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その名は●芦野宏 [the name]

芦野宏&イヴェット・ジロー.jpg

♪僕のママもお料理 Salade de Fruits 毎日さ
 生まれてこの年まで サラダで育った僕だよ
 Salade de fruits, jolie, jolie, jolie,
 すてきな色 すてきな味
 Salade de fruits, jolie, jolie, jolie,
 おまけに栄養満点

(「サラダのうた」曲:Armand Canfora&Noel Roux 訳詞:薩摩忠、歌:芦野宏、、昭和35年)

一昨年の石井好子さんについで、またひとつシャンソンの灯が消えました。

昭和30年代から40年代にかけてが、まさに芦野さんの“ゴールデン・エイジ”。

それはシャンソンの枠からとびだし、NHKのワイドショー的番組(まだ現在のようなワイドショーがなかった)でMCをつとめるなど、タレントとしても活躍。

そのことはまた、「シャンソンを茶の間へ」という彼のポリシーを実践することでも。

ダミアが来日した昭和28年、芦野宏はいまふうにいえばメジャーデビューしている。
“舞台”はNHKラジオ。
そのときうたったのが、シャンソンではなくボレロとタンゴだというからわからないもの。

幼少のころから歌がじょうずで、東京芸大の声楽科を卒業し、女学校の音楽教師になったが、シンガーの夢抑えきれず、奉職一年でプロの道へ。

メジャーデビューの前は米軍キャンプでうたったことも。そういう時代でした。
そこではカントリーバンドをバックにうたったこともあったとか。さすがにレパートリーは「谷間の灯」だけだったそうだ。

そんな彼にシャンソンをすすめたのが、淡谷のり子

ダミアの来日から日本でのシャンソンブームに火がつき、30年のイヴェット・ジローの来日で大ブレイクとなる。
ジローは芦野宏が最も敬愛するシンガーのひとり。

以後、淡谷のり子、石井好子、高英男、越路吹雪、丸山明宏、中原美紗緒らとともに日本のシャンソンの歴史をつくりあげ、また多くのシンガーを育ててきた。

わたしが記憶しているのは、NHKテレビのポピュラー番組などだったと思う。
ほかには高島忠夫旗照夫なども出ていた。
そして耳に残っているのは「カナダ旅行」「サラダのうた」(いまは「フルーツ・サラダの歌」と正確にいっている)。
(いずれもYOU-TUBEに芦野盤がありませんのであしからず)

ほかでは、芦野宏の代名詞になっている「幸福を売る男」。これは10年余り前に出た、彼の自伝のタイトルにもなっている。

NHK紅白歌合戦には10回連続で出場しているし、晩年は群馬県渋川市にある「日本シャンソン館」の館長を務めるなど最後まで日本のシャンソン界に貢献していた。
また日本のシャンソンの祭典「パリ祭」でも、毎年元気な姿を披露していた。

ニュースで87歳という御歳をみれば、感無量。
一ファンとして、「ごくろうさまでした」、「ありがとうございました」と申し上げたい。


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