氏のせいでもなんでもなく、リストアップされた映画のタイトルをみると映像は浮かんでくるのですが、その音楽がほとんど聞こえてこないのです。


とりわけ戦前の作品となると、昭和6年の初トーキー「マダムと女房」から19年の戦争映画「電撃隊出動」まで24本ありますが、観たのは、成瀬、溝口、黒澤作品などのちに名画座で観た6本。

しかし、そのいずれからも映画音楽はもちろん、挿入歌も聴こえてきませんでした。

考えてみれば、かつての日本映画というのは流行歌との「タイアップ作品」(旅の夜風のような)を別にすると、映画音楽そのものを、たとえばラジオで単独に流すとか、サウンドトラックとしてレコード化するということがほとんどなかったので仕方のないことではあります。


これは全滅か? と思いきや、わずかではありますが、主題歌が聴こえてくる邦画がありました。もちろんタイアップ作品ではありますが。

昭和24年、映画も歌も爆発的にヒットし、当時のすさんだ日本の社会に一筋の光明をもたらした(まだ未生だったので大げさに言ってます)かの映画。
そうです、石坂洋次郎原作の「青い山脈」です。


小林信彦氏は「この時代でしか成立しない民主主義讃歌」と短評しています。


一地方都市で町じゅうを巻き込んで起こった新旧対立の学園騒動。
たしかに戦後の新しい風が、旧き因習を吹き飛ばしていくという、昭和24年という時代をバックグラウンドとした映画ではありましたが、この映画が、のちの映画やテレビの「学園もの」のひとつのスタイルになるという普遍性も持ちえた映画であったことも間違いないのではないでしょうか。


その新しい青春物語以上に、敗戦間のない日本人に浸透していったのが、藤山一郎と奈良光枝のうたった主題歌「青い山脈」。

♪若く明るい歌声に と新時代謳歌の詞は戦前・戦後と昭和の歌謡曲の礎をつくった西條八十。代表作品は戦前の「東京行進曲」や「旅の夜風」。


ただ、この歌をつくる数年前まではいくつもの軍歌をつくり「鬼畜米英」で国民を煽っていたこともたしか。

それが、♪古い上着よさようなら 悲しい夢よさようなら
とその変り身の速さ。でもそれは西條八十だけではなく、多くの文化人、さらにいえばほとんどの国民がそうだったし、またそうでなければ生きていけなかったのだから仕方がないことなのかも。


それでも「青い山脈」が当時の人々に受け入れられ、70年近く経とうという現在もまだ歌い聴きつがれている(細々ではあるけれど)のは、

♪あこがれの 旅の乙女
♪かがやく峰の なつかしさ 
♪旅路の果ての その果ての 
♪みどりの谷へ 旅をゆく

という歌詞からも垣間見える、自由や民主主義という社会性よりも、日本人の不変的なかつ普遍的な心情に訴えてきたからではないでしょうか。とりわけ3度使われている「旅」がわが先輩方の抒情に、さらには旅情に突き刺さったからではないでしょうか。当時の閉塞された時代を考えればなおさら、
♪みれば涙が またにじむ
という心情だったのではないでしょうか。


あの印象的なイントロ(名曲はいつもそう)ではじまる曲についても。

明るいなかにも憂いのあるメロディーはやはり昭和を代表する作曲家・服部良一。
西條八十の詞が先にできていて、それを念頭に当時の満員電車の中で短時間のうちにつくったそうです。


戦後の服部メロディー、たとえばヒット曲の「東京ブギウギ」、「東京の屋根の下」、「銀座カンカン娘」のジャズ風、ポップス風の曲調に比べると、「青い山脈」は明るさがあるとはいえ、従来の歌謡曲の主流であるマイナー調。いささか違和感のある人も。


しかし、服部のスタンスが長調主体であったわけではありません。戦前ならば「別れのブルース」や「湖畔の宿」はじめ多くの短調のヒット曲をつくっています。

ただ戦後、もちろん戦前からの洋楽のさらなる影響もあるでしょうが、今後はもっと明るい曲をつくり日本の日本人の復興に貢献したいという思いがあって、明るい曲=メジャーチューン主体の曲、ということになったのでしょう。


