Hymns①主われを愛す [noisy life]
Jesus loves me! This I know,
for the Bible tells me so.
Little ones to him belong;
they are weak, but he is strong.
(Refrain)
[JESUS LOVES ME] written by Anna B. Warner
夜の街に「ジングルベル」やら「きよしこの夜」やらがながれております。
50年あまり以前にもこんな夜があったような。
実のところ「ジングルベル」や「きよしこの夜」は知っていても、まともにうたいきることができません。ほとんどアタマの部分しかしらないのです。
しかし、なぜか「もろびとこぞりて」だけは、1番のみですが覚えています。なんでかな。きっと好きだったからでしょう。(自問自答)
ところで、「きよしこの夜」も「もろびとこぞりて」も、讃美歌(Hymn)です。もちろん当時はそんなことしりませんでしたが。そういえば童謡の「むすんでひらいて」も讃美歌だというのはよく知られた話ですし、讃美歌が日本の童謡・唱歌に与えた影響は少なくないようです。
讃美歌とは、キリスト教の礼拝やセレモニーで、その名のとおり神を崇め讃えるためにうたう歌のこと。主にプロテスタント系でうたわれるのだとか。
その歴史もキリスト教と同じぐらいというから、切っても切れない存在なのです。
讃美歌をうたうということは、礼拝者個人個人が神への忠誠をあらわすためのものであると同時に、集まった全員が心をひとつにする、さらには“陶酔感”を得るためのものだったのではないでしょうか。歌、とりわけ合唱にはそんな効用がありますから。
その讃美歌が異教国である日本にやってきたのは?
もちろんキリスト教の伝来とともに。1549年、鹿児島に上陸したかのフランシスコ・ザビエルによって。
ザビエルさんがどんな讃美歌をうたったのかは不明ですが、昔から現在に至るまで、伝道・布教活動に不可欠な讃美歌がうたわれたことは容易に想像できます。それはすなわち、日本の歴史上初めて“洋楽”が披露されたということにもなります。
しかし、異教の“春の日”は短く。ザビエル上陸から30年後、キリスト教のよき理解者だった織田信長が本能寺で暗殺されると、一挙に長い冬の時代へ。
ふたたび讃美歌が日の目を見るようになるのは明治維新ののち。
欧米に門戸を開放した明治政府は、彼らの国教であるキリスト教もまた認めざるをえなかったのでしょう。
明治5年、正式にキリスト教が解禁になると、政府は急いで讃美歌の翻訳に着手します。いまでいうと洋楽の日本語カヴァーってヤツです。
そのひとつが、上に詞をのせた[JESUS LOVES ME](讃美歌461番)。邦題では「主われを愛す」。
この歌はアメリカで生まれた讃美歌で、当初子供むけの歌としてつくられたものをのちに讃美歌として採用したのだとか。
翻訳にあたったのは日本人ではなく、J・N・クロスビーというアメリカの女性。当時の日本人で翻訳ができる人間がいなかったのでしょうか。ちなみに彼女はのちに横浜共立女学校の校長になっています。
ただ、クロスビー女史とて、そんなに長く日本に滞在していたわけではないらしく、その訳詞も、
♪エス我を愛す 左様聖書まおす
帰すれば子たち 弱いも強い……
なんてカタコト感まるだし。
しかしこれがまぎれもなく日本で公式にうたわれた讃美歌なのだそうです。
それから10年を経ずして、政府(文部省音楽取調掛)によって現在の日本のうたの礎ともいうべき「小学唱歌集」がつくられるのですが、その任にあたったのが東京師範学校校長だった伊沢修二。
彼は明治8年から3年余り、師範の養成を研究するためアメリカへ渡ります。そこで、西洋文明を取り入れるためには音楽教育が欠かせないことを痛感するのです。
伊沢は多くの音楽に関する資料や楽譜を持ち帰り(多分)、唱歌の編纂の参考にしたのでしょう。
その「小学唱歌集」発行にさいしては、いまでいう出版記念イヴェントが行われています。演奏会ですね。そこで歌集におさめられたうちの8曲が演奏、歌唱されたそうで、そのなかにはドイツ民謡の「蝶々」も。そしてラストソングが
