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俺たちに明日はない Bonnie and Clyde [books]



続いての「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」からのスクリーンミュージックは1967年公開の「俺たちに明日はない」Bonnie and Clyde 。」

この映画によって、それまでのハリウッド大作路線から新感覚の若手監督による低予算映画、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」群の抬頭の幕が切って落とされました。

個人的にはこの時代が最も映画を観た時期でもあり、「俺たちに明日はない」から「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」「ワイルドバンチ」「スケアクロウ」「カンバセーション 盗聴…」「タクシードライバー」などをはじめアメリカン・ニューシネマの名作はほとんど観ました。

ちなみに上にリストアップした作品のうち、小林信彦氏がベスト100に入れていたのは、「俺たちに明日はない」以外では「ワイルドバンチ」だけでした。

「俺たちに明日はない」もひじょうにセンセーショナルな映画で、とりわけラストシーンが衝撃的で、ヒーロー、ヒロインが数十発の銃弾を浴びて殺されるというのは、後にも先にもこの映画だけではないでしょうか。

1920年代に世間を騒然とさせた実在の銀行強盗団、バロウギャングズをモデルとしてつくられた。監督は「奇跡の人」のアーサー・ペン。

俳優はボスのクライド・バロウにウォーレン・ベイティ、恋人のボニー・パーカーがフェイ・ダナウェイ。ほかに後に大化けするジーン・ハックマンや、唯一アカデミー賞の助演賞を獲ったエステル・パーソンズやマイケル・J・ポラードらが名を連ねたが(ジーン・ワイルダーもチョイ役で)、当時知っていたのは「草原の輝き」で主演したウォーレン・ベイティだけ。

余談ですが、「草原の輝き」でもこの映画でも、また映画雑誌でも、当時の名前の表記は「ウォーレン・ビューティ」でした。

とにかく銀行強盗団が主役という破天荒なストーリーでしたが、観客の反感を霧消させ、共感を獲得するために、「大不況時代」「貧農を破産させる銀行は悪」というエクスキューズが仕掛けられたいた。そして、共感を得るためには、もっと核心的なボニーとクライドの「やむを得ないプラトニックラヴ」まで設定しておりました。

またスピーディーなストーリー展開とともに、クライドも兄のバックもCWモスも、そしてボニーもバックの彼女も、すべてが魅力的というか印象に残る演技をしておりました。

そしていよいよ本題の映画音楽です。

メインのサントラはブルーグラスの「フォギー・マウンテイン・ブレイクダウン」Foggy Mountain Breakdown。この映画のために作られたオリジナルサウンドではなく、従来からあったナンバー。

演奏はフラット&スクラッグスFlatt & Scruggs。とりわけ作曲者でもあるバンジョーのアール・スクラッグスが考案したスリーフィンガーピッキングによる早弾きが特徴の一曲。

バローギャングズが銀行を襲ったあとのポリスとのクルマとのカーチェイスにこの曲は妙に合っていました。

この映画のヒットで「フォギー・マンテイン・ブレイクダウン」も脚光を浴び、再評価され、ブルーグラスを代表する楽曲のひとつとなりました。

ふたたび余談ですが映画で取り上げれら再度ブレイクしたブルーグラスと言えば72年に公開された「脱出」(監督ジョン・プアマン、主演ジョン・ボイト)の「デュエリング・バンジョー」Dueling Banjos があります。このインストも54年につくられた曲。「脱出」もアメリカン・ニューシネマの傑作で、男が男に犯されるという衝撃シーンは、従来のハリウッド映画ではできなかったはず。

この映画で、さらにいえば「フォギー・マンテイン・ブレイクダウン」でブルーグラスファンになった日本人も少なくないはず。

個人的にも「俺たちに明日はない」は「真夜中のカーボーイ」(こちらの主題歌はやはりカントリー、ニルソンの「うわさの男」)と双璧のアメリカン・ニューシネマの傑作であり、名曲でありました。

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太陽がいっぱい Plein Soleil [books]




先日、アラン・ドロンがカンヌ映画祭で引退を表明したというニュースを見ましたが、まだ現役だったのかという思いと同時に、そういう時代になったのだなという感慨がありました。鮮やかな総天然色のスクリーンが時を経て、セピア色に色褪せ、やがて白くフェイドアウトしてしまうような。


小林信彦さんの「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」、今回のスクリーンミュージックは1960年に公開されたフランス映画「太陽がいっぱい」。この作品も何度も観ました。


この作品で主演のアラン・ドロンが日本で大ブレイク。今でいう「イケメン」の代名詞となりました。


この頃のフランス映画といえば、トリュフォー、ゴダール、レネをはじめとするヌーヴェルヴァーグの抬頭。観念的、難解な、よくいえば個性的な映画で日本の映画にも少なからず影響を与えました。


