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【木の下闇】 [obsolete]

木の下闇①.jpg

『……自分ひとりで、その木の下闇にはいってゆくことが、恐ろしかったからである。だが、いつかひるま来たときには、園子はその松林がそれほど深いとは思わなかった。すずしい木陰が半町ばかりつづくだけであった。……』
(「まごころ」田宮虎彦、昭和25年)

「木の下闇」konositayami とは読んで字のごとし、樹木の下の陰になっている部分である。ただ昼間はあまり「木の下闇」とは言わない。やはり木陰だろう。「木の下闇」は夕暮れや、夜の木陰のこと。「木の下闇」、何か謎めいていたり、事件が起こりそうな雰囲気があったりしてなかなかいい言葉だと思うのだが、あまり使われなくなった。

大岡昇平の「武蔵野夫人」では、夜、恋人たちが語らう木の下闇の場面が出てくる。付近には街灯があるのだが、恋人たちによって“邪魔者”の電球は割られてしまう。付け替えてもすぐに割られてしまうというようなことが書かれていた。

“引用”は主人公の園子が、夜一人で木の下闇を往く場面である。その闇の中でヒロインは一生忘れられない事件に遭遇する。まさにその直前のシーン。
半町は距離のことで、町が単位。一町が約109メートルなので半丁は50メートルあまり。

総合病院の事務を勤める園子は、陰で“鬼瓦”と言われるほど器量のわるい娘である。本人もそのことを知っている。彼女が無口なのはそのせいである。そんな彼女にも憧れの人がいる。研修医の修一郎で、園子とは遠い親戚にあたる。修一郎は毎年夏になると園子の勤める病院へ実習に来ることになっていた。

ある年の夏、休暇をとった園子は病院の別荘へ出かけた。そこは毎年、従姉の雅江や修一郎のほか数人の若者が集まるのだ。修一郎たちは海で釣りをしたりモーターボートに乗ったり、麻雀に興じたりして休暇をエンジョイする。だが園子は、植木の世話をしたり洗濯をしたりと輪の中へ入っていけない。ある日、修一郎から声をかけられる。なんてことはない挨拶だったが、園子には飛び上がらんばかりにうれしいことだった。

それぞれが明日、病院へ帰るという夜、園子は開放感から海辺を散歩する。その松林の続く木の下闇で突然背後から誰かに抱きしめられる。園子はそれが修一郎だと直感する。そして無抵抗のまま身を委せる。

やがて戦争が激しくなり、修一郎も戦地へ行く。園子は彼に慰問袋を送り続けるはじめは名前を書かなかったが、やがて修一郎の知るところとなった。修一郎からは好意的な返事が来るようになった。しかし、修一郎は戦死してしまう。

戦後、園子の所へ彼の両親がやって来る。そして、息子に慰問袋を送り続けてくれたことへの感謝の言葉を言う。それとともに、修一郎から生きて帰ったら園子と一緒になりたいという便りが来ていたことを知らせる。それを聞いた園子はただ泣き崩れるばかりだった。

30歳近くになってもいまだ独身の園子は、あるとき従姉の雅江を誘って展覧会へ行った。そして、そこでいままで誰にも言わなかった修一郎との一夜の想い出を雅江に聞かせるのだった。それを聞いた雅江は、「本当に最後の夜のこと?」と聞き返した。その夜、雅江と修一郎は他の2人を交えて徹夜で麻雀を打っていたからである。

なんとも微妙な話だ。女性にやさしい作者にしてはいささかヒロインの扱いが非道い。園子の誤解を知った従姉がそのことを言わなかったのは、作者のやさしさだが、知らぬが花なのが本人だけなのだから辛い。園子にとって、これからその幻を上まわるだけの男は現れないだろうと予測できるだけに、美しき誤解だけではすまされないものが残る。ただストーリーとしては面白い。

タイトルの「まごころ」のありかは、はたして何びと、いずくにありや。

この年に流行った歌

服部良一、古賀政男、古関裕而は、戦前からの昭和流行歌3大作曲家だが、鮮度の落ちない点では服部良一がいちばん。社会現象になるほど有名になったこの歌手だが、昭和32年に引退したあとは、俳優ひとすじでステージはもちろんテレビでもいっさい歌をうたわなかった。


 


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