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TOKYO②東京の人 [a landscape]

ザ・ピーナッツ.jpg

「東京人」という雑誌もありますが、そもそも東京人とは東京出身者ばかりでなく、東京で生活する人のこと。住民登録の有無は関係なく。

しかし、地方の学校を卒業し、東京の会社に就職してまだ半年なんて新人が「わたし東京の人間なんです」とはいささかいいにくいのでは。
本人だって、それぞれの出身地を大切にしているだろうし、「口が裂けても東京人なんていわない」なんて人もいるだろうし。
とりわけ、その対極?にある「大阪人」あるいは「関西人」はなおさらでしょう。

しかし、狭い日本、どこで住もうと「ニッポン人」でいいだろうという思いもありますが。

ことさら出身地や居住地の「東京」が強調されるのは、それが首都であり、政治・経済・文化の中心地であり発信地だから。あたりまえだけど。

そもそも東京がビッグシティになったのは、ごぞんじのように徳川幕府が誕生してからで、鄙びた武蔵野の地に全国各地から入居者が殺到し、あっという間に大都市江戸が形成されていったことは小学生でも知っている。

とりわけ商売・経済の中心となった日本橋界隈には畿内からの移住者が多く、彼らは好んで「伊勢屋」、「近江屋」などと出身地を屋号とした。
新天地に就き、旧習にしばられることなく新しい生き方を追求する彼らの生活の中から独自の生活様式や文化が生まれてきます。それがイキだのイナセだのという江戸文化ということになるのでしょう。

ということは、江戸っ子、さらには「東京人」の多くは、元をただせば「畿内人」、大雑把にいえば「関西人」ということになる。
となると、やっぱり「関東だ」「関西だ」という張り合いが滑稽にみえてきます。

とはいえ、ローカリズムをまったく無視することはできないし、以前ほどではないにしても「東京の人」というのは、それ以外の地域の人間からはいささか別格(良い意味ばかりじゃないよ)のイメージがあるようだし、「東京人」本人たちもそのことにプライドを持っている人間が少なくない。とりわけ「東京人」が仕事や遊びで地方へ行ったときそうした意味のない“特権意識”が見え隠れしたり。

もちろん「東京人」でありながら、そうしたプライドのかけらもなく、事情が許せば(これが許さないんだ、なぜか)一刻も早く東京を脱出し、石原閣下に「東京人」を返上したいと思っている人間だっているはずです。わたしのように。

そうしたプライド高き「東京人」の歌、というわけではありませんが、流行歌でうたわれた「東京人」をいくつか。例によって昭和30年代、40年代の旧い歌です。

まずは、お千代さんの泣き節。個人的には昭和30年代を代表する女性シンガーは美空ひばりではなく島倉千代子なのですが。それはともかく。

「東京の人さようなら」 島倉千代子 昭和31年

昭和30年「この世の花」でデビューした島倉千代子の翌年のヒット曲。
「この世の花」同様、同名映画の主題歌。当時からこうした映画とレコードのメディアミックスはあたりまえのことでした。
映画は観ていませんが、ほぼ歌のストーリーをなぞるもので、地元の娘と東京からやってきた青年とのなさぬ仲の物語というわけ。

作曲は戦前から活躍した竹岡信幸。代表曲は「人妻椿」(松平晃)「赤城の子守唄」(東海林太郎)など

作詞は近年亡くなり、このブログでもとりあげた石本美由起

こういう歌や映画がヒットするということは、当時の地方の若い女性にとって「東京人」は憧れの人物像だったのでしょう。
その伝でいえば当時、船乗りあるいはマドロスさんも女性にとっては“夢見る異性”だったのかもしれません。船乗りへの憧憬は“流れ者求愛”に通じる。蛇足ですが。

つぎもやはり、敗戦国日本が復活宣言をした昭和31年の作。

「東京の人」三浦洸一 昭和31年

これも同名映画の主題歌。
ただこちらは川端康成原作という文芸作品。配給は日活。

映画のデータをみてみると監督は西河克己。「青い山脈」、「伊豆の踊子」、「絶唱」と日活青春文芸路線のメイン・ディレクター。
70年代に入って日活が路線変更しても、東宝で山口百恵というヒロインを得て、いくつかのリメイク版をつくっていましたっけ。

歌のほうは吉田正、佐伯孝夫のビクターゴールデンコンビ。
うたったのは28年に「落葉しぐれ」、30年には「弁天小僧」をヒットさせ、ビクターの主力になりつつあった三浦洸一
「東京の人」もヒットしましたが、翌年、ふたたび川端康成の原作である「踊子」をレコーディング。これまた大ヒットに。

派手なアクションや、大げさな表情も用いずに淡々とうたう歌唱は清潔感にあふれたいました。昭和20年代デビューの歌手にはこうしたタイプが少なくなかったような気がします。

また曲もいいけど詞もいい。東京の街は、東京駅(のあったところ)で生まれたという佐伯孝夫が最も得意とする舞台。
3番ある詞の最後の部分は共通で♪しのび泣く 恋に泣く 東京の人 
ですが、それまでの歓楽街を並べた表現から転調しちゃてる。これが序破急の「急」(ウソです)。とにかく意味が通じないのがいまも昔も流行歌。

いずれにしても、辛い恋にしのび泣いているのですから、東京の人は女性(偏見?)。

3つめは、最近亡くなった伊藤エミさんと妹のユミさんの双子デュオ、ザ・ピーナッツの名曲。
「東京の女」 昭和45年

恋をなくして東京をさすらう女の嘆き節。
一人称あるいは三人称の「女」なのだから「ひと」はオカシイダロと思うのですが、まぁ
そこは何度もいうようですが、流行歌なもので。

曲は元のダンナさん沢田研二。詞は「翼をください」、「学生街の喫茶店」山上路夫

沢田研二は自身のアルバム用だけでなく、他の歌手や役者にいくつも曲を提供していますが、ヒットしたというか知られているのはこの「東京の女」とアン・ルイス「ラ・セゾン」ぐらい。
ザ・ピーナッツは、同じ年に橋本淳・中村泰士作の「大阪の女」もうたって、バランスをとっている?。

ところで「東京の女」、「大阪の女」とも「おんな」ではなく「ひと」と読ませますが、いまはどうかしらないが、ひところとても流行った。

よく知られているのは北島三郎「函館の女」、「薩摩の女」、「加賀の女」、「博多の女」などの「女(ひと)シリーズ」。
もっとも古いのが「函館の女」で昭和40年。
ではこれがはじめかというとそうでもない。

その2年前の昭和38年に春日八郎「長崎の女(ひと)」をうたっている。ご当地ソングが名称はともかく、いわれはじめたのもこのころからじゃなかったか。

最後にオマケで歌詞に「東京のひと」が出てくるこの歌を。
そういえばザ・ピーナッツにもそれと同名異曲のすばらしい歌がありましたっけ。


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