「太陽がいっぱい」の監督ルネ・クレマンはヌーヴェルヴァーグの面々よりもひと世代上の監督で、映画の本質であるエンターテインメントに徹した作品を創りました。


代表作はヴェネチアの金獅子賞を受賞した1952年の「禁じられた遊び」。この映画も戦争の悲劇が生んだ小さな恋の物語といったストーリーとともに、ナルシソ・イエペスのギターによる主題歌「愛のロマンス」が印象的でした。


「太陽がいっぱい」はピカレスク映画ですが、その最大の魅力は衝撃のラストでしょう。完全犯罪を成功させたと思い込んでいるドロンが、海辺のレストランのデッキチェアーに座り、ふりそそぐ太陽の光を浴びて、その達成感にしたりながら「太陽がいっぱいだ」とつぶやく。かなりブラックではありますが、いかにもフランス映画らしい粋でウィットの利いた結末でした。


もうひとつあの時代を象徴していたのは、殺人者と被害者との対照がでしょうか。ドロン扮する貧しい若者が、モーリス・ロネ扮する金持のボンボンのすべてを奪ってしまうというストーリー。


1960年といえば世界的な戦争が終結していまだ15年。急激な経済成長が始まっていたとはいえ、まだ多くの人が貧しかった。それはフランスも日本も同じだったのだと思います。


こうした「持たざる者」の「持っている者」への反撃が映画や文学のテーマになりえた、つまり貧しさが豊かな社会へ復讐するという構図の作品が成立した、そんな時代でした。1963年の黒澤明作品「天国と地獄」や62年の水上勉の小説「飢餓海峡」などがそうでした。


話を戻して、「太陽がいっぱい」といえば、ヒットの要素として欠かせなかったのが主題歌、つまりサウンドトラック。その憂いに満ちた旋律はドロン演じる野心のままに行動し、やがて破滅していく青年の心情を奏でるようで、多くの映画、洋楽ファンの琴線に響き、耳に残りました。


当時の洋楽ヒットランキングといえば、ラジオの「ユアヒットパレード」などがありましたが、ポップスとともにスクリーンミュージックが全盛で、この曲もナンバーワンになった(はずです)。まだビートルズ未満の話です。


主題歌の作曲はニノ・ロータ。イタリアの作曲家で、スクリーンミュージックでは1954年のフェリーニの「道」、68年の「ロミオとジュリエット」そして72年の「ゴッド・ファーザー」など、オールド映画ファンには今でもその旋律を聴くと、それぞれの思い出のシーンが甦るだろう数々の名曲を残しています。


ドロンはその後、ギャバンと共演した「地下室のメロディー」(これもラストが衝撃的な映画でした)をはじめ、「冒険者たち」「サムライ」「さらば友よ」など数多くの映画に主演しました。


ところでクールでどこか影があったドロンでしたが、「太陽がいっぱい」公開から数年後、スクリーンの中のあの冷徹な殺人者さながら、実生活のドロンがリアルな殺人被疑者として事情聴取(嫌疑不十分で不起訴)されるというスキャンダルが起きたことも衝撃的なことでした。


とはいえやっぱりオールド映画ファンにとってアラン・ドロンは当時のイケメンの代名詞であり、モテ男であったことは間違いありません。
ロミー・シュナイダー、ナタリー・ドロン、この映画で共演したマリー・ラフォレらと浮名を流したわけですから。そういえば何度も来日して、日本人の女優だかタレントともウワサになっておりました。


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女はそれを我慢できないThe Girl Can't Help It [books]



1956年のアメリカ映画。

これもリアルタイムではなく、のちに映画ではなくビデオで観ました。


おそらく観たのは70年代で、「アメリカン・グラフィティ」の影響で、遡行してみたわけです。


余談ですが、その「アメリカン・グラフィティ」が小林さんのベスト100に入っていないのはいささか不満。このへんがジェネレーションの違いということになるのでしょうか。


「女我慢」(ヘンな略ですみません)、がラブコメなのに対し、「アメグラ」は甘酸っぱい青春ドラマという違いがありました。もうひとつこの「ポップス映画」たちの大きな違いは「アメグラ」がすべてラジオから流れるBGMだったのに対し、「女我慢」はすべて「ご本人登場」。豪華さや、インパクトの強さでは圧倒的に「女我慢」で、小林さんもそのあたりを考慮したのかも。


プラターズ、ジュリー・ロンドン、ジーン・ビンセント、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、エディ・コクランと錚々たるメンバーが銀幕で歌います。


ただ、「オンリー・ユー」も「ビー・バップ・ア・ルーラ」も「ブルーベリー・ヒル」も「サマータイム・ブルース」もうたわなかった。

聞き覚えのあったのは、お目当てのリトル・リチャードのタイトル同名歌とジュリー・ロンドンの「クライ・ミー・ア・リヴァー」のみ。「アメグラ」の挿入歌はほとんど知っていましたけど。


