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Catfish John [memory]



なまずのジョンは、町を流れる川のほとりに住み着いたホーボー。

母さんは近づいちゃダメっていうけど、ぼくは彼のあとを着いていき、友だちになった。
そして、ジョンは彼が奴隷だったときのことなどいろいろな話をしてくれた。


そんな子どもの頃の思い出をうたったブルーグラスナンバー。


いまの日本だったら、「不審者」であるホーボーに着いていくなんてもってのほかで、友だちになるなんて命知らずもいいとこ、というのが社会の共通認識なのかも。

しかし、半世紀以上前にはそうではなかった。まぁ、リスクに対する意識が低かったともいえるけれど、得体のしれない人間とか変わり者はめずらしくなく、どこの横町にもいました。


そして、子どものなかにはそうした異形や異能の人間になぜか心惹かれて、まるで磁石にすいつく鉄釘のように近づいてしまう、ということがあるような気がします。志賀直哉の「小僧の神様」にもどこか似たような。


子どもの頃わたしは、「さすらいの少年」(そんなカッコいいものじゃない)でした。

よく川を渡って隣町まで行き、目的もなく歩き回っていました。


その隣町で友だちができました。どういうキッカケだったのか、まったく覚えていませが、その子は小学5、6年生の男の子。わたしは2年生だったのでお兄ちゃんです。


それからよく隣町の彼の家に遊びに行きました。部屋にあがった記憶はなく、小さな庭で空き缶で竹馬?をつくったり、縁側で自慢の根付けや蒐集している切手を見せてもらったり。夢中になるほどの時間や空間ではなかったのですが、なんだか居心地がよくしばらくは日曜日になると遊びに通っていました。


ある日、地元の兄貴連に原っぱへ来いと召集がかかり行ってみると、原っぱの彼方に隣町の悪ガキどもが10数人、こちらの人数と同じぐらいたむろしておりました。

戦争です。わたしは初体験。


やがて双方とも怒声をあげながら傍らの石を拾い、礫合戦が始まりました。


最年少のわたしは兄貴連の後で立ち尽くしていました。
それはその光景に圧倒されたからではなく、隣町の「兵士」のなかにあのお兄ちゃんを見つけたからでした。


兄貴連のひとりがわたしに向かい「お前もなげろ!」と怒鳴りました。
わたしは、しゃがみ両手で草を根ごと引き抜き、それを空に向かって放り投げました。


戦争は、礫合戦以上には発展せず、うやむやに終了しました。


その後わたしは、隣町のお兄ちゃんの家へ行くことはありませんでした。
あの「戦争」のさなか、お兄ちゃんがわたしに気づいたのかどうかわかりませんが、わたしにはその時、彼と目が合ったような気がしたのです。


小学2年にして、「恥」ということを知った日の記憶です。

この歌を聴くとそんなことを思い出します。

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