余談ですが、この曲に唯一(かどうだか)反対したのが監督の社会派・今井正で、映像に音をシンクロさせるダビングにも来なかったとか。もしかしたら、〈もっと明るいメジャーの曲を〉と考えていたのかもしれません。にもかかわらず服部メロディーが採用されたのは、この歌が気に入っていたプロデューサー・藤本真澄の力が強かったから、といわれています。


もし監督の意向が通ったら映画はともかく、主題歌がこれほどの国民的な歌になったかどうだか。もっとすごい歌になっていたかも? それは誰にもわかりません。でも、今井正のあの映像、服部良一・西條八十のあの歌はとびきり素晴らしいものだったことは間違いありません。


昭和24年に公開(東宝)されたこの映画、主役の島崎先生が原節子、新子が杉葉子でした。どちらも近年亡くなられました。もちろん公開時、わたしはまだ生存しておりませんので、のちに、それも20年あまりのちに観ました。名画座で。


それより先に観たのが38年の日活によるリメイク版。こちらもリアルタイムで観たわけではなく、公開から数年遅れてからでした。こちらは芦川いづみ先生と吉永小百合生徒のコンビでした。

観たのは高校生ぐらいだったと思いますが、やはり「焼けあと」の記憶がない人間にとっては、いささかストーリーが「ちょっと昔の」、という印象を受けた記憶がありました。それでもあの島崎先生の可憐さには生意気なガキもイチコロでした。


もちろん主題歌も東宝作品と同じでしたが(ちなみに神戸一郎と青山京子のデュエット)、わたしにとって「青い山脈」といえば諸先輩には申し訳ないのですが、原節子でも杉葉子でも、池部良(良かったなぁ)でもなく、また吉永小百合でも、浜田光夫でもなく、まちがいなく芦川いづみなのです。


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パルプフィクション Pulp Fiction [books]


1994年、クエインティン・タランティーノ監督の作品。小林信彦氏 が選んだ99本目の洋画。

確かに観ましたが、いつ、どこで観たのかまったく覚えなし。


その 2年前の「レザボア・ドッグス」でタランティーノ初体験(デビュー作だものね)。
でもあの暴力シーンに辟易。でも、かの作品の一般的評価は良く、おのれの映画センスを疑うことに。でも、もう一度観ようとは思わなかったし、今でも残り少ない時間を費やそうとは思いません。


ただ、その時は起死回生といいますか、今度こそという思いでタランティーノ再挑戦で「パルプフィクション」を鑑賞した次第。


で、見終えての感想は、「なんともとっちらかった映画」。監督自ら「安っぽい話」といっているので、そうなのでしょうが。前作ほど嫌悪感はありませんでしたが、小林信彦氏のようにもう一度LD(もはや死語)で観たいとはこれまた思いませんでした。


といいますか、タランティーノとの相性がよくないことを再認識したわけで、三度目はないという結論に。したがって「キル・ビル」は観ていません。


ただキャラの濃い、ジョン・トラボルタ、サミュエル・J・ジャクソン、、ユマ・サーマン、ブルース・ウィルスといったキャストの印象だけは強かった……。


そんななかで印象に残ったのが、何曲も流れたポップス。小林信彦氏も音楽を評価しておりましたが、その点は大賛成。

半分近くは初耳の曲でしたが、スタットラーブラザーズのカントリーFlowers on the Wallがあったり、エレキインストのミザルーやサーフ・ライダーがあったり。どれもパルプミュージックではありますが、これがなかなかいい。


なかでもいちばん印象に残ったのが、エド・サリバンとモンローのまがい物が司会をするダンス大会で、トラボルタとユマが踊るシーンのバックに流れていた「ユー・ネヴァ・キャン・テル」You never can tell  。


映画では本家のチャック・ベリーではなく、アーロン・ネヴィルというシンガーだそうです。このフランス語を取り入れたロケンローは(この映画の影響かもしれませんが)、カヴァーというか、持ち歌にするシンガーが少なくなく、わが「女神」のひとりであるエミルー・ハリスもアルバムに入れております。


若くして一緒になった二人が、たいしたことはないけれど、それなりの時間を過ごしてきた。ま、これが人生ってもので、あんたにもいつかわかるさ。


というような内容の歌。なんだか遠い昔の無気力時代を思わせる歌詞とブギウギのリズムが、ロケンロー大好きのわたしを共振させてくれるのです。


あらためてロケンローというのはスゴイ。
50代はもちろん、60代だろうが、70代だろうが、80代だろうが、もしかしたら100歳を超えても人間のからだを操作してしまうのですから。耳からブギウギが飛び込んでくると、自然とからだが小刻みに揺れ始める。その高揚感を抑えることも、隠すこともできはしない。まさに露見老……。