主演のジェーン・マンスフィールドは高校生の頃モノクロの作品を一度見ました。(タイトルも内容も覚えていませんが)。友人ととにかくセックスシンボルを拝見しに行こう、ということだけで見に行ったものですから。


そのときの印象は、たしかにあのグラマラスボディに圧倒されました。テレビのプロレスでヘイスタック・カルホーンを見たときの驚きに似ています。ただモンローのエピゴーネンという思いもありました。


でもこの映画でのジェーンは“おバカ”なセクシーヒロイン上手に演じておりました。もしモンローが出なければ、もっと記憶される女優になれたのでしょうけど。


交通事故での痛ましい死は、日本の新聞でも報道され、読んだ記憶があります。
ジェーンの方が断然グラマラスだと思いますが、顔立ちはやっぱりモンローの方が好きですね。好みの問題ではありますが。

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クレメンタイン [the name]

映画音楽を。それも古いヤツを。


テキストは先日読んだ小林信彦の文庫本「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」から。オリジナルの単行本は2000年に刊行されている。


別に映画音楽が知りたくてこの本を読んだわけではなく、単純に小林信彦がどんな映画をリストアップするのか興味があったのですが。


小林信彦とわたしは、おおよそ20歳の隔たりがある。つまりキャリアが雲と泥なのだ。
内外映画のプロである小林信彦大先輩の選んだ200本のうち、若輩者のわたしはどのくらい観ているのか、そんなことにも興味がありました。


洋画は1925年の「チャップリンの黄金狂時代」から1996年のウディ・アレンの「世界中がアイ・ラブ・ユー」まで100本。
邦画は1931年の「マダムと女房」から1999年の「御法度」までの100本。


詳細に興味のある人は、読んでみてください。amazonやブックオフで入手できます。


で、わたしが観た洋画は約40%。野球だったら打率4割は驚異ですが、マニアックな映画を避けている(多分)ことを考えると微妙ですね。


そのうちスクリーンの映像とともに脳内蓄音機でミュージックが再生されたのは数本にすぎません。


まずは1946年公開の「荒野の決闘」my darling clementine もちろんリアルタイムではありません。多分70年代に名画座で観たのがはじめ。

これは「七人の侍」に匹敵するほど好きな映画です。旧い人間ですから西部劇と時代劇は“食べなれ”ていることもあり、いまだに大好物。


ご存知(でもないかも)アープ兄弟&ドク・ホリデイ対悪漢クレイトン一家とのOK牧場(実際は牧場ではなく、駐馬場?のような場所)での決闘です。なぜその牧場での撃ち合いが「荒野」になってしまったのかは不明ですが、その悪しき?邦訳は、その後も「荒野の七人」や「荒野の用心棒」、「荒野の1ドル銀貨」など西部劇で乱用されていきます。


クレメンタインはドクを追ってきた女性で、タイトルにもなっているくらいなので、ヒロインなのでしょうが、ドクの愛人の酒場女チワワのほうが存在感がありました。


ではスクリーンミュージックの話に。


この映画の主題歌my darling clemetine は冒頭とエンディングにも使われていますし、ワイアット役のヘンリー・フォンダも鼻歌でうたっていた(ような記憶があります)。ただこの歌は、映画「荒野の決闘」のために書かれたうたではなく、元来アメリカで伝承されていた歌なのです。


ちなみにこの映画が日本で封切られたのがアメリカ公開の翌年、昭和22年。まさに焼跡闇市のドサクサの中で公開されたようで、戦前戦後の事件を描いた坂東眞砂子のミステリー「ブギ・ウギ」にも通訳の主人公が日比谷の映画館で「荒野の決闘」を観る場面がでてきます。


日本公開当時、主題歌my darling clementine が日本の観客にどの程度インパクトを与えたかは知りませんが、それから10数年後、昭和も30年代に入って、日本のなかで突如親しまれる歌となります。それがなぜか「雪山讃歌」という山の歌になって。


初レコーディングしたのはダーク・ダックスで、当時の「歌声喫茶」ブームのなかで、この歌は若者のあいだに浸透していきました。


ところで♪雪よ山よ われらが宿り という日本語詞は登山家であり30年代の南極観測越冬隊長でもあった西堀榮三郎が戦前につくったものといわれている。つまり、「荒野の決闘」以前から日本では知る人ぞ知る歌だった、ということに。「宿り」なんておそらく今の若い人はつかわないだろうなぁ。


まぁ、「雪山讃歌」は「いとしのクレメンタイン」の替え歌といってもいいわけで、そういえばかの「穂高よさらば」も替え歌でした。ただこちらは洋楽ではなく、邦楽、それも軍歌でしたけど。


なおYOU-TUBEでの歌はブラウンズの歌唱でサントラ盤ではありません。






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