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異論な人●お下げ髪 [people]

 キューポラのある街4.jpg

♪ 長いお下げ髪 あの娘のことさ
  あぜ道がえり いじめた娘だよ
  忘れはしない お下げ髪だよ
  別れのときに 何にも言えず
  お下げのリボンを 投げてった
  涙のつぶが 光っていたね
  これがこれが 恋ならば
  僕は僕は さびしいよ
  僕は今日も 今日もひとりぼち
(「長いお下げ髪」詞・曲:神津善行、歌:守屋浩、昭和37年)

先日、ある女性とすれ違ってギョッ(なんていわなかったけど)とした。

なぜかというと、その女性髪を三つ編みお下げにしていたから。

いまどき「お下げ」なんて流行りじゃないけど、さほど驚くことでも……と思うかもしれませんが、まだ話は途中。

髪の色は茶と白のまだら。茶に染めたものの、時間が経って地毛の白髪が少し混じってしまったのでは、と見受けました。
そうなんです、彼女は見たところ40代半ばから50歳あたり。つまり中年女性だったんです。

ファッションもなかなかで、ボヘミアン調のロングスカートにボアのついたバックスキンのコート。足元はロングブーツ。
自分のファッションに自信があるのか、さっそうと風を切って通り過ぎていきました。

しばらく前に60代とおぼしき女性の三つ編みは見たことがありましたが、その彼女の場合、ひとつにまとめた三つ編みでした。
今回のようにきれいに両肩に垂らしたお下げ髪はひさびさ。それも中年女性とは。

われわれの中高時代は、お下げの娘はさほどめずらしくはなかった。といっても決してマジョリティではありませんでしたが。

制服もセーラー服からジャッケト風のものに変わっていった頃で、それとともにお下げ髪も衰退していったように。
それでも、学校によってはセーラー服と三つ編みお下げを校則にしていたところもあったり(とくに女子高)。

高校時代のクラスにも、お下げ髪の同級生がいました。じつはこのブログを書いている途中で、その娘のことを思い出したのですが。

修学旅行で同じグループになり、列車の中で彼女が、わたしの肩に頭をのせて居眠りをしてしまったなんてことがありました。

もちろんわたしは、起こすなんて野暮なことはしません、目覚めたらどんな顔するのかななんてイタズラごころもあったりして。

そして、案の定目を覚ますと、何か不潔なものから逃れるかのように、パッとわたしから身を離したことを思い出します。その後、お互いに恋愛感情が芽生えたなんてこともなかったけれど、いま思えば、彼女のあの仕種、なんて純情だったことか。

その彼女の顔は思い浮かぶのですが、名前がでてこない(名簿も写真も手元にないので)。
でもあだ名は覚えている。あだ名といっても男子連中がカゲで言ってただけで、決して彼女の前で言ったりはしませんでしたが。

そのあだ名は「マンジュシャゲ」。
なぜかというと、彼女は丸顔で、お下げ髪、つまりマンジュウにお下げ、すなわち「マンジュシャゲ」。アホな高校生はいまも昔もです。

そうした「お下げ髪」ももはや「昭和の遺物」と化してしまったのでしょうか。ときおり昔の映像で見ることもありますが、昭和20年代から40年代にかけての流行歌にもしばしば登場します。では、そんな歌をいくつか。

「白い花が咲く頃」(岡本敦郎) 昭和25年
戦後、苦しいなりにどうにかこうにかひと息入れられた頃のヒット曲。初恋を偲ぶ歌で、白い花と初恋の相手をダブらせたところは戦前の「森の小径」にも通ずる。
元音楽教師の岡本敦郎のていねいな歌唱がこの叙情歌にぴったり。歌声喫茶の定番だったようですが、はたしていつまでうたわれる続けるのでしょうか。

ほかでも、26年には美空ひばり「おさげとまきげ」が、また32年には三橋美智也「お下げと花と地蔵さんと」があるし、津村謙「月夜の笛」(30年)にも「お下げ」がでてくる。

「長いお下げ髪」(守屋浩) 昭和37年
これも幼なじみとの初恋をうたったもの。
この歌を聴いていると、「そうだった、お下げにリボンを結んでいた娘がいたな」って想い出したり。
歌ではそのリボンが何色か説明していませんが、どうしても紺色なんですね、思い浮かぶのが。
作詞作曲は神津善行。中村メイコの旦那さん。といってもいまじゃ中村メイコを知らない人のほうが多い。きっと。
ほかにヒット曲としては、どちらも作曲のみですが、江利チエミ「新妻に捧げる歌」「星空に両手を」(島倉千代子、守屋浩)が。
また、美空ひばりとは懇意にしていて「髪」「夾竹桃の咲く頃」、「喜びの日の涙」、「さよならの向こうに」などを手がけています。

「明日があるさ」(坂本九) 昭和38年
いまじゃストーカー行為として忌み嫌われる「待ち伏せ」ソングで、なかなか告白できないけど、いつかきっと……、という思いがもてない若者(余計なことを)の共感を得て大ヒット。
その詞は青島幸男。傑作です。カントリーを思わせる旋律は「芽生えてそして」中村八大
もちろんヒットの最大の要因は陽性シンガーの坂本九。10年余り前にウルフルズなどがリメイク。でも当然なんだろうけどウルフルズでは「お下げ髪」は出てこない。とはいえ今後もなにかにつけてリバイバルしそうな「長生きソング」。

「夕笛」(舟木一夫) 昭和42年
「美少女好き」(嫌いな男いるのかな)西條八十、晩年の傑作。
西條が尊敬する三木露風が実体験から書いた詩「ふるさとの」がベースになっている。
曲は「東京無情」船村徹
当時のヒット曲の例にもれず映画化されていますが、観ていません。
時代は大正あるいは昭和初期の設定でしょうか。なら、お下げ髪、さもありなん。

この時代のいわゆる「青春歌謡」にはしばしば「お下げ髪」がでてきました。なにしろ日本最後の純情時代でしたから。
たとえば北原謙二「若い明日」「忘れないさ」三田明「ごめんねチコちゃん」などにも。

ところでYOU-TUBEの松原智恵子さん、似合ってますね、お下げ髪。
お下げの似合う、あるいは似合った女優といえば誰でしょうか。

「夏よお前は」(ベッツィ&クリス) 昭和45年
ポップス系で「お下げ」がでてくるのはめずらしい。といってもそもそも「お下げ髪」は舶来品ではあるのですけど。
ただ、なんでベッツィ&クリスなのかという疑問は残りますが。名曲です。
これも以前とりあげましたが(もうネタぎれ、使い回し大会状態)、作曲の井上かつおの最大のヒット曲は森山加代子「白い蝶のサンバ」。そういえば加代ちゃん、デビュー当時はお下げ髪だった。

話をはじめに戻しまして、道ですれ違った40代のお下げ髪、じつはつい最近も見かけました。それも意外なところで。でそのとき、彼女が何者なのかもわかってしまいました。

それは、わたしがいつも駅まで行く途中で横切る公園でのこと。
その公園の砂場で彼女は何人もの幼児と遊んでいたのです。
どうやら彼女は保母さんだったようです。

ほかにも数人の保母さんや保父さんがいましたが、みんな若者で年配者は彼女だけ。
もちろん、お下げ髪も彼女ひとり。

しかし、その働きぶりというのか、幼児の扱いは若い保母さんとまるで変わらない。
もしかしたらあの「三つ編みお下げ髪」は、若い人には負けない、わたしだってまだまだ若いんだ、という彼女の心意気の象徴なのかも知れないなんて、通りすがりに感じたり。


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