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スティング The Sting [books]



小林信彦氏の「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」は氏が選んだ、洋画・邦画各々100作品をピックアップしてあるのですが、それは順位付けをしているわけではなく、年代順に寸評を添えて紹介しているのです。

その89本目1974年の作品(米公開は前年)がジョージ・ロイ・ヒル監督の「スティング」。

主演は「明日に向って撃て」(邦題はあきらかに「俺たちに明日はない」の便乗)からの再コンビのポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。

ビリー・ザ・キッドを演じた「左ききの拳銃」から世界チャンプ、ロッキー・グラジアーノがモデルの「傷だらけの栄光」、そして「ハスラー」、「暴力脱獄」、「動く標的」、「引き裂かれたカーテン」と、ポール・ニューマンはわが「反逆のヒーロー」だったので、この映画は封切ロードショー(今はいいませんか)で観に行きました。

前回の「俺たちに明日はない」同様、こちらも大不況に見舞われたアメリカの1930年代が舞台の映画。

スティングとは「騙す」という意味があるようで、まさに詐欺師たちを主人公にしたストーリー。

詐欺といえば日本では高齢者を狙った「オレオレ詐欺」などが社会的犯罪として問題になっていますが、「スティング」の詐欺師たちがターゲットとするのは、暗黒街の極悪ボス、それも詐欺師の仲間を殺した復讐すべき相手。つまり観客は、「騙されて当然の人間」という免罪符のもとに、詐欺師たちに加担するのでした。詐欺師たちにシンパシーを感じ、かれらの芸術的トリックに快哉を叫ぶのです。

といっても、ロイ・ヒル監督が本当のターゲットにしたのは、もちろん「観客」なのです。観客たちは2時間あまりの話の中で、何度もその罠にはまり、「そうだったのか」「なんだ、そういうことか」「やられた」を連発するのでした。

わたしが最も「やられた」と思ったのは、このとてつもないトリックのキッカケをつくり、殺し屋に狙われているロバート・レッドフォード扮する若手詐欺師が、ナンパしてひと夜をともにしたレストランのレジ係の正体とその結末。

とにかく、痛快で後味スッキリの名作です。
やっぱりポール・ニューマンが良かった。「暴力脱獄」のあの“ガッツ”や、野心に燃えるかのハスラーが年を経て、シブ味のきいた粋な大人になったんだ、などと思わせてくれました。

さて、その主題歌はスコット・ジョプリンscotte joplinが奏でる「ジ・エンターテイナー」the entertainerや「メイプルリーフ・ラグ」maple leaf rag などのラグタイムピアノ。

もはや記憶が散逸する歳なので、正確には覚えていませんが、当時スコット・ジョプリンのアルバムを購入したのですが、それが「スティング」を見てからなのか、その前なのかはっきりしません。たしか、友人の家でスコット・ジョプリンのレコードを聴いて、「買おう」と思ったことは間違いなく、ただそれが、映画を観た後だったのか、前だったのか。

いずれにしても、当時デューク・エリントンやテディ・ウィルソン、レイ・ブライアントなどのジャズピアノが好きで聴いていたのですが、スコット・ジョプリンは、そういうものに比べてその旋律や音色がのどかで、なんともgood old days 感がたまりませんでした。

このラグタイムピアノも、前回の「俺たちに明日はない」の「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」同様、映画によって再認識、再評価された音楽であり、楽曲でした。

それが現在、なぜかJリーグや高校野球の応援歌としてしばしば耳にします。とりわけJリーグではスキャットで。
多分サポーターや高校野球の応援団、ファンは、元の曲など知らないで歌い、演奏しているのでしょうね。でも、いつ誰がこの曲を応援歌にしょうと目をつけたのでしょうか。いずれにしろ歌や楽曲が生き残っていくということでは、意味のあるこのなのでしょう。

そういえばこの「ジ・エンターテイナー」つい最近、TVCMで耳にしたような記憶があるのですが、空耳でしょうか。なにせ記憶が散逸してしまっておりますので。

とにかく、小林信彦氏も「ぼくも騙された」とその騙しのトリックを絶賛していた「スティング」はラグタイムピアノを聴きながら、いつかまた観たい映画でもあります。

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