CMソング① [noisy life]
♪ 僕はアマチュアカメラマン 素敵なカメラをぶらさげて
可愛い娘を日向に立たせ 前から横から斜めから
あっち向いてこっち向いて ハイ、パチリはいいけれど
写真が出来たら みんなピンボケだ
アラ、ピンボケだ オヤ、ピンボケだ
ああ、 みんなピンボケだ
(「僕はアマチュアカメラマン」詞、曲:三木鶏郎、歌:灰田勝彦、昭和26年)
ここ2週間ばかり、もっと前からかな、とにかく半年以上も前の記事のアクセス数が異常増加。ナンデダロウナンデカナ。それがずっと続いています。といってもわたしのブログですから知れたものですが。
そしてある日、テレビのコマーシャルに流れていた曲を聴いてピンときました。
そうか、このCMに共振した人たちがやってくるんだ。
なにはともあれ、記事を見ていただけることはありがたいことでして、ナシテ文句などありましょうか。それよりも、多分何かを知りたくてアクセスしてこられたのでしょうが、たいした情報もなく、相済まないことだと思っておる次第でございます。
それにつけてもテレビCMの影響力の大きさを再認識。
改めてテレビCMを聴いてみると、その多くが既存の音楽を使っているようです。
オリジナルであったり、新たな(無名の)ミュージシャンがうたっていたりといろいろですが、とにかくそのCM用につくられた“オリジナル”のコマソンはきわめて少ない。視聴者への効果を考えた場合、聞き覚えのある曲や新しいJポップの方が訴求力も強いという理由もあるのでしょうが。
そもそもテレビCMの第一号が、時計メーカーの精工舎(現セイコー)の時報だったというのは有名な話。時は昭和28年8月、日本テレビの開局と同時。
では電波に乗ったCMソングの嚆矢はというと、これが昭和26年。そう、ラジオの時代。
民放ラジオのスタートは戦後、昭和26年9月。名古屋の中部日本放送(CBC)。そこで流れたCMソング第一号が、当時の人気シンガー灰田勝彦うたうところの「僕はアマチュアカメラマン」。
残念ながら、わたしの耳にCMソングが飛び込んできたのはずっとあとのこと。
それでもテレビ草創期のCMソングはずいぶん知ってます。たとえば、
♪ ワワワ、ワがみっつ (ミツワ石鹸)
♪ 明るいナショナル 明るいナショナル (松下電器)
♪ 牧場の牝牛が言ったとさ (牛乳石鹸)
♪ かーんかーん カネボウ (鐘紡)
♪ ポポンポポン ポポンポポン しゃぼんがどっかへ行っちゃった (塩野義製薬)
♪ ジンジンジンタン ジンタカラッタッタ (森下仁丹)
♪ クシャミ三回 ルル三錠 (三共製薬)
などなど。
昔のCMソングは、何年も同じメロディーを流していました。それも耳になじんでしまった理由でしょう。ちなみに上に羅列したCMソングでいまも使われているのは皆無(多分)。あたりまえですよね。
とにかく昭和30年代の前半、ブラウン管から各家庭へ連発されていったCMソングは、大人に対してその商品の購買欲を刺激したとともに、子供の“愛唱歌”となっていきます。これはCM制作担当者にとっても予期せぬことだったのでは。
子供の歌が童謡・唱歌からCMソングへ。それがこの時代。
それはそうでしょう、週一回音楽の授業で習う歌よりも毎日テレビから流れてくる歌に愛着を覚えるのは子供ならずとも。
ところで上に一節をのせた今でも口ずさめるCMソング、すべて三木鶏郎の作詞作曲。
三木鶏郎のすごさは三つあります。
まずはすでにふれたように、多くのヒットCMソングを作ったこと。
ふたつめは、NHKラジオの人気番組「日曜娯楽版」を自作自演したこと。
そして三番目が(これがいちばん大きい)、多くの作家やタレントを育成したこと。
「日曜娯楽版」はコントやコミックソング(冗談音楽といった)などで構成され、昭和22年から29年までの約7年間続いたバラエティ番組。ついにはラジオの枠に収まらず劇場公演までしてしまったというからスゴイ。
社会諷刺はもちろん政治諷刺もキツく(今のNHKでは考えられない)、政治的な圧力で番組打ち切りになったとか。
この番組から育った俳優、タレントには三木のり平、三木鮎郎、河井坊茶、千葉信男、丹下キヨ子など。また作家では小野田勇、いずみたく、宇野誠一郎、永六輔、野坂昭如、桜井順といったメンバー。
三木鮎郎は鶏郎の弟で、三木のり平は他人。
実は当時のメンバー10人あまり、すべて苗字を「三木」にするというオフザケぶり。辞めるときにそれぞれ元の名前に戻ったが、鮎郎とのり平だけなぜかそのまま。
ちなみに三木のり平の本名は田沼則子(ただし)。名前だけだと女性と間違えられそうで、やっぱり芸名で正解。
もちろん御大の三木鶏郎からして本名ではなく、「ミッキーマウス」からその名をとったものだとか。
CMソング以外でも、「僕は特急の機関士で」(三木鶏郎とトリローグループ)、「毒消しゃいらんかね」(宮城まり子)、「田舎のバス」(中村メイコ)、「ポカン・ポカン」(梓みちよ)などのヒットソングや、「鉄人28号」、「ジャングル大帝」、「トムとジェリー」、「パパは何でも知っている」など当時のテレビ番組主題歌をつくっています。
大正3年に飯田橋で生まれ、平成6年、80歳で亡くなりました。
作詞作曲家であり、放送作家であり、演出家でもある多才な昭和人でした。
ブログのおかげでCMを注意して見ました。で、出てきた耳覚えのある曲を書き出してみると、
「夏祭り」、「ビター・スイート・サンバ」、「子象の行進」、「オール・ニード・ユー・ラヴ」、「ホワッタ・ワンダフル・ワールド」、「銀河鉄道999」、「ボレロ」、「君は薔薇より美しい」など。
このなかでオリジナルを使っていたのはわたしの耳が確かなら「君は薔薇より」の布施明だけ。「銀河鉄道」は最後のほうだけだったので不明。
熱心なテレビウォッチャーではないので、えらそうなことはいえませんが、ときどきオリジナルのCMソング