♪ほたるのひかり まどのゆき 書(ふみ)よむつき日 かさねつゝ ……
というスコットランド民謡の「蛍の光」だったそうです。
このように「小学唱歌」第一集には、アメリカから持ち帰った民謡を邦訳したものもいくつかあったようです。とりわけヨーロッパの民謡が多いのは、当時のアメリカの初等音楽教育には、それらの歌が多く用いられていたからだとか。
そして、その後「文部省唱歌」という名の“よみびと知らず”も含めて多くの和製唱歌がつくられていくわけです。
いわゆる音階があるようなないような日本にいきなりドレミファソラシドの7音階を取り入れようとしたのですから大変。
結局、よくいわれるところの日本流のヨナ抜き(半音にかかるファとシのない)5音階メロディーを主流として曲がつくられていくようになるわけです。それは、その後の流行歌にも引き継がれてくことになります。
また、そうした曲の多くは外国の民謡とともに讃美歌の影響を受けたものが少なくなかったともいわれています。
たとえば、「真白き富士の嶺」は作曲者がアメリカ人ですからまさに讃美歌風ですが、「仰げば尊し」、「冬景色」などもそんな匂いがします。
ほかにも中山晋平が作曲した「シャボン玉」が、上に載せた讃美歌の[JESUS LOVES ME]を下敷きにしているのではないか、と指摘する人もいます。
[JESUS LOVES ME]を知らないので、さっそくホイットニー・ヒューストンWHITNEY HOUSTONで聴いてみると、……そういわれてみればそんな感じがあるようなないような、いまひとつはっきりとは……。アレンジがききすぎているというか……。
そこでもうひとつ、子供向けのシンプルな[JESUS LOVES ME]を聴いてみると、ああナルホド……。
また唱歌に詳しい言語学者の故・金田一春彦氏によると、スコットランド民謡の[Comin’ Through the Rye]に大和田建樹が詞をつけた「故郷の空」は、スコットランド独特の旋律を讃美歌風にアレンジしたものだ、と書いています。
たとえばかつてのブルーハーツとかスピッツなんかもそうでしたが、最近のいくつかのJポップの中にときどきそうした「唱歌」の“匂い”を感じることがあります。
これはポップス(洋楽風)のなかに唱歌という和風テイストを入れることでオリジナリティを出しているのかな、と思っていたのですが、もしかすると、ポップスのなかに讃美歌という洋楽風テイストを入れていることになるのかもしれません。つまり洋楽の中に洋楽風の……何を言ってんだか。
Mashi☆Tosさん、読んでいただき、ありがとうございます。
by MOMO (2009-12-20 21:28)
再開、嬉しく読ませていただきました。
「Jesus loves me」
とても馴染んだ歌です。
祖母が熱心なクリスチャンでしたので、
祖母が通っていた教会の聖歌隊の方々のキャンプに毎年参加し、
讃美歌が普通にまわりに流れていました。
学校もキリスト教の礼拝の形をとって宗教教育をしていたので
毎週一回は礼拝があり、讃美歌をいっぱい歌いましたし、
長じて、英語でも歌いました。
子供の頃は、誰に教わったのか
関西弁で
エスさん わて好いてはる
エスさん 強いさかい
わてよわぃかとも 怖いことあらへん
わてのエスさん わてのエスさん
わてのエスさん エスさん わて好いてはる
なんて歌って、ふざけていたのですが、
NHKで放送された「白州次郎」の中で
日本語、英語、関西弁すべてが登場し、
驚きました。
by toty (2009-12-22 01:12)
ごぶさたしてました。
おもしろいですね、関西弁の讃美歌。
たしかに土地土地の言葉でうたうのがいちばん自然ですよね。
津軽弁や鹿児島弁の「主われを愛す」も聴いてみたいですね。
以前のようにはできないでしょうが、読んでくれる方がいることを励みになんとか記事をUPできるようにガンバってみようと思ってます。
by MOMO (2009-12-23 22:57)