その名は●ジェリー① [the name]
♪知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めていたい
どこか遠くへ 行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか ひとり旅
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい
…………
(「遠くへ行きたい」詞:永六輔、曲:中村八大、歌:ジェリー藤尾、昭和37年)
前回が「ジェニー」だったから今回は「ジェリー」。とくに意味はありませんけど。なんとなく流れで。
で、われわれの年代で「ジェリー」といえば?
「トムとジェリー」のネズ公? それもありますね。
でもふつうは人間、それもまずはじめは日本人? となればやっぱりジェリー藤尾でしょうか。
ジェリー藤尾は上海生まれで父親が日本人、母親がイギリス人というハーフで、強面。実際若いころは喧嘩っぱやかったようで、“芸能界最強伝説”まで残っていたり。
レコードデビューは昭和36年で、いきなりLP(アルバム)で、「ダニー・ボーイ」「聖者の行進」「悲しきインディアン」などをレコーディング。
その以前からロカビリアンの実績があり、ジャズ喫茶でリトル・リチャードの「ルシール」や「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」なんかを十八番としていたそうです。
まさにカバーポップスの全盛期。同年デビューの同期には渡辺マリ、北原謙二、斎藤チヤ子、藤木孝、飯田久彦、クレージー・キャッツ、松島アキラ、弘田三枝子らが。
わたしの記憶では「悲しきインディアン」Running Bearの印象が強いですね。
とにかく一時期は坂本九と並ぶほどの人気者でテレビにもよく出ていました。
覚えているのはポップス番組の「パント・ポップショー」。のちに結婚する(離婚もね)渡辺とも子と司会をしてました。
ミッキー安川がテーマソングか何かをうたってましたね、って誰も知らないよね。
とにかく当時は坂本九と森山加代子、ジェリー藤尾と渡辺とも子が“お似合いのカップル”(いま言うかこんなこと)でした。
ジェリーはその“特異な風貌”を買われて映画にもよく出てました。
ロカビリアン総動員の「青春を賭けろ」や「檻の中の野郎ども」にももちろん、カルト映画「地平線がぎらぎらっ」(これは後年観ました)や増村保造・京マチ子の「足にさわった女」などにも。
だいたい端役でしたが、「地平線」だけは主役級でした。
黒澤映画にも2本?(ほかに観ていない作品があるかもしれません)出ていました。
「用心棒」ではヤクザ者のチョイ役でしたが、腕を斬り落とされるという印象的な場面がありました。
もうひとつは「どですかでん」で、これは酒乱の男を演じていました。
昼間から酒を飲み、雨の中で日本刀を振り回すというアブナイ男の役。これも適役。
その場面で、周りの人が恐がって近づかないなかを、同じ長屋に住む渡辺篤(他人の家をのぞいて回る人ではありませんよ。戦前は大変な人気俳優だったそうだ)が近寄っていき、何かひと言ふた言話しかける。
するとジェリーさん気が抜けたようになってスゴスゴと自分の家へ戻っていく。
観客には雨の音に消されて、渡辺篤が何を言ったのかわからない。
後日ジェリーが近所の連中に「あの時なんて言われたんだい?」と聞かれると、その答えに代わってあの雨中で日本刀を持って大暴れのシーンが再現される。今度は渡辺篤のセリフつきで。
「あの、代わりましょうか? …………いえ、疲れるから代わりましょうか?」
ちょっとクサかったけど印象に残っているのですから、おもしろい演出だったのかもしれません。だいたい「どですかでん」そのものがリアルな生活を戯画化してエンターテインメントの味つけをした映画ですから、いいんでしょうね。多分。
それからなぜかあまり映画に出なくなりました。
顔にインパクトがありすぎて、役が限定されちゃうのかな。
いいキャラクターだと思ったんですけど。強面の顔だって見方によればスティーブ・マックイーンに似てないこともないし。
そんなジェリーの最大唯一のヒット曲といえば「遠くへ行きたい」でしょうね。
坂本九の「上を向いて歩こう」と同じ永六輔、中村八大の作詞作曲コンビで、NHKテレビの「夢で逢いましょう」の今月の歌だったでしょうか。その後、民放の同名紀行番組の主題歌につかわれて視聴者に浸透していったのでした。
たしか「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」の題名でワールドワイドなヒット曲になったことにならって、「スシ」(じゃなかったっけ)というタイトルで世界進出を試みたことがありました。
