その名は●みっちゃん② [the name]
♪流れる雲よ 城山に
登れば見える 君の家
灯が窓に ともるまで
みつめていたっけ あいたくて
あゝ青春の 思い出は
わが故郷の 城下町
(「青春の城下町」詞:西沢爽、曲:遠藤実、歌:梶光夫、昭和39年)
幼き頃、「みっちゃん」と呼ばれたのは女の子ばかりではない。
男だって、たとえば「みつお」がいて「みちお」がいて「みつひろ」もいれば「みちや」もいる。
かれらは子供時代、いちように「みっちゃん」と呼ばれたに違いない。そうでないと話が先にすすまない。
ということで今回は男の「みっちゃん」。
女だって男だって「みっちゃん」は輝いたのは昭和。それも20年代、30年代という遥か彼方。遠ざかれば遠ざかるほど美しい。何を言ってるのやら。
とりわけ昭和30年代・歌謡曲黄金時代の先鞭をつけた「みっちゃん」といえば、キングレコードの三橋美智也。
民謡出身で、その独特のハイトーンは多くの女性ファンを魅了。
「シビれる」(いまあんまり使わないけど)という流行語をつくったのは、その三橋のファンたちだとか。
昭和29年に「酒の苦さよ」(新相馬節)でレコードデビュー。
翌30年に「おんな船頭唄」が大ヒット。
31年には「リンゴ村から」、「哀愁列車」、「お花ちゃん」とたて続けにビッグヒットを連発。この頃流行歌の主流だった“ふるさと歌謡”の旗手として一世を風靡。
以後も「おさらば東京」(32年)、「夕焼けとんび」、「赤い夕陽のふるさと」(33年)、「古城」(34年)、「石狩川悲歌」(36年)、「星屑の町」(37年)とヒット曲はとぎれることなく、まさに昭和30年代を代表する歌手として歌謡界に君臨していました。
その間、子供向けテレビドラマの主題歌もうたったりして、「怪傑ハリマオ」はいまでも耳になじんでいます。ちょっと恥ずかしいけど一度カラオケでうたってみたい。
しかし30年代も後半になると、新幹線の開通によって故郷と都会の“距離”が急接近。テレビの普及によって精神的な距離も近くなって、もはや「ふるさと歌謡」の存在意義が薄れていきます。
さらには流行歌のリスナーの低年齢層化によって、歌手もアイドル化しティーネイジャーが主流となると、もはや三橋美智也の出番はなくなっていきます。
それでも昭和も50年代に入った頃、なぜかラジオのDJで再ブレイク。50歳になろうかというのに若者から「ミッチー」などと呼ばれ、当時のディスコブームにも乗って「夕焼けとんび」のディスコヴァージョン「ザ・トンビ」をリリースするなど、うたかたではありましたが、再燃焼してみせたのはさすが。
昭和30年代の後半、三橋美智也と世代交代というかたちで歌謡界の主流になったのが「青春歌謡」の面々。
そのなかにも「みっちゃん」がいました。
昭和38年、舟木一夫に続けとコロムビアレコードからデビューしたのが梶光夫。
翌39年、3枚目のシングル「青春の城下町」がヒット。メジャー歌手の仲間入り。
40年には女優・高田美和とのデュエット「わが愛を星に祈りて」、41年にも同じく高田との「アキとマキ」がヒット。
原曲がインドネシア民謡という「可愛いあの娘」も当時よく聴こえていました。
その後もレコードを出し続けたが、グループサウンズが青春歌謡を押しのけ、いずれも「青春の城下町」以上のヒットにはならなかった。
そして43年にあっさり引退。
なんと宝石鑑定士、そしてジュエリーデザイナーへと転身。
というのも梶の実家は大阪の時計商で、芸能界は5年だけ、その後は商売を継ぐという父親との約束があったとか。
梶光夫も三橋美智也と同様テレビドラマの主題歌をうたっています。
自身も出演していた昭和40年の「若いいのち」というドラマ。
これがなんと、特攻隊の話。
なんともアナクロと思いますが。
敗戦から15年目のゆりもどしで、この頃「戦争もの」「軍隊もの」がブームになっていたのです。軍歌もよく聞えていましたし。
その「若いいのち」の挿入歌「大空にひとり」も小ヒットしました。
そして3人目。
ちょうど梶光夫が引退した年、「今は幸せかい」を大ヒットさせて紅白歌合戦の出場をはたした佐川満男(ミツオ)。
この人も父親が神戸の貿易商というお坊ちゃん。
この「今は幸せかい」、実はカムバックソングで、彼のレコードデビューは昭和35年。「二人の並木道」Walk with me はデビュー前にコンサートツアーの前座をつとめていたニール・セダカの提供曲。B面もたしかニールの「恋の片道切符」。
そう佐川満男は関西ではその名を知られたロカビリアンだったのです。
当時「みっちゃん」が大阪のジャズ喫茶でうたっているところをスウィングウエストの堀威夫がスカウトして中央デビューさせたとか。
ロカビリーブームはすぐに終焉しましたが、その直後歌謡曲の世界で起こったリバイバルブームに便乗。
戦前児玉好雄がうたった「無情の夢」を今風(当時の)にアレンジさせヒットさせます。
当時、ロカビリーから歌謡曲への転身はトレンドでした。平尾昌章をはじめ、水原弘、井上ひろし、守屋浩などなど。
そのあとも「背広姿の渡り鳥」なんていうオリジナルの小ヒットもありましたが、やがて尻つぼみに。
それが雌伏?年で「今は幸せかい」でカムバックするのです。
この歌は、佐川満男の後輩?でやはりロカビリアンから作曲家に転身した中村泰士(この人もいい曲いっぱい書いてますのでいつか)によるもの。
その後、伊東ゆかりとの結婚、離婚というゴシップもありましたが、現在は歌手というより俳優業が中心で、観てませんが最近ちょっと話題になっている映画「ふたたびSwing me again 」でも名バイプレイヤーぶりを発揮しているとか。
しかし佐川満男ほど禿げ頭が様になっている芸能人もいません。余談です。
ほかではやはり30年代に活躍した映画スター・浜田光夫がいます。
日活青春映画で吉永小百合との名コンビは有名。
日活という映画会社は、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、渡哲也などをみてもわかるとおり、主役級の役者にはレコードを出させることになっているようで、浜田光夫も例外ではありません。
ずいぶんレコードを出したようですが、ヒットしたのは三条江梨子とのデュオ「草笛を吹こうよ」くらい。
こうしてみると男の「みっちゃん」も女に負けないくらい頑張っていました。
で、もうひと頑張り、最後はもうひとりいたとっておきの「みっちゃん」に賑々しくうたってもらいましておひらきに。では張り切ってどうぞ。
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