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●谷間/洋楽篇 [a landscape]

怒りの葡萄1939.jpg

From this valley they say you are going
We will miss your bright eyes and sweet smile
For they say you are taking the sunshine
That has brightened our pathways a while.
([RED RIVER VALLEY] Traditional)

ハンク・ウィリアムズHank Williams の「マンション・オン・ザ・ヒル」The Mansion on The Hill で失恋男が、かつての恋人が住む丘の上の邸宅を未練がましく見上げていたあばら家があったのは淋しい谷だった。

ブラザース・フォアThe Brothers Four のヒット曲「グリーンフィールズ」Greenfields でうたわれた、別れた恋人との思い出の場所も緑豊かな谷でした。

洋楽、おもにアメリカの歌ですが、こちらも「谷」がうたわれたのは、どうやら旧い歌のようです、おそらく。
もっとも新しい歌は知りませんが。

たとえが適当かどうか、いささか自信がありませんが、アメリカで西部劇が下火になっていくとともに「谷」の歌もフェイドアウトしていったような。
日本で時代劇がマイノリティになるのと比例して「谷」が消えていったように。違うかな。

そんな「谷の歌」で、いちばんはじめに耳をそばだてて聴き入ったのが3人兄妹のブラウンズThe Brownsの「谷間に三つの鐘が鳴る」Three Bells でした。
子どもの頃ラジオから流れてきたこの曲のヴァースの部分が新鮮でした。もちろん英語なのでどんな意味なのかわかりませんでしたが、その美しいハーモニーとジェントル・メロディーが心にのこりました。

三つの鐘とは、歌の主人公・ジミー・ブラウンが奥深い谷間の村で生まれた時、そして成長し結婚した時、それから老いて安らかな眠りについた時、の三度響いた教会の鐘のことだと知ったのはのちのこと。
長いようで束の間の人生を3度の祝福と哀悼の鐘でうたいあげた名曲。

この歌は1959(昭和34)年、ビルボードのカントリー部門で年間2位。
ただ曲調はカントリーというよりポップス。
それもそのはず、本歌は、1945年にエディット・ピアフEdith Piafとグループ、シャンソンの仲間Les Compagnos de la Chanson によってうたわれたシャンソン。
ピアフ版もブラウンズ版と雰囲気はさほど変わっていない。なお、ヴァースを担当しているのはピアフではなくシャンソンの友のメンバー。

ピアフとシャンソンの仲間は40年代にアメリカツアーを行っているので、それによってカントリーにアレンジされたのでは。

次の歌は「谷間の灯ともし頃」When it’s lamp lightin’ time in the valley 。「谷間の灯」とも。これも懐かしい。

都会に出てきた男が故郷である谷間の生家を偲ぶという内容。
窓から見える部屋の中では母親が息子の帰りを祈っている光景が見える。
それでも故郷は遠すぎて帰ることができない。でも母さん、いつか天国で会えますよと男は自分を慰めている。
といった内容の歌。

たしか中学校の音楽の授業で習ったような記憶が。
だからてっきり唱歌でアメリカ民謡(古い本ではそうしう表記もある)だと思っていましたが、つくられたのは1932年、昭和でいうと7年。
作者もはっきりしていて、クレジットにはジョー・リオンズJoe Lyons 、サム・C・ハートの2名と、グループらしいヴァガボンズThe Vagabonds が記されています。

日本に入ってきたのが、つくられた2年後の昭和9年。
前回でも少しふれましたが、流行歌手の東海林太郎がカヴァー。当時はアメリカ民謡として紹介されていました。そして、ほかには松島詩子もやディック・ミネもレコーディングしています。

つまりはじめは流行歌として日本に入ってきたのです。
しかし数年後日米戦争がはじまるや「敵性音楽」として封印されます。
そして敗戦により封印がとけると、なぜか流行歌ではなく「唱歌」あるいは「叙情歌」として再生してくるのです。不思議な歌です。

3つ目の谷間は、「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」Down in the valley 。

これは正真正銘のトラディショナルソング。
1950年代後半から60年代にかけてポピュラー音楽の世界的潮流となったモダン・フォーク・ムーヴメントによって、多くのトラディショナルソングが復活しましたが、この「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」もそのひとつ。

多くのフォキーたちがとりあげましたが、わたしがはじめて聴いたのはピート・シーガーのPete Seegerのヴァージョン。

ピート・シーガーにはほんとうにいろいろな歌を教えてもらいました。
また彼は世界の片隅にある歌をとりあげるのがうまいんだ。
有名なところではキューバの「グァンタナメラGuantanamelaがそうですし、かの「花はどこへ行った」Where have all the flower is gone も詞はロシア民謡をヒントにつくったといわれています。

ほかにもプエルトリコの「クェ・ボニータ・バンデラ」Que bonita bandera がそうだし、日本の「原爆を許すまじ」もちゃんと教えてもらったのはピートから。

ただ当時、歌詞カードがなかったのか、レコードからの聞き覚えのため、はじめはちょっとした誤解がありました。正確なうたい出しは、
♪ふるさとの 町焼かれ 身寄りの骨埋めし 焼け土に
なのですが、わたしの耳には、
♪ふるさとの 町あかり 身寄りの骨埋めし 暁(あかつき)に

と聴こえたもの。ピートの発音が……、いやわたしの耳がわるかったためでしょう。

余談はさておき、この「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」、「バーミンハム刑務所」Birmingham jail という別名のタイトルがあるように実は「思い出のグリー・グラス」The green green grass of home や「ミッドナイト・スペシャル」The midnight specialなどと同様、囚人の歌なのです。
深い谷にある刑務所からシャバにいる恋人に、手紙を寄こしてくれと頼んでいる歌なのです。ということは、彼女は手紙をくれないわけですから、彼は愛想を尽かされたということかも。とにかく淋しい男の歌なのです。
トラディショナルソングってなぜだか、こういう淋しい悲しい歌が多いのです。

さいごの谷の歌もやはりトラディショナルソング。
やっぱり悲しい歌。別離をうたった「赤い河の谷間」Red river valley 。

これは多分、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」You are my sunshine の次に覚えた英語の歌。当時のレコードはどこかへ消えてしまいましたが、たしか美しいハーモニーのサンズ・オブ・パイオニアーズThe Sons of Pioneers 盤だったような気がします。

いまでも、
Come and sit by my side if you love me
という歌詞が懐かしいメロディーとともに聴こえてくると鼻の奥の方がジーンとしてくるというフェヴァリットソングなのです。

レッドリヴァーはテキサスにあり、ミシシッピーに流れ着く川。
そこの谷間の集落での別離をうたったもの。
男性ヴァージョン、女性ヴァージョンがあり、また男がカウボーイだったり、女がインディアンの娘だったりと、さまざまなヴァリエーションがあるようです。

映画ではヘンリー・フォンダが主演したスタインベックの「怒りの葡萄」で何度も流れていました。

ではさいごにイカしたデュオで「レッド・リヴァー・ヴァレー」をもう一度。


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