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TOKYO①ずばり東京 [a landscape]

霞ヶ関交差点から議事堂.jpg

ちょっと(どころじゃないな)前のことですが、新聞に紙面の4割あまりをさいて「東京ソング」のことを取りあげていた。

なんでもJポップで「東京こんぴ」という「東京」というタイトルの歌を集めたコンピレーションアルバム が発売されたことがキッカケになったようだ。
その「東京コンピ」にはくるりをはじめ、サニーデイ・サービス、BEGINなど13曲の「東京」が入っているとか。

で、さらにその記事によると、「東京」あるいは「TOKYO」という楽曲がJSRAC(日本音楽著作権協会)には260曲あまり登録されているのだとか。
さらにさらに、「東京~」とか「~東京」のようにタイトルの一部に「東京」、「TOKYO」の入る楽曲は2000を超すのだそうだ。
もちろん、“ご当地ソング”ということでいえばダントツの日本最多になる。

さらにいえば、「有楽町で逢いましょう」をはじめ「浅草姉妹」、「あゝ上野駅」、「コモエスタ赤坂」、「新宿育ち」、「池袋の夜」、「六本木心中」、「たそがれの銀座」など、これみな東京ソングです。

さらにさらにいえば、かの「神田川」だって「アメリカ橋」だって「一本道」だって「恋の山手線」だって「別れても好きな人」だってみ~な東京の歌。

思い起こせば(大げさですが)、ラジオとレコードによって流行歌というものが巷にながれはじめた昭和初年、一大ヒット曲となったのが佐藤千夜子うたうところの「東京行進曲」でした。
それからどれだけ東京ソングがうたわれてきたことか。

そんなこんなでここしばらくは、いつかやろうと思っていた東京の歌をとびとびにでも。

第一回めはすばり「東京」
つまり、前述した260あまりあるという頭も尻尾もない「東京」をタイトルとした歌。

「すばり東京」といえばそういう題名の開高健のルポルタージュがありました。
昭和38年から東京五輪が開催された39年の秋までのさまざまな「東京」の断面を切り取った取材記事でした。
深夜喫茶、トルコ風呂といった風俗から新時代の象徴東京タワー、戦争の残香しみつく上野駅などなど、豊かさを求めてスピードアップしていく当時の日本、日本人(あるいは東京、東京人)の姿が描かれていました。

閉塞状況の現代にあって、約半世紀前の“己が姿”をみることにどんな意味があるのかははかり知れませんが、それは紛うことなく、われわれの父母あるいは祖父がつくり、平成24年の東京のベースになっている街ではありました。

またまた脱線模様なので急ブレーキをかけ右折してメインストリートへ。

ずばり「東京」の1曲目。

「東京」マイ・ペース 
フォークソングというのか、ニューミュージックというのか、とにかく政治の季節が終わってメッセージソングは後退し、「LOVE & PEACE」という流行歌の王道が主流になっていた時代、昭和49年(1974)のヒット曲。

東京に住む彼女と地方の彼との遠距離恋愛をうたったものでしょう。
それは昭和30年代の「お月さん今晩は」「僕は泣いちっち」とほとんど変わらない恋愛ゲーム。10年じゃ変わらないか。

現在はそれからさらに40年近く経っている。
完全に変わった、と思うな。なんだかしらないけど恋愛のスピード感がまるで違うような。それに濃度がなんとなく希薄なようで。
それが平成の恋ってやつか。21世紀の愛ってやつか。そうかもな。

とにかく著名なミュージシャンは「東京」を作りたがり、うたいたがる。
松山千春、さだまさし、桑田佳祐、矢沢永吉、浜田省吾、長渕剛、福山雅治みんなそうだもんね。みんな地方出身。それぞれ、東京への想いが違っておもしろい。

そんななかから1曲、というか2曲しか聴いたことがないので、そのうちの1曲

「東京」矢沢永吉
お得意のラブソングというか、クールな失恋ソング。
聴いたことのあるもう1曲は桑田佳祐で、この2曲ともどこか昭和40年代の歌謡曲のニオイがします。
どちらも東京ナイトが描かれていますが、雨の降っている桑田ヴァージョンのほうがより、歌謡曲っぽい。でも好きなのはカッコつけすぎのYAZAWAワールド。

矢沢永吉は平成5年、桑田佳祐は平成14年の歌。

さいごの3曲目も平成5年の歌を。

「東京」やしきたかじん
これは詞というか、設定がユニーク。
大阪の女が、かつての恋人が生まれた街・東京を彼氏とダブらせてうたう女歌。

多分かつて東京の新小岩(なんで?)あたりで同棲してたんでしょうね、彼女。
なんとなく、そんな気がして。じゃなかったら祐天寺とか。発想が滅裂。

でもこういう詞は当事者(女性)にしか書けない。
実際作詞家は女性の及川眠子(ねこ)。
寡作だけれど、ほかにはWINK「淋しい熱帯魚」、「愛が止まらない」のヒット曲があります。
また、中森明菜「原始、女性は太陽だった」なんてうたもありました。
平塚らいてふの「元始、女性は太陽であった」をもじったのでしょうが、想像力の貧しいわたしは「原始」と聞いて、ピテカントロプスペキネシスを連想してしまいました。

それはさておき、さいごになりましたが、ザ・ピーナツ伊藤エミさんの訃報。
ショックでしたね。
多くの50代、60代の方々同様、わたしもテレビの「シャボン玉ホリデー」や「ザ・ヒットパレード」を見て、「悲しき16才」「恋のバカンス」を聴いて育ったんですから。
今回は間に合いませんでしたが、いつかきっと「感情的かつ偏執ピーナッツ・ワールド」をこのブログで。

そういえばピーナッツにもずばりではありませんが「東京」の歌がありました。
ヒット曲といえばなんといっても「ウナ・セラ・ディ東京」でしょうが、ジュリーのつくった「東京の女」ともどもそこここで流れているでしょうから、ここではあまり聴く機会のない「東京ブルー・レイン」(作詩:有馬三恵子、作曲:鈴木淳)で、伊藤エミさんのご冥福をお祈りしたいと思います。


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