SSブログ

●アパート [a landscape]

アパート.jpg

♪二人暮らした アパートを
 一人一人で 出て行くの
 すんだ事なの 今はもう
 とてもきれいな 夢なのよ
 貴方でなくて できはしない
 すてきな夢を 持つことよ
 もうよしなさい 悪い癖
 爪をかむのは よくないわ
(「爪」詞・曲:平岡精二、歌:ペギー葉山、昭和34年)

4月も終わろうとしています。
学生、社会人の新人もひと息つけるゴールデンウィークも迫っています。
はじめて一人暮らしをはじめた若者も少なくないんじゃないでしょうか。
思い出すなぁ、わたしにもそんな時代が……。まっ、カビの生えたような話はどうでも。

ひと月経って、新しい環境にも慣れ、なんとか生活のリズムもでてきたり。

いまはワンルームマンションが主流なのでしょうか。フローリングのね。バス・トイレ付きはあたりまえ。エアコン・給湯器も必須。

ひと頃はマンションが主流だったけれど、いまでは「それももはや古い」といわんばかりにハイツだのコーポだのメゾンだのビラだのって訳のわからない言葉を綴ったプレートが掲げられています。

でも、そうした集合住宅に住む人でも、「どんなとこに住んでるの?」って聞かれると「うん、マンションなんだ」と答える。「ハイツだよ」、「コーポに住んでるんだ」なんていう奴はまずいない。
やっぱりマンションという言葉が定着しているようで。

わたしらの頃はアパート。一辺倒。
なんもなかった。畳敷きの4畳半か6畳。ややもすれば3畳だったり。
名称も「××アパート」なんてめったになくて、ほとんどは「××荘」。

現在でもアパートっていう言葉は残っているけど、あんまり見栄えのいい建物にはつかわない。念を押すように木造アパートなんていったり。
昭和30年代、40年代はほとんどがそうでした。よくてモルタル塗りの木造2階建て。
それでも、はじめてひとり暮らしをはじめた若者のウキウキ気分は、今と少しも違わなかったはず。多分。

そもそもアパートとは複数世帯の居住空間を仕切りによって分けた集合住宅をさすアパートメント・ハウスの和製語。

そのアパートが日本に登場したのは、明治43年(1910)だそうで、場所はいまの上野公園の傍、その名も「上野倶楽部」といったとか。
木造5階建てで、63世帯が入居可だったそうだが、どんな人たちが住人となったのか、そこまでは書いていなかった。

ただまだアパートという呼称はなかっただろうし、その後あちこちに普及していったということもなかったよう。
アパートがポツポツあらわれるのは関東大震災以後といいますから、大正末期から昭和にかけて。

有名なのは昭和2年につくられた本所と青山の同潤会アパート。
鉄筋造りでいまの感覚でいえば超高級マンション。
その後都会では木造もふくめたアパートがつくられていくのですが、やはり昭和も戦前はそれまでの借家、間借り、下宿といった賃貸スタイルが主流。
市民のライフスタイルをも変えてしまう、アパートが増えていくのは、終戦後の昭和20年代。

そして、30年代となると団地ブームとともにアパートが建築されていきます。その多くは木造で家賃も手ごろな庶民的アパート。
32年には9階建てでホテル並みの施設が整った「三田アパート」が話題に。そうしたアパートは「高級アパート」などと呼ばれたり。さすがに木造アパートを「低級アパート」とはいいませんでしたけど。

そんなアパートの普及を察知したかのように流行歌のなかにも「アパート」があらわれはじめます。(ようやく本題だ)

