夏歌⑥YOU ARE MY SUNSHINE [noisy life]
The other night dear as I lay sleeping
I dreamed I held you in my arms
When I awoke dear I was mistaken and
I hung my head and cried
YOU ARE MY SUNSHINE my only sunshine
You make me happy when skies are gray
You'll never know dear how much I love you
Please don't take my sunshine away
([YOU ARE MY SUNSHINE]words & music by JIMMY DAVIS & CHARLES MITCHELL, 1940)
「太陽」の最終回は「サンシャイン」。
で、いちばん親しみのある歌が「ユー・アー・マイ・サンシャイン」YOU ARE MY SUNSHINE。といっても安室奈美恵やEXILEのそれではありません。アメリカのカントリーミュージックの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」YOU ARE MY SUNSHINE。
たぶん生まれて初めてうたった英語の歌がこの曲。中学時代英語の時間だったっけ。
もちろんカントリーなどということは知らず、アメリカの民謡だと思っていましたが。
それにしてもストレートな表現ですよね。
「君は僕の太陽だ」なんて、英語だから言えるんであって日本語じゃあ……。好きな人を陽の光にたとえるなんて日本の風土にはない……こともないですか。日本でも大昔女性は太陽だったそうですから。
歌の内容は題名からしてなんとなく、明るい恋人讃歌のようですが実際はトーチソング。
この歌が生まれたのは、というか初めてレコーディングされたのは1940年というから昭和でいうと15年、日米開戦の前の年。
シンガーは“作者”でもあるジミー・デイヴィスJIMMY DAVIS 。当時ジミーはいわゆる“歌う映画俳優”で、西部劇に出演(主役級ではなかった)していました。歌の方は自分のヒルビリーバンドをもっていて、今でも音源が残っていてますが、それほど魅力のあるシンガーではなかったようです。
しかし、なぜか当時有名なカントリー歌手、ジーン・オートリーGENE AUTRY やポップシンガーのビング・クロスビーBING CROSBY らがこの歌をレコードに吹き込み、これがヒット。その影響でジミー盤も売れるようになり、翌年あたりからかなり知られる歌になったそうです。
ジミーは、その余勢をかってというか、もともとそうした資質があったのか、1944年に立候補したルイジアナ州知事に当選します。その選挙キャンペーン中、各会場で「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をうたいまくったとか。
歌の力は偉大です。もしジミー・デイヴィスが「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を“作り”うたわなかったら果たして州知事になれたかどうか。
ところがこの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」、デイヴィスの作ではないという説が。たしかにいまでもクレジットには彼と、彼の音楽の相棒だったチャールズ・ミッチェルの名があり、権利はたしかに彼らに。しかし、それはデイヴィスが“実際の作者”から二束三文で版権を買ったのだと。
たしかにデイヴィスはミュージシャン時代、いくつかの歌の権利を買っています。「ユー・アー・マイ・サンシャイン」もそのひとつだというわけ。
生前のジミー・デイヴィスに会って「ユー・アー・マイ・サンシャイン物語」を著した三井徹氏は、デイヴィスがレコード化する以前に2つのバンドによって「ユー・アー・マイ・サンシャイン」が吹き込まれていて、その一人からデイヴィスは権利を買ったのではないか書いています。
またこの歌については「自分こそ作者だ」という人間が20人以上いるとも。
「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の作者がどうやらジミー・デイヴィスではないということは間違いなささそうですが、では真の作者はとなると霞の彼方。1世紀も2世紀も以前に誕生した歌ならまだしも、せいぜい60数年しか経っていない歌の作者がわからないとは。アメリカという国が広すぎるのか、はたまた大雑把なのか。
