島⑤佐渡おけさ [a landscape]
♪こいつを歌うと 泣けるのさ
遠くはなれて 想うのは
鷗とぶとぶ 松原よ
おいら二人で 逢ったとこ
あの娘はこの唄 好きだった 好きだった
(「おけさ唄えば」詞:佐伯孝夫、曲:吉田正、歌:橋幸夫、昭和35年)
佐渡島は新潟の両津港から西へ70キロあまりの日本海上にある島。
その大きさは東京23区の1.5倍あまりといわれ、日本の島でも沖縄本島に次いで2番目の広さ。
佐渡の大きな特徴のひとつとして豊かな芸能と祭りがあげられる。
「鬼太鼓(おんでこ)」「佐渡おけさ」「文弥人形」「のろま人形」「能楽」のほか、祭りや神事がいくつもある。
なぜ離島でこれほど文化が栄えたかといえば、人間の往来が頻繁にあったから。
当然佐渡島も奈良時代から「流人の島」であり、そのことも少なからず影響している(流人のひとりに世阿弥がいる)が、それ以上に古くから交易船や渡航船の“風待ち港”として利用されていたことが大きい。北九州や中国地方あるいは朝鮮半島からと、様ざまな人々が佐渡にやってきた記録が残っている。
さらに決定的なのが17世紀初頭に起こったゴールドラッシュ。
おかげで金脈銀脈が発見された寒村・相川は5万人の町(当時の長崎に匹敵)に変貌を遂げてしまったというからスゴイ。
金銀の採掘に功績のあった佐渡奉行が巨万の富を得たり、彼の死後富の隠匿が発覚し幕府から没収されただけでなく、奉行一族が処刑されたりと、欲が絡みに絡んだドラマが展開されたりもした。
こうなると佐渡へ佐渡へと草木もなびく勢い。
ひと山あてようとか、ここが勝負と算盤をはじいた商人、さらには彼らから小銭を吸い取ろうとする芸人、やくざ者など、それこそ有象無象が佐渡へとなびいていったのだった。
そうやって異国の人間が集い、異文化が交わることで新しい芸能も生まれてくることに。
そのひとつが「佐渡おけさ」。
「佐渡おけさ」は新潟県というか佐渡島は相川で育った民謡。
民謡とは伝承歌。そこまで説明する必要ないか。
とにかく民謡は日本各地にあり、その数6000あまりといわれている。
なかでも「佐渡おけさ」はその哀調を帯びた旋律つまり節で、地元以外でも多くの人の知るところとなっている。
民謡といっても明治以降につくられ作者もわかっている新民謡(たとえば静岡県の「チャッキリ節」や山梨県の「武田節」など)もあるが、ほとんどは作者不詳。
ある意味自然発生的に生まれ、節も文句もマイナーチェンジを続けながらやがて固まっていくというかたちで残ってきたのだろう。
しかしこの「佐渡おけさ」は、九州は天草にある牛深(うしぶか)でうたわれていた「ハイヤ節」がその起源というのが定説なっているつまり地元で生まれた節ではないと。
はじめにも触れたように、異郷の「民謡」が交易船によって佐渡へ運ばれてきたのだ。それがいつしか「佐渡おけさ」として定着していくことに。
それは ♪佐渡は居よいか 住みよいか とか ♪島の乙女の黒髪恋し またも行きたや 佐渡島 という文句にみる、“よそ者”の視点からもわかる。
また「おけさ」は「佐渡」はかりでなく、やはり佐渡島の小木に伝わる「小木おけさ」あるいは「新潟おけさ」などいくつかある。
で、気になるのは「おけさ」の意味。
残念なことにこれがまったくわからない。これほど佐渡界隈で頻繁につかわれた言葉の意味が不明とは。なかには「桶屋の佐吉」で「おけさ」なんて訳のわからない解釈まであったり。
お隣の秋田県には「おこさ節」なんていうのもあるけれど、こちらも意味不明。「おけさ」に「おこさ」、「おとさ」に「おかさ」なんてくだらないことをいってる場合じゃない。
いずれにしてもこの「佐渡おけさ」が、民謡の中でもとびきりの“全国区”になったのは相川の“歌い手”村田文蔵が、大正から昭和にかけてラジオ出演や“全国ツアー”を行ってその普及に努めたことが大きい。
そんなわけで佐渡島と「佐渡おけさ」はしばしば流行歌にも取り上げられている。
古いところでは昭和8年に、「島の娘」の勝太郎姐さんが「佐渡を想えば」を出しているし、偽芸者の音丸の「佐渡は四十九里」、東海林太郎の「佐渡小唄」もある。
ほかでも戦前には「おけさ人形」美ち奴、「おけさ旅情」井田照夫、「佐渡の故郷」北廉太郎、「佐渡の故郷」青葉笙子 などなどと。
