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その名は●ミコ② [the name]

 高峰三枝子.jpg

♪ひとりぽっちが淋しくて
 道を聞かれた見知らぬ人と
 駅を目指して歩きつつ
 小さな店で雨宿り
 ふたりはコークを飲みました
(わたし 名前はミーコです。二年前北海道から出てきました)
…………
(「少女は大人になりました」詞:千家和也、曲:竹村次郎、歌:牧村三枝子、昭和47年)

還暦前後の人間にとって「ミコ」といえば前回の弘田三枝子でしょうが、もう少し上の先輩方にとってもビッグネームの「ミコ」(とは呼ばれていなかっただろうが)すなわち「みえこ」がいます。

戦前、「歌う銀幕女優」として絶大な人気を誇った高峰三枝子 その人です。

松竹からデビューしたのが昭和11年。
といえば「2・26」。まさに世の中がざわつきはじめた頃。

東京は芝の生まれで、東洋英和に通う女学生のころからその美少女ぶりに周囲がかまびすしかったとか。

父親は高峰筑風といって、筑前琵琶の大家で、その関係で高峰家には映画や音楽の関係者がずいぶん出入りしていたといいます。
そんなことから女優への誘いはずいぶんあったのでしょうが、最終的に決断したのは、父・筑風が亡くなったことで。

そのまえに弟も交通事故で亡くしていて、健気にも長女の彼女が一家の大黒柱たらんとすすんで映画界へ飛び込んでいったという話です。まぁ、女学生のころから帰宅途中でダンスホールへ道草を食べにいったり、ガルボに憧れて映画館に通ったりと、かなり積極的な女学生ではあったようですが。

デビュー作は「荒城の月」(公開は遅れる)。その後「朱と緑」「婚約三羽烏」などで女優のキャリアを積んでいきます。
歌をうたうきっかけは何本目かの映画「浅草の灯」で鼻歌をうたうシーンがあり、それをみたレコード会社の関係者がスカウトし、コロムビアの専属歌手に。

デビュー曲は竹久夢二の「宵待草」で、そのためにわざわざ同名の映画を制作したというのですから、映画会社、レコード会社ともいかに高峰三枝子の売り出しに力を入れていたかがわかります。

これが昭和13年。歌う女優の誕生です。
おもしろいことにこの年、ほぼ時を同じくしてもうひとり「歌う女優」というか「銀幕の歌手」が彗星のごとくあらわれています。

それが李香蘭こと山口淑子
満州映画協会(満映)の中国人女優ということで昭和13年「蜜月快車」でデビューし、その主題歌や挿入歌もうたい、いちやく人気に。

映画デビューは高峰三枝子の方が2年先輩で、歳もちょうど2歳上。
いずれにしても、当時の映画あるいは歌謡ファンの人気を二分した(かな)二つの花であったわけです。

李香蘭についてはまたいずれということで、ここは「ミコ」いや三枝子ですから。

歌手・高峰三枝子の最初のビッグヒットは昭和14年、霧島昇とのデュオ「純情二重奏」
これは同名映画の主題歌で、当時映画に主題歌、挿入歌は欠かせませんでした。

そして翌年、それをさらに上回るようなヒット曲が出ます。
それが彼女の代表曲ともなった「湖畔の宿」

これはめずらしく映画の主題歌ではないのですが、服部良一お得意のタンゴと佐藤惣之助の叙情的な詞もあいまって大ヒット。
その後当然のごとく「湖畔の宿」映画化の話があったそうですが、「歌のイメージをこわしたくない」と彼女が首をたてに振らなかったとか。

しかしこの歌、戦時下にあって歌詞が退廃的だという理由からすぐに発売禁止の憂き目に。
ところが、その後なんと日本の御大将・東条英機が来賓をもてなす宴席に彼女を呼び、その「湖畔の宿」をリクエストしたという驚きの話。
なことしてるから戦争に負けるんだ。……冗談ですけど。

以後彼女は軍隊へ慰問にいったさい、ためらうことなく「湖畔の宿」をうたったとか。
ちなみにリクエストの多かったのはこの曲と、さきの「純情二重奏」、そして「南の花嫁さん」

そして敗戦。
戦後も、「懐かしのブルース」「別れのタンゴ「情熱のルンバ」とスクリーン&ミュージックで焼跡にうるおいをもたらしてくれました。

その後声帯をいためて歌手を休業しますが、10年あまりのちにカムバック。
平成2年に亡くなる年まで、テレビ、劇場での活躍を続けていたそうです。

とり急いでそのほかの「みえこ」を。

演歌では「みちづれ」のヒットがある牧村三枝子
彼女のデビュー曲が上に詞をのせた「少女は大人になりました」

見知らぬ男に声をかけられ、ついていってしまうというなんとも衝撃的な歌。
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」に次ぐアブナイ歌、だと当時思いました。

その中の台詞で「名前はミーコです」と言っている。
北海道出身というのもそうだし、半分以上はドキュメント?

デビュー当時の牧村三枝子はアイドル並に可愛かった。
イエ、演歌歌手が可愛くないなんて言ってるんじゃないんですよ。(冷汗)

続いては「池上線」がヒットしたシンガーソングライターの西島三重子
ほかでは「千登勢橋」がいいし、木の実ナナに提供した「うぬぼれワルツ」も。
いまも現役で、フォーク系のTVのナツメロ番組には欠かせないひとり。

同じ「三重子」では、「愛ちゃんはお嫁に」鈴木三重子もいました。この人もそうですが、昔は日本髪を結ってステージに上がっていた歌手が少なくなかったですね。「日本調」なんていってね。ええもちろん、下は和服ですよ。日本髪に洋服なんてのは、正月の美容院ぐらいでしか見たことないもの。

今は、演歌歌手だって結いませんよね、日本髪。カツラにしたってめんどくさいものね。

軌道修正。

歌う女優ということでは西尾三枝子もいました。
昭和39年に日活でデビューした女優さん。
どこか影があって、太田雅子系かなと思っていましたが、やはり日活がポルノに路線変更してから活動の場をテレビへと移していきました。こちらも現役だそうです。

日活映画スター大集合という2枚組のCDにある彼女の歌「スカーレットの花」がYOU-TUBEにもありました。ちなみに作詞は最近亡くなった星野哲郎さん。
余談ですがこのCD、笹森礼子芦川いづみ筑波久子らの歌が聴けます。

さいごにもうひとりおまけは兼田みえこ
民放ラジオの人気パーソナリティ(残念ながら聞いたことがありません)。
70年代「深夜ラジオの時代」が生んだヴォイスヒロインですね。愛称は「ミコたん」だそうです。

ラジオは知りませんが、彼女がレコーディングした「私もあなたと泣いていい」は当時何度も耳にしました。ということは一般的にもヒットしたということですね。

ようやく「みちこ」から始まった「みの字」が終わりました。

え? まだ「ミカ」がいて「ミキ」がいて「ミク」がいるだろうって? 「ミサ」だっているし「ミナ」だって。

そうだけど、当分「みの字」はもうたくさん。
そのうちいずれまたということで、いまは「未完成」のままで。


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