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VOICE②低音・男編 [noisy life]

水原弘.jpg

♪泣いてる 娘に グラスをすすめ
 今夜は 飲みなと 振るシェーカーは
 恋にやぶれたこの俺の せめておごりにしておくぜ
 苦い 酒だよ 恋のカクテル
(「恋のカクテル」詞:永六輔、曲:中村八大、歌:水原弘、昭和37年)

正月休みが長すぎて、いまだ調子の波に乗り切れないのですが(なぜかキイボードを叩くと睡魔がやってくる)、しばらくは「声」についての駄文を書き散らかしていこうと思っています。

で前回の「高音」に続き、今回は魅惑の「低音ヴォイス」を。

低音といえば、また訃報。
俳優の細川俊之さんが亡くなりました。

細川さんといえば、若い頃観た映画「エロス+虐殺」で大杉栄に扮した姿が、吉田喜重監督の美しい映像、そして一柳慧の印象的な音楽と共に思い起こされます。

あの低くソフトな声はまるでビロードの手ざわり。耳元で囁かれたいと思う女性は少なくなかったのでは。

音楽ファンならばごぞんじでしょうが、細川さんあの魅惑の低音でレコードを出しています。ソロでも出していますが、ヒットしたのは中村晃子とのデュエット(ダイアローグ)「あまい囁き」
これはダリダDalidaとアラン・ドロンAlain Delonによる「パローレ」Paroles Paroles のカヴァー盤。
細川さん、ドロンに負けないシブイ声で囁いています。

もうひとつ最近「低音」で話題になったのがアメリカのホームレス、テッド・ウィリアムス氏。
MLB最後の4割バッターと同じ名前だが、もちろん無関係。

元ラジオのDJをやっていたというだけあってなかなかの低音美声。
その声と映像がYOU-TUBEにのって、あたかもスーザン・ボイルのように時の人になったとか。

実際に聞いてみるとたしかにいい声。
どこかで聞いたことがある……と思って思い出したのが昔しばしば観たというか、聞いた洋画の告編のナレーション。子供ごころにも「シブイ」、……とはいわなかったな、「イカス」声でした。

話がどんどん明後日の方へ行っておりますので軌道修正。

前回いったように、戦前および昭和30年代あたりまでの流行歌の世界は高音が主流でした。
しかしいつどこであっても例外はあるわけでして、主流があれば当然のごとく傍流もまたあるのです。

まず戦前、低音でヒット曲を連発したのがディック・ミネ

昭和9年に「ダイナ」でデビュー。
以後、「二人は若い」、「人生の並木路」「林檎の木の下で」「上海ブルース」、「旅姿三人男」などをヒットさせ、戦前の歌謡界を盛りたてました。

ディック・ミネはステージネームで本名は三根徳一と、生粋の日本人。
「ディック」の由来は当時のアメリカの人気俳優、ディック・パウエルからとったとか。
戦後ものちに石原裕次郎がカヴァーした「夜霧のブルース」をヒットさせている。

数少ない低音シンガーですが、ほかでは昭和15年、「暁に祈る」、「熱砂の誓い」、「高原の旅愁」とたて続けにヒットをとばしたスゥイートバリトン、伊藤久男がいます。

戦後も菊田・古関の「君の名はコンビ」の「イヨマンテの夜」「君、いとしき人よ」をはじめ、叙情歌謡「あざみの歌」「山のけむり」(いずれも八洲秀章作曲)など、20年代にいくつものヒット曲を連発。昭和の歌謡曲を語るうえで欠かせない歌手のひとり。

昭和も30年代になると流行歌の世界も百花繚乱。
伝統的古賀メロディーありの、カヴァーポップスありの、望郷歌謡ありの、ムード歌謡ありの……。
そんな昭和30年代、「低音ブーム」の津波(というほどデカくはなかったか)がやってきます。

「お笑い芸人」はいまでも人気ですが、当時もスターが何人もいました。
そのひとりがウクレレ漫談という新境地を開拓した牧伸二(いまも現役です)。

ハワイ民謡「タフアフアイ」のメロディーにのせて小咄仕立てのネタをやるのですが、そのひとつに以下のようなものがありました。
「フランク永井は低音の魅力 神戸一郎も低音の魅力 水原弘も低音の魅力 漫談の牧伸二低脳の魅力 あああ やんなっちゃった あああ おどろいた」

と、このネタに出てくる3人のはいずれも当時の人気歌手で、順番にいうと、

まず32年の12月にコロムビアの歌謡コンクールで優勝した神戸一郎「十代の恋よさようなら」でデビュー。これがヒットして以後アイドル歌手として「銀座九丁目水の上」「ひとみちゃん」、「別れたっていいじゃないか」、「恋人をもつならば」をヒットさせると同時に、映画にも出演し、甘いマスクと低音で若い女性ファンを魅了しました。

ほぼ時を同じくしてすでにジャズ歌手としてレコードデビューしていたフランク永井「有楽町で逢いましょう」が大々ヒット。
以後、ムード歌謡の旗手として「君恋し」、「西銀座駅前」、「東京ナイト・クラブ」、「好き好き好き」「東京カチート」などのヒットを連発し、ムード歌謡の旗手として一時代を築いていくことは、このブログでもたびたびとりあげました。

そして3人目、ロカビリー出身の水原弘は34年7月に「黒い花びら」でデビュー。これがいきなり大ヒット。おまけに第一回のレコード大賞まで射止めてしまいます。

その後、「黄昏のビギン」や「恋のカクテル」の、あるいはハマクラさんの「愛の渚」など小ヒットはありましたが、ビッグヒットにめぐまれず「一発屋」予備軍に。しかし42年に川内康範らのバックアップで「君こそ我が命」をヒットさせ、レコード大賞歌唱賞をも射止めてみごとにカムバック。

しかし、親しみをこめて「おミズ」と呼ばれ、気風がよく、酒好きで豪放磊落、無頼派、破滅型と称された歌手はそのイメージどおり、昭和53年公演先のホテルで血を吐き客死します。

以上3人のほかにも、この年代、「低音の魅力」でファンをシビレさせたシンガーが何人かいます。

歌謡曲畑では柔道の有段者で“空気投げ”の三船久蔵十段から名前をとった三船浩。演歌調では、浪曲出身で数々のビッグヒットをとばした村田英雄

昭和30年代といえばカヴァーポップスも。
そんななかでは和製プレスリー(何人もいた)として売り出した佐々木功
ラテンブームの火付け役となり、カーネギーホール(日本人初?)へも出演したアイ・ジョージ

30年代末期の青春歌謡でも、その看板シンガー、舟木一夫西郷輝彦はやはり低音の部類でしょう。

そして忘れてならないのが、昭和を代表する歌う銀幕スターたち。
石原裕次郎高倉健。いいねぇ、どちらも。さらに渡哲也を加えれば文句なし。

どうですか、牧伸二じゃないけど低音の魅力、シビレますね。
シビレるのを通り越して、聴いているだけでからだが熱くなってきたりして。これがホントの低温ヤケド、なんて……。


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