そして昭和31年、一世を風靡したのが三波春夫の「チャンチキおけさ」。
♪……知らぬ同士が 小皿たたいて チャンチキおけさ
佐渡から都会へ出てき幾歳月。あの頃は大きな夢もあったけれど、いまだ日陰の身。
そんな男の屋台酒。ついつい出るのが「おけさ節」。気がつけば見知らぬ隣人も手拍子に茶碗と箸の馬鹿ばやし。調子にのって声を張り上げればまぶたに浮かぶのは故郷に残した懐かしき人びとの顔また顔……。
そんな切ない男の望郷歌。間奏には「佐渡おけさ」がつかわれ(佐渡をうたった歌には多い)、イントロの浮かれ囃子もどこかジンとくる。美声を聞かせるのは浪曲師出身の三波春夫。彼のデビュー曲でもあり、この一曲で流行歌のメジャーシーンに。
「もはや戦後ではない」時代となっても庶民はまだまだ貧しかった。
三橋美智也や春日八郎の「望郷歌謡」全盛の時代、佐渡に限らずどれだけ多くの人間が地方から夢を抱えて都会へ出てきたことか。
そんな彼らの共感を得て「チャンチキおけさ」は大ヒットした。
ほかでは上に歌詞をのせた橋幸夫の「おけさ唄えば」。
これもまた「チャンチキおけさ」同様、佐渡から都会へ出てきた男の悲哀歌。
揃いの浴衣で一晩中「おけさ」であの娘とダンシングオールナイト。今すぐに飛んで帰りたい。けど、いまだ夢の途中。男には帰りたくても帰れない理由があるのです、なんて歌。
間奏でしっかり「佐渡おけさ」がうたわれています。
またほかでは北島三郎の「ギター仁義」でも、
♪おひけえなすって 手前おけさおけさの 雪の越後にござんす
と仁義を切っている。
主人公は5年前に都会へやってきたものの「とんと浮き目の出ぬ」流しの歌手。
佐渡を出て望郷の念にかられているのは男ばかりではない。
♪おけさ懐かし……娘十九の ああ渡り鳥 「おけさ渡り鳥」こまどり姉妹
志を抱いたのか、ただ花の都に魅かれて来たのか。いずれにしろ故郷をあとにした女性も少なからずいたはず。
では反対に都会から佐渡へというパターンは? これがあるんですね。
♪生まれは越後の 佐渡だといっていた 「東京へ戻っておいでよ」守屋浩
佐渡から東京へはたらきに来ていた娘。その娘に惚れたけれど、なぜか事情があって故郷へ帰ることに。駅のホームで涙の別れ。「待つぜ」と言ったら頷いたあの娘だったがそれっきり……。それでも何度も夢に見る男。早く帰って来てくれと未練はつのる。
きっと佐渡に許嫁でもいたのでしょう。いやそんなわけはない、今ならともかくあの頃の娘はもっと純情だったから。ほんとかねぇ。
もう1曲。
♪今日は淡路か 明日は佐渡か 遠い都の恋しさに 「涙を抱いた渡り鳥」水前寺清子
これは「渡り鳥」、のちにいう「流れ者」のうた。
「乙女心の一人旅」って女の流れ者もいたんですね。どんな仕事をしていたのか、ドサ回りの歌手か、流れのホステスさんか、はたまた女壺振り師か……。妄想いや想像はふくらみますが。
そうそう学生の頃の話。
夜を徹して友人2人とワイ談、いや議論を闘わしていたと思いなせえ。
そのうちいちばん真面目で口数の少ないヤツがボソっと。
「僕のオヤジ、実はサドなんだ……」
「………………」
瞬間、部屋の空気が凍ったね。
わたしともうひとりの友人は同じことを頭に描いたのでした。で、言葉の継ぎ穂をみつけることができなかった。
賢明なる友人はその空気を察知して
「いやいやいや、オヤジ、佐渡島出身なんだよ」
って。
自分の父親の出身地をそんなに深刻な顔で言うなっつうの。
しかし、あの頃のわたしももうひとりの友人も、佐渡島よりサド侯爵のほうがはるかに身近だったんだなぁ、という清掃のいきとどいた下水管のような話。
「ひばりの佐渡情話」(昭和37)なんて曲もありますね。
本家美空ひばり版はリアルタイムでは知らないのですが、後年ちあきなおみがカバーして知ることができました。
by tsukikumo (2009-03-05 23:28)
tsukikumoさん、こんにちは。
予告をしてもらったふうになってしまいました。恐縮です。
「ひばりの佐渡情話」は難しい歌のようで、演歌歌手はこぞってチャレンジしますね。ものマネ風あり、個性派風ありですが、やっぱり本家にまさるものはありませんです。比較することはないのですが、つい。
by MOMO (2009-03-06 20:49)