これほど知られた「ユー・アー・マイ・サンシャイン」ですからレコーディングしているシンガーをあげただけでも大変な数にのぼるでしょう。
カントリー以外のシンガーではレイ・チャールズRAY CHARLES がヒットさせています。これはもうノリのいいR&Bに仕立て直されています。さらにアレサ・フランクリンARETHA FRANKLIN 盤にいたっては、もう原型をとどめないほど黒くなっています。
それではその他の「サンシャイン・ソング」を。
「太陽に歌って」WE'LL SING IN THE SUNSHINE
1960年代ゲイル・ガーネットGALE GARNETT の自作自演でヒット。スキーター・デイヴィス&ボビー・ベアSKEETER DAVIS & BOBBY BARE やヘレン・レディHELEN REDDYでも聴けます。
「サンシャイン・スーパーマン」SUNSHINE SUPERMAN
スコットランド出身のドノバンDONOVANはウディ・ガスリーWOODY GUTHRIE やジャック・エリオットJACK ELLIOTTなどに影響されたフォークシンガー。この歌で1966年の全米、全英ナンバーワンに。このあとのヒット曲「メロー・イエロー」MELLOW YELLOW もそうですが、ドラッグでトリップしたような歌詞は時代の雰囲気に合っていました。
「輝く星座」AQUARIUS/LET THE SUNSHINE
男3人、女2人(オリジナルメンバー)の黒人ポップグループ、フィフス・ディメンションTHE 5th DIMENTIONの全米ナンバーワンヒット。1967年に「ビートでジャンプ」UP, UP AND AWAY がグラミー賞の「最優秀レコード」「最優秀ポップ・グループ」「最優秀コンテンポラリー・シングル」の3部門を獲得。その2年後に出たのがこの「輝く星座/レッツ・ザ・サンシャイン」。これまたグラミー賞2部門を獲得して、トップアーチストの座を不動のものに。
この曲は1968年初演の反戦ロック・ミュージカル「ヘア」HAIRのために書かれたもの。長髪、フリーセックス、反戦、ロックと当時の若者文化が散りばめられていました。
「太陽を背にうけて」SUNSHINE ON MY SHOULDERS
ジョン・デンバーJOHN DENVER のヒット曲。「故郷へ帰りたい」TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS と同じ1971年にリリース。この曲でカントリーだけではなくポップスシンガーとしても認められるようになったとか。
「サンシャイン」YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE
スティーヴィー・ワンダーSTEVIE WONDER の1972年の作品。メロウなソウルで73年の全米1位。彼の数あるヒット曲のなかでも最もジャズシンガーに愛された歌。シナトラFRANK SINATRA をはじめ、エラELLA FITZGERALD、ペリー・コモPERRY COMO、メル・トーメMEL TORMEなどが歌っています。
ほかにも、ロネッツTHE RONETTES の[I WISH I NEVER SAW THE SUNSHINE]、レスリー・ゴアLESLEY GORE の[SUNSHINE, LOLLIPOPS AND RAINBOWS]、あるいはジミー・クリフJIMMY CLIFF の[SUNSHINE IN THE MUSIC]など“サンシャイン・ミュージック”は少なくありませんが、そろそろ予定超過で……。
この「ユー・アー・マイ・サンシャイン」、“生い立ち”が不鮮明だったり、選挙に利用されたりと不思議な歌です。それでも世界的愛唱歌になっているのは、歌詞とメロディーがきわめてシンプル、ということもあるでしょうが、誰でも好きな相手にYOU ARE MY SUNSHINE と言ってみたい気持ちがあるからじゃないでしょうか。
言えないものならせめて歌ででもってね。
当方、お年寄りと一緒に歌を楽しんでいるのですが
この数ヶ月、You are my sunshineを歌っていました。
選挙に使った曲と言うことは知っていましたが
「版権を二束三文で買った」のかもしれない、作者と名乗る人が20名とか、そんなエピソードは知りませんでした。
歌う合間に、このお話を使わせて頂きます。
by toty (2008-07-26 11:10)
totyさん、こんにちは。
カラオケではなく、みんなで合唱っていうのもいいですね。
それにしても、ハイカラな方々ですね。
Red River Valley や My Daring Clementaine なども曲、詞ともシンプルで覚えやすいと思うのですが、どうでしょうか。
by MOMO (2008-07-26 21:07)