ところがヨーロッパのどこかで少し流れたくらいでうまくいかなかったとか。
そりゃそうですよね、あんなに暗い曲調ではなぁ。
今年70歳。もちろん現役です。
もうひとり日本にハーフのジェリーがいました。
ミュージカルなどの舞台の活動が多かったジェリー伊藤です。
彼もジェリー藤尾同様母親が白人で父親が日本人。
父親は伊藤道郎といって、ニューヨークで活躍したダンサーであり演出家。戦後は帰国して日本でもショウやミュージカルの演出をしたとか。
ジェリーはその父親を追って来日、以後日本を本拠地としてミュージカル中心のエンターテイナーとして活躍することに。
道郎の父、つまりジェリーの祖父も伊藤為吉といって明治期の著名な建築家。ジェリーはその祖父の名前をもらい、本名は「ジェラルド・タメキチ・イトウ」。
ちなみにジェリーには「Jerry」と「Gerry」があり、ともに愛称で、前者はジェラルドGerald、ジェレミーJeremy、ジェロームJeromeなど、後者はジェラルドGerald、ジェラードGerardなど。
ということは、ジェリー藤尾が「Jerry」なのに対し、こちらは「Gerry」かもしれない。
映画やテレビに役者としてよく出ていたようで、怪獣映画の「モスラ」とか「網走番外地シリーズ」に出ていたということですがまるで記憶にありません。
歌のほうは、ジェリー伊藤の名でアルバムを出しているかどうかはしりませんが、NHKテレビの「英語であそぼ」のレギュラーで、そのシリーズのCDが発売されているようです。そのなかでトラディショナルソングやスタンダードなどのアメリカン・ミュージックが聴けます。
わたしが唯一もっている音源は「クリスマスソング」のコンピアルバムで、その中で彼はあの太くソフトな声で「ホワイト・クリスマス」をうたっています。
残念ですが2007年にロサンゼルスの自宅で亡くなったということです。
NHKの洋楽番組で何度か見たこともありますけど、声はいいし歌もうまいし、スタンダードポップスとか映画音楽あるいはお得意のミュージカルのCDでもつくっておいてくれたらよかったんですけど。
でも、どこかに未発表の音源があるんじゃないでしょうか、いくつか。
そういうの集めてアルバムにね、……だめか、商売にならないものつくらないものね。
映画「がんばれベアーズ」の何作目かで、日本が舞台になった作品にチョイ役で出てましたね。
映画の中で「家族そろって歌合戦」に出る役で、たしか「ムーンリバー」を歌ってました。
あの映画、ちょうど新宿の超高層ビルが出来つある時のロケされていて、おもしろかったですね。
駄作ですけど・・・。(^^;
by Mashi☆Toshi (2010-07-26 19:37)
Mashi☆Toshi さんnice!を2つもありがとうございます。
「がんばれベアーズ」は第一作しか観てないのですが、出ていましたか。もちろん「伊藤」のほうですよね。
テレビにもずいぶん昔から出ていたように思いますが、「何年たっても日本語がうまくならないなあ」って思っていました。
それでも、晩年はトーク番組にも出るほど達者になっていましたが。
「がんばれベアーズ」といえばウォルター・マッソーでしたっけ、ああいう「ヘンな顔」の俳優いませんね、最近。やっぱりイケメンじゃないとだめなんですかね。
ジャック・レモンとの「おかしな二人」とかちょっとシリアスな「突破口」とか「サブウェイ・パニック」なんてよかったですね。
性格俳優っていうんでしょうか、不思議な魅力がありましたね。
話が脱線しましたが、今後ともよろしくお願いします。
by MOMO (2010-07-27 22:27)
ぺん獣さん、みていただいてありがとうございます。
「どですかでん」は黒澤映画のなかではあまり評価の高い作品ではないようですが、わたしは好きです。
お仕事がんばってください。
by MOMO (2011-02-28 01:21)
「ミッキー安川がテーマソングか何かをうたってました」ホント懐かしいですね。〽おーい どしたんだい 元気がないじゃないか 僕のいうこと聞かないからだよ パントを飲んで 元気で頑張ろう〜だったと思います。ポップショー(パントポップショー)のテーマソングは、確か〽いつもの時間 いつものところ 約束しましょう ポップショーで会いましょう~ というやつで、これはジェリー藤尾と渡辺とも子が歌ってたように思いますが、なにせ半世紀以上前だから、記憶が怪しいし、途中は全く覚えていません。最後が それはポップショー パントポップシヨー パントポップショーで会いましょう。
by 汎覚斉 (2018-01-14 21:30)