その名は●石井好子 [the name]
Parlez-moi d’amour
Redites-moi des choses tendres.
Votre beau discours
Mon cæur n’est pas las de l’entendre
Pourvu que toujours
Vous répétiez ces mots suprêmes
Je vous aime
………………
([PARLEZ-OI D’AMOUR]paroles et musique de JEAN LENOIR, 1930)
シャンソン協会会長でもあった歌手の石井好子さんが、17日に亡くなったそうです。87歳は十分生きぬいたといえます。ご冥福をお祈りします。
石井さんといえば、戦後まるで“鎖国”の土手が崩れたように怒濤の如くなだれこんできた洋楽の洪水をみごとに泳ぎきってプロシンガーになった歌手のひとり。
なにしろバンドをバックにジャズをうたいはじめたのが、1945年の9月というのだから、まるで敗戦を待ちわびていたようなデビューといっていい。
もちろん東京音楽学校(現在の芸大)出身で、戦前から歌手志望であったのだけど。それをまだ焼跡の臭気ただよう日本で、ためらいもなく実行するあたりが人並みはずれている。
5年後には単身アメリカへと修業に旅立つ。
講和条約前で、まだ自由に海外へ渡航できる状況が整っていない頃ということを考えると、そのバイタリティたるや、ハングリー精神たるや(お金持ちのお嬢さんではあったが)圧倒的である。
もちろんその時、28歳で結婚、離婚も経験しており、精神的にも経験的にも自立した女性であったことは十分想像がつく。
サンフランシスコへ行った時点ではまだジャズかシャンソンか迷っていたそうだ。それをパリ行きを助言したのがジョセフィン・ベイカーだった、と彼女の自著「私は私」には書いてある。
その「私は私」は50年の渡米からやがてパリへ向かい、55年に帰国するまでの様子が描かれている。
ピアフやダミアのショーに感激したり、イヴ・モンタンの前座でうたったり、ジャクリーヌ・フランソワやアンドレ・クラヴォーなど、当時のシャンソン歌手との共演したりと、バイタリティあふれる若き日の彼女の姿が目に見えるよう。
また、ジャコメッティや藤田嗣治、マルセル・マルソー、あるいはオペラ歌手の砂原美智子、朝吹登水子ら芸術家たちとの交流、あるいはフランスを訪れた中原惇一、高英男、越路吹雪、作家の獅子文六、真杉静枝、火野葦平、女優の岸惠子、桂木洋子、山口淑子、京マチ子、有馬稲子などなどなど。
とにかく日本の芸能人や文化人が次から次へとあらわれる様はまさに万華鏡。それと同時に若き日の石井好子がシャンソンにどっぷり漬かっていく様子が伝わってくる。
日本にシャンソンブームがやってくるのは、彼女が帰国してから3年あまりのちのこと。
まさに日本にシャンソンを根付かせ、時代のシンガーをたくさん育てあげた功労者だった。何よりも最後まで現役のシンガーでいたことが素晴らしい。
ひとつ不思議なのは、彼女のオリジナルソングを聴いたことがないこと。
ヒット曲がなかったのか、はたまた「シャンソンは本場のものしかうたわないわ」と言ってレコーディングしなかったのか。
詳細は不明だが、それはそれで“草分け”として潔いとも思える。
チェックが厳しいのか彼女のYOU-TUBEがみつかりませんので、
彼女が生まれて初めてうたったというリュシエンヌ・ボワイエLUCIENNE BOYERの「聞かせてよ愛の言葉を」と本のタイトルにもなっているジュリエット・グレコJULIETTE GRÉCOの「私は私」を本場もので、どうぞ。
私事ながら、小さいときからピアノを習っていたのですが、
教えてくださったO先生を偲ぶ会の時、
石井好子さんからのメッセージが寄せられていて
ピアニストを目指していた彼女に、
あなたは歌ったほうがいいんじゃないと、アドバイスしてくれたのが
そのピアノの先生だったそうです。
石井さんの言によれば、
今、歌っているのは、そのO先生のおかげと。
同じ先生に習っていたという、ご縁を根拠に、
素晴らしい女性だなと、思って見てきました。
by toty (2010-07-22 09:33)
こんにちは。
へえ、ピアノの先生が一緒だったとは奇遇ですね。
彼女がピアニスト志望だったとはしりませんでした。
弾き語りも見たことがないですね。
そういえばシャンソンではあまり見かけませんね。
日本のシャンソンの世界もだいぶ淋しくなります。毎年恒例の「パリ祭」は続けていってほしいですね。
by MOMO (2010-07-24 21:08)
暑いですね、この頃。
シャンソンといえば今度はじめて美輪明宏のコンサートに女房と行くことになりました。
彼と言えばいいのか彼女と言えばいいのか困りますが、きっと素敵なコンサートになるのではないかと思います。
石井好子さんはほとんど知りませんのでコメント出来ませんが、日本語のシャンソンはどうしても子音の関係上ムードが出ません。その辺をどうするかは作詞家の腕前になるのでしょうか。
シャンソン歌手はほとんど地声で歌うのが普通ですね、最近の歌手は裏声を主体としたような発声が多い。
どちらが良いとは言えませんが、これも高い音域を好む現代の人たちの影響かなと思います。それって実は低音の聞こえないイヤーホーンのせいだと思いますけど。
ですからシャンソンは生で聞くのがいいと思います。
それではまた。
by レモン (2010-07-25 09:21)
あるサイトで見たのですが、石井さんはホーギー・カーマイケルが来日したとき、会ったことがあるんだそうです。
歌手だと紹介されると、ホーギー・カーマイケルから「何か歌ってください、伴奏しますから」といわれ、「Stardust」を歌ったとか。
日本で、ホーギー・カーマイケルに伴奏させてスターダストを歌ったのは、ザ・ピーナッツと石井さんだけらしいです。
ホーギー。カーマイケルの来日は記憶にありませんが、たぶん「ララミー牧場」と「シャボン玉ホリデー」が放送されているころでしょう。
by Mashi☆Toshi (2010-07-26 19:45)
レモンさん、こんにちは。
美輪明宏ですか、奥さんのご趣味ですか?
いいですね、わたしも一時期よく聴きました。「メケ・メケ」のヒットから半世紀以上ですから、年期が違いますよね。
お得意の「人生は過ぎゆく」とか「サンジャンの恋人」なんかのシャンソンもいいですが、古い歌謡曲だけのアルバムがありましてこれがまたいいんです。「港の見える丘」とか「喫茶店の片隅で」とか。
コンサートはいったことありませんが、どんな曲の構成なのかとても興味があります。
感想ともどもレモンさんのブログで紹介していただけたらウレシイですね。
by MOMO (2010-07-27 22:10)
Mashi☆Toshi さん、こんにちは。
たしかシャボン玉ホリデーにはゲスト出演したんじゃなかったでしたっけ。なにかの本で読んだ記憶があります。
石井好子さんと共演したのは初めて聞きました。
「ララミー牧場」はジェス(咄嗟本名が出てこない)が来日したのは覚えていますが、そのとき一緒に来たのですかねえ。
あの頃はスタンダードがさほど浸透していなかったんでしょうね。
いまだったら大変な騒ぎですよね。もしかしたらジェス以上だったりして。そんなことはないですか。
by MOMO (2010-07-27 22:16)