ちなみに戦前の歌謡曲の歌本をめくってみましたが、「アパート」の4文字をみつけることができたのは14年の「東京ブルース」だけ。

♪雨がふるふる アパートの 窓の娘よ なに想う
うたったのは淡谷のり子。さすがモガの本領発揮。
作詞は西條八十。さすがモボの面目躍如。

冒頭に歌詞をのせた「爪」のアパートはかつて恋人同士の愛の巣だった部屋。

「だった」と過去形であるように、流行歌の定番の別離の歌。

それもどうやら修羅場はなかったようで、合意のうえのお別れ。
女性の方が「夢をもつのよ」とか「子供じゃないんだから爪を噛むのはやめてね」と、別れ際にしては妙に余裕をかましています。

年上なのかもしれませんね。どことなく教養も滲んでいたり。
もしかしたら、女性の方から愛想尽かししたのかも。
一週間後に街でバッタリ会ったら、ほかの男と腕組んでたりして。そんなことないか。

作詞・作曲は平岡精二
青学出身で、ペギー葉山の先輩。ペギーの歌では「学生時代」も平岡の作品。
ほかに「爪」とは“兄妹ソング”でジャジーな「あいつ」(旗照夫)とか、ラシアンミュージック風な「君について行こう」(シャデラックス)なんていい歌もありました。

同じように愛の巣だった「アパート」がでてくる歌に「赤ちょうちん」(かぐや姫)が。

こちらも主人公は女性で、アパートでの同棲時代を回想しているという設定。
彼女にとって彼との別れはかなり痛手だったようですが、どうにか時が思い出にかえつつあるという感じ。それでも、二人で行った赤ちょうちんに彼があのときのままいるんじゃないかっていう、未練が少し残っていたり。

「爪」と比べてみると、「爪」が詞も曲も粋なシャンソン風なのに対して「赤ちょうちん」は純日本的弩演歌風ラブソング。いちおうジャンルはフォークなのですが。

日本のフォークと演歌はどこかで通低している。その中間にいたのが三上寛。なんて。
そういえば三上寛の「夢は夜ひらく」のなかにも、
♪四畳半のアパートで それでも毎日やるものは
と出てきます。

もうひとつ「愛の巣」としての「アパート」をうたったものが八代亜紀「花水仙」
こちらは、同じ別れでも、男が突然消えてしまった(多分)という設定。
女は健気に消えた男を待ち続ける。つまり彼女にとっては今でもアパートは愛の巣。
これは名実ともに演歌の世界。

例によって「定量超過」ぎみですので、とり急いで「アパート」がでてくる歌を。

“4畳半フォーク”といわれたように70年代前半のフォークでは「アパート」は必須アイテムだと思ったのですが、あたりまえすぎて歌詞にしなかったのか、あまり出てこない。
(かの「神田川」のように「下宿」といういい方もあるけど)←予告編
思いつくのは友部正人「長崎慕情」(演歌っぽいね)と「夢のカリフォルニア」(4畳半ではなく6畳だけど)、それになぎらけんいち「葛飾にバッタを見た」(柴又の傾いたヤツね)。

歌謡曲では、都会でアパートひとり暮らしの孤独のなかでも、故郷にいる弟を心配する姉をうたった「弟よ」(内藤やす子)

「アパート借りてふたりで暮らそうよ」と熱々カップル(いまどきいうか?)をうたった「よろしく哀愁」(郷ひろみ)

アパートひとり暮らしの健気なホステスに惚れてしまうというよくいる男をうたった「そんな夕子にほれました」(増位山大志郎)
「サライ」(加山雄三、谷村新司)にもチョロっと出てきますね。

そもそもアパートApart の意味は「別れて」とか「ばらばら」ってこと。
つまり愛し合った二人もアパート暮らしをしたときから別れは宿命になっていたのかも。

わたしの家の近所にも時代に取り残されたようなアパートが頑固に建っていますが、よくよく眺めてみると、男と女の数々の悲喜劇の残滓がしみついたモニュメントのように思えてくるから不思議です。


nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 1

MOMO

Mashi☆Toshiさん、いつも恐縮です。

やっぱり“初アパート”の経験あるんでしょうね。
by MOMO (2011-04-28 18:40) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

春の歌●春の陽●下宿 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。