夏歌①東京五輪音頭 [noisy life]
今年は4年に一度のオリンピックイヤー。
オープニング直前ということで新聞・テレビなどの報道も盛り上がってまいりました。(さほどでもないかな)。ロンドンっていうのが微妙。
時差は8時間で、日本が先行だそうなので、たとえば陸上競技の決勝が現地の午後6時に行われるとしたら、日本では午前10時。
平日ならサラリーマンはTV観戦できない。
やっぱり日本人が出場すると盛り上がる。それもメダルの可能性があるとなるとなおさら。
まずは女子のサッカー、そして男女の水泳、陸上ではハンマー投げとヤリ投げの投擲競技。
マラソンはどうかな、レベルは女子のほうが高いけど、入賞できるかどうか。
ほかでは格闘技系。
確実なのが女子レスリングと女子柔道。まぁ、男子もうまくいけばメダル数個。
あと期待をこめてボクシングミドル級の村田。
あとはラッキーボーイ、ラッキーガールが出てくるかもしれない。
前回のフェンシングの太田(今年もでるぞ)のように認知度の低い競技で。たとえばアーチェリーとかライフルとか。
まぁ、買っても負けても拍手拍手で。
で、本題の夏歌。
「東京シリーズ」開催中(勝手にいってる)で、このタイミングなら、もうこの歌しかない。
「東京五輪音頭」三波春夫 昭和38年
もちろん東京でオリンピックが開催されることに合わせてつくられた歌。
東京オリンピックが開催されたのは昭和39(1964)年、いまから48年前。
ほぼ半世紀だもの、えらいむかしに感じるなぁ。それだけ歳をとったということだものなぁ。やんなっちゃうけどしょうがない。
だいぶ記憶が薄れてきたけど、断片的にいろいろなころを覚えています。
そのしばらくまえから、学校の先生が「立ち小便は軽犯罪なんだぞ、だからするんじゃねえぞ」なんて言ってました。まぁ、その後大人も含めて“日本人(男性)の排泄習慣”が改善されたのですから、それはそれで良かったのでしょう。
選手で印象に残っているのは、日本人なら水泳の山中毅、木原美知子、陸上の円谷幸吉、依田郁子、柔道の猪熊功、レスリングの渡辺長武、ボクシングの桜井孝雄……
外国人なら、陸上100メートルのボブ・ヘイズと中距離のビーター・スネル、、マラソンのアベベ・ビキラ、柔道のアントン・ヘーシンク、女子体操のベラ・チャフラフスカとラチニナ、そして重量挙げのジャボチンスキー。
懐かしい面々、半分以上の方々がお亡くなりになって……。そりゃそうだよな、半世紀たったんだから。
今年から導入される女子ボクシングはもちろん、柔道もレスリングもサッカーもすべて女子競技はなかった。そうそうマラソンも男だけだった。
世の中変わった、紅茶にソネット。
そんなことはどうでも。
この東京オリンピック開会式の幕が切って落とされたのが10月10日。
その数か月前の夏、耳タコ状態で聞こえていたのが「東京五輪音頭」。
実は発売されたのが前年、つまり昭和38年の6月ということで、本番の1年間から盆踊りの“メインテーマ”として流れていたのだ。そのことはほとんど覚えていない。
作曲は、日本流行歌の父(母かな)、古賀政男。詞は地方在住の作詞家・宮田隆。
なぜ宮田が作詞することになったのかは不明。コンペでもあったのでしょうか。
そして、実はこの“国民的流行歌”、各レコード会社の共作でした。
おそらく多くの人はテイチク盤の三波春夫でしか聴いたことがないのでは。わたしも大きくなって坂本九とパラキン盤(東芝)を聴くまではそう思っていました。
実際は、三橋美智也(キング)、北島三郎&畠山みどり(コロムビア)、橋幸夫(ビクター)など各レコード会社の主力歌手たちがうたっていたのです。
結果はごぞんじのとおり、三波春夫のオリジナル状態、ひとり勝ち。
もちろん、この東京五輪音頭、オリンピックのためにつくられたのですが、あまりのノリのよさからか、その後もしばらく盆踊りの定番ソングとしてつかわれていました。(今でも聞こえてくることがある)
しかし、東京の音頭といえば、戦前から延々と鳴り響いていたロングセラーソングがあります。その名もずばり「東京音頭」です。
東京音頭が誕生したのは昭和8年。その前年につくられた「丸の内音頭」が原型。つくったのは、当時の売れっ子作詞家西條八十と「カチューシャの唄」、「東京行進曲」で知られる作曲家中山晋平。
ものの本によりますと、大爆発といいますか、幕末の「ええじゃないか」よろしく各町内で老いも若きも男も女もその年の夏、踊り狂ったと書かれています。
しかし考えてみるとこの「東京音頭」、いわばご当地ソング。はたして、全国の盆踊りで流れていたのでしょうか。大阪や福岡でも櫓をかこんで♪踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ とやっていたのでしょうか。
いずれにせよ「東京音頭」が大ブレイクしたことは間違いないようで、その後「福井音頭」、「別府音頭」、「軽井沢音頭」など各地で“音頭ブーム”が起き、あげくのはては「羅府(ロサンゼルス)音頭」までできるしまつ(っていい方はないか)。
翌9年には「東京音頭」で味をしめたレコード会社が今度は中山晋平、佐伯孝夫のコンビで全国版「さくら音頭」で二匹目のナントカを狙いました。
さすがにそれは……、と思いきやなんとレコードは「東京音頭」以上に売れ、それこそ全国各地の盆踊りで踊られたとか。
しかし、不思議なことに現在、いやもっと古くても、たとえば昭和30年代の盆踊りで「東京音頭」はしつこいほど流れていましたが、「さくら音頭」など聞いたことがありませんでした。
なぜ、昭和9年の夏をあれほど席巻した「さくら音頭」は消えてしまったのでしょうか。
その直後からはじまる戦時体制による自粛ムードが影響したのか。はたまた「さくら」というタイトルが、夏向きではなかったり、地域のイヴェントである盆踊りには、あまりにも大風呂敷すぎて長続きしなかったのか。
さくらは散っても「東京音頭」はいまだ夏満開状態です。
きょ年も流れていましたし、ことしも流れることでしょう。
ロンドンオリンピックは今月の25日からはじまります。
盆踊りもそのへんからあちこちではじまるのではないでしょうか。
そして来月の12日、スポーツの祭典は閉会式をむかえます。
盆踊りは、8月の下旬まで続けられることでしょう。
そしてどこかで必ず、今は亡き三波春夫のあのハリのある声を聴くことができるでしょう。
♪ハァ~ あの日ローマで……
って歌詞もいまとなっては懐かしい。
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