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VOICE⑧波声(ヨーデル) [noisy life]

リアン・ライムス.jpg

I wanna be a cowboy's sweetheart
I wanna learn to rope and ride
I wanna ride through the plains and the desert
Out west of The Great Divide
I wanna hear the coyotes singing
As the sun sets in the west
I wanna be a cowboy's sweetheart
That's the life I love the best.
([(I WANT TO BE )A COWBOY'S SWEETHEART] written by PATSY MONTANA, 1935)

一回寄り道しましたが、もう少々「VOICE」を。

前回が裏声だったので今回はヨーデル

ヨーデルで思い出すのは、いまから半世紀ほどまえのできごと。
小学校5、6年の頃、ある日突然、クラスにヨーデルブームが巻き起こったのです。
落合くんという、いつも上履きをはかずに裸足でいるという不思議な級友が、休み時間に突然「ユーレイティー」と見事なヨーデルを一節。

それから、クラスのお調子ものがこぞってヨーデルにチャレンジ。わたしも負けずに。
それから2、3日は休み時間や下校時間になるとアチコチで「ユーレイティー」が聞えていました。さすがに女子はやる人はいなかったけど(帰って家でやってたりして)。

まぁ、こうしたクラスの小さなブームっていうのは時々起ってました。
たとえば、指笛だとか、床に仰向けになって足の振りと背筋で手を使って一瞬で起き上がる(プロレスのドン・レオ・ジョナサンがやっていた)ワザとか。
だれかひとりがはじめると、「そんなの俺だってできる」ってアチコチではじまるんですね。
でも、たいがい2、3日で飽きてブーム終焉に至るわけです。

「ヨーデルブーム」も、だれかが「ノドを傷めるぞ」とかなんとか言いだして風船がしぼむように終わってしまいました。

しかし、落合くん、なんでまたヨーデルなんて始めたのでしょうか。おそらくテレビかラジオで観たか聞いたかして、魅せられてしまったんじゃないでしょうか。

そもそも、ヨーデルの嚆矢はアメリカではなくヨーロッパはオーストリアやスイスなど、アルプス山麓地域。で、「アルペン・ヨーデル」とかオーストリアの地域名をとって「チロリアン・ヨーデル」なんていったりします。
簡単にいうと、裏声と表声(とはいわない、地声ですね)を交互につかう発声法。

もとは羊などを飼育する牧童たちの連絡用の呼び声として発生したものらしいのですが、それがやがて民族音楽へと発展していったのだとか。

ウィーン少年合唱団で知られるようになった民謡にヨハン大公のヨーデルがあります。

のちにスイスの芸人たちが、そのヨーデルをひっさげてアメリカへ行き、「カントリー・ヨーデル」になったのだというのですが。

なかには、いや「南部の農民が山のこだまを真似たもの」とか「農民たちのコーラスで、女性役でファルセットをつかったのがキッカケ」あるいは「カウボーイが牛を呼ぶときに発する声がはじまり」などと、チロリアン・ヨーデルとはまったく別で、独自に発達した、という説もあります。

カントリー・ミュージックにヨーデルがつかわれだしたのは1920年代。
つまり、ほとんど民謡にちかかったマウンテン・ミュージックやヒルビリー・ミュージックがレコードやラジオによってコマーシャリズムにのるあたりから。
わかりやすくいえばカーター・ファミリーの時代(わかりやすくないか)。

“張本人”は「カントリー音楽の父」ことジミー・ロジャーズJimmie Rodgers。
1927年、ヴィクターレコードのオーディションに受かり、初めて吹き込んだのがその後ヒットした「兵士の恋人」The Soldier’s Sweetheart と「ねんねしな」Sleep, Baby, Sleep 。
その「ねんねしな」のほうにすでにヨーデルがつかわれています。

ジミーは1897年、ミシシッピーはメリディーン生まれ。
親子二代にわたる鉄道マンで、その時代に線路工夫だった黒人たちからブルースやゴスペルを習います。
彼の代名詞になっている「ブルー・ヨーデル」は、そのブルースとヨーデルを組み合わせたもの。「ブルー・ヨーデル」はデビューしたその年に大ヒット。ジミー・ロジャーズの名前を全米に知らしめることに。

元来からだの弱かったジミーは1933年、ニューヨークのホテルで亡くなります。
わずか6年あまりの歌手生活でしたが、その間「ブルー・ヨーデル№3」Blue Yodel No.3やのちに様々なシンガーにカヴァーされる「ミュール・スキナー・ブルース」、「列車を待って」Waiting for a Train、「奴はただいまムショの中」In the Jailhouse Nowなど100曲以上を書きあげたといわれています。

ジミーの功績は名曲を遺したことだけではなく、エルトン・ブリットELTON BRITTやスリム・ホイットマンSLIM WHITMANらのヨーデラーはもちろん、ハンク・スノウHANK SNOWやアーネスト・タブEARNEST TUBBなど、少なからず彼の影響を受けたカントリー・シンガーを生みだしたこと、そしてその後のカントリー・ミュージック発展の礎になったことでしょう。

では、好きな(というか知っている)カントリー・ヨーデルをいくつか。

「カウボーイの恋人になりたいの」I want be a cowboy’s sweetheart
パッツイ・モンタナPATSY MONTANA の自作自演ヒット曲。タイトルからわかるとおり、女性シンガー限定の曲。パッツイ・クラインPATSY CLINEほか多くのカントリー娘にカヴァーされているが、いちばんゴキゲンなのはリアン・ライムスLEANN RIMES。彼女のヨーデルは、ラヴシック・ブルースでも聴ける。YOU-TUBEが若い!

「彼が教えてくれたのよ」He Taught Me How To Yodel
女性のナンバーワン・ヨーデラー、ロザリー・アレンROSALI ALLENのビッグヒット。この歌は男性シンガーもよくうたう。その場合はもちろん「She Taught……」となる。でないとややこしくなるので。日本では「スイスの娘」として知られている。

「大空に投げ縄を放れば」I'm Casting My Lasso Toward The Sky
ブルー・ヨーデラー、スリム・ホイットマンのヒット曲。スリムは1924年生まれで健在。元メジャーリーガーという変わり種。ほかでは「インディアン・ラヴ・コール」INDIAN LOVE CALLも知られている。

「キャトル・コール」Cattle call
1955年にエディ・アーノルドEDDY ARNOLDがうたってビルボードのカントリー部門トップに。ハンサム、いやロンサムな牛追いをうたったカウボーイ・ソング。エディの主演映画の主題歌で、のちにバート・ランカスターが主演した「ケンタッキー人」でもつかわれたとか。

「ラヴシック・ブルース」Lovesick Blues
もうここで何度もとりあげている王様・ハンク最大のヒット曲。そういえば大昔、「ラブシックブルース」という競走馬で万馬券を獲ったことがある。たしか社台(こういう名前をつけるのはそうだよね)の馬だった。関係ないか。いらぬ情報をば。

「山の人気者」Alpine milk man
日本でもカントリー好きでなくとも知っている(だろうか)曲。日本のナンバーワン・ヨーデラー、ウィリー沖山の十八番。古い歌で、なんと昭和10年に中野忠晴がうたっている。残念ながらヨーデルはつかわれていないが。

ついでといっては失礼だが、最後に日本のヨーデラー(最近の人は知りませんが)も。
大野義夫、ジミー時田トミ藤山灰田勝彦

これだけまとめてヨーデルソングを聴くと辟易もんでしょ?
キーボードたたいているだけでノドが痛くなってくるもん。どいつもこいつもヨーデラーって、いっちゃいけないダジャレが出たところで自・演怒。


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