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その名は●ジェニー① [the name]

鈴木やすし.jpg 

♪ジェニ ジェニ ジェニ イカした名前だぜ
 ジェニ ジェニ オー ジェニ ジェニ
 ジェニ ジェニ ジェニ イカしたキッスだぜ
 ジェニ ジェニ オー ジェニ ジェニ
 今夜はお前と狂って遊ぼうぜ
 ジェニ ジェニ オー ジェニ ジェニ
(「ジェニ・ジェニ」詞・曲:エノトリス・ジョンソン、リチャード・ペニマン、歌:鈴木やすし、昭和37年)

「ジェニー」Jenny(Jennie)というのもいかにも陽性の“ヤンキー娘”(茶髪の不良のことじゃないよ)を連想する名前。

と思うのは私だけで、一般的にはというか一部の女性には「妖精」つまり“可愛い女の娘”というイメージがあるらしい。

その理由は昭和の末期あたりに登場した「ジェニーちゃん」の影響かも。
ジェニーちゃんはアイドルでもタレントでもない。バービーちゃんやリカちゃんと同じ着せ替え人形。ジェニーになる前の名前は“タカラバービー”だったとか。
国産でなぜジェニーと命名したのかは知らない。

しかし、明るくて好奇心旺盛のセブンティーン、ジェニーちゃんが登場する以前から日本人にとって「ジェニー」は親しみのある名前でした。
よく歌にもうたわれていて、厳密に調べたわけではないが、日本では「マリア」や「マリー(メアリー)」に次いでうたわれていたような印象があります。

古くはフォスターStephen Collins Foster の「金髪のジェニー」Jeanie with the Light Brown Hair がありますが、原題からもわかるとおり、これは「ジェニー」というより「ジニー」の方が近いのかもしれません。同様に原題に即していえば、ジェニーは金髪ではなく茶髪でしょう。

そして1960年代にはジェニーという名前を認知させるような歌が日本で大ヒット。

それが鈴木やすし(現在はヤスシ)のうたったカヴァーポプス「ジェニ・ジェニ」

鈴木やすしは渥美清の付き人の経歴もあり元は俳優。器用でライブの司会をしているうちに自分もうたうことに。
レコードを出す前からジャズ喫茶のステージに立つほどで、「ジェニ・ジェニ」が十八番。そのときのステージネームが「ジェニー鈴木」とはびっくり。昔はジェニーでもジョニーでも大差なかったのかも(そんなバカな)。

その後ロカビリアンとしてレコード会社からスカウトされ2枚目のレコードで“持ち歌”の「ジェニ・ジェニ」をヒットさせたのだからスゴイ。さすがにジェニー鈴木はやめたけど。

当時(昭和30年代中ほど)のカヴァーポップス黄金時代は、“競作”つまりひとつの歌を複数の歌手がレコーディングするのが常識。この「ジェニ・ジェニ」も、ほりまさゆき平尾昌章らがうたっていました。
それでもビッグヒットの栄冠は鈴木やすしの頭上に。

しかし鈴木やすし、その後はヒットにめぐまれず、コミックソング「社長さんはいい気持ち」が小ヒットしたくらいで低迷。

ロカビリーブームが去ると、若い頃の経験をいかして「ホイホイ・ミュージック・スクール」や「勝抜きエレキ合戦」などTVのオーディション番組の司会をやったり。その後もなぜか民謡番組の司会を長年やっていましたが、それもいつか終了。

それでも現在、時々オールディーズ番組で懐かしい歌を聴かせてくれます。“一発屋”だって“飛距離”があればマスコミに取り上げられることもあるのです。

鈴木やすしによって「ジェニー」という名前がとりわけ若者の間に“定着”していったことは想像に難くありませんが、流行歌・ポップスでははじめてかというとそうでもなく、戦前の昭和10年にすでに「ジェニー」はお披露目されていたようなのです。

それが「スイート・ジェニー・リー」Sweet Jennie Lee
いかにもスイング前夜といった感じの陽気なアメリカ発のジャズで、日本では戦前にディック・ミネ川畑文子、チェリー・ミヤノらがレコーディングしています。
ちなみに、1980年代には舞台や映画の「上海バンスキング」の中で主演の吉田日出子がうたっています。

話をもどして、以前にも取り上げたことがありますが、川畑文子もチェリーも日系アメリカ人で、川畑は知る人ぞ知る歌って踊れるエンターテイナー。13歳で全米デビューしたといいますから驚き。
昭和7年、16歳のときに来日(逆輸入ということでしょうか)、以後日本をベースにレビュー活動を展開していきます。

チェリー・ミヤノは昭和10年に来日し、文子にタップダンスの手ほどきをうけ、その年に「おゝ櫻(チェリー)」でレコードデビュー。「スイート・ジェニー・リー」ともどもバックのタップは文子だそうです。

西暦でいうと1930年代、川畑文子を中心に、チェリー、そして文子を追いかけて来日したベティ稲田など、日系アメリカンガールズによって盛り上がったジャズエイジがあったことは、もっと(詳しく)語られていいような気がします。たとえそれが、1941年の日米開戦までの短い期間であっても。

予定をオーバーしてしまいましたので(自分で勝手に決めてる)、以下日本の「ジェニーズ・ソング」を列記してお開きということにします。

「ジェニーはご機嫌ななめ」ジューシー・フルーツ
最近ではPerfumもカヴァーしている名曲? 作曲は近田春夫

「恋をしようよジェニー」カーナビーツ
「好きさ好きさ好きさ」に続く2枚目のシングル。作詞の万里村ゆき子はほかにブルーコメッツ「マリアの泉」「すみれ色の涙」、ヴィッキー「白い十字架」「待ちくたびれた日曜日」などが。

「淋しいジェニー」フォー・ナイン・エース
「ウォーキン・ザ・バルコニー」
の極小ヒットがあるGS。ジョー山中(城アキラ)が在籍していた。作曲は「夢は夜ひらく」曽根幸明

「いとしのジェニー」チコとビーグルス
こちらも2枚目のシングルで、作詞はデビュー曲「帰り道は遠かった」と同じ作家の藤本義一

そのほか、YOU-TUBEでみつけた「ジェニー」は以下2曲。“初耳”ですが。
「Jenny」ミッシェル・ガン・エレファントTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT
「ジェニーMY LOVE」井上陽水

ところで、鈴木やすしの「ジェニ・ジェニ」が流行っていた頃、われらガキどもまでが意味もわからないまま「ジェニ、ジェニ、ジェニ……」なんてうたってました。

もちろんそれが愛しい女の娘「ジェニー」のことなどとはつゆ知りませんでした。テレビに出ていたどこかのお笑い芸人が関西弁?で「銭(じぇに)、銭、銭」というのを半ば信じていたのですから他愛がないといえばそう。しかししかたのないことですよね、「ジェニー」はおろか、「サリー」も「ルシール」も「モリー」も、みんなまだ知らなかったのですから。


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コメント 2

toty

ジェニ ジェニ ジェニ♪

私も、銭のイメージが強かったです。
途中、「ウー」と甲高い合いの手を入れて歌ってました。
英語でも歌ったと覚えてます。
楽しい歌でしたね。
by toty (2010-06-23 23:03) 

MOMO

totyさん、いつもありがとうございます。

リトル・リチャードはたしかに「ウー」って言ってますよね。
あの頃のロケンロールって、あのノリですから同時代の歌謡曲との落差がスゴかったですね。
子供ながら「なんだコレは」って驚いてましたから。
by MOMO (2010-06-24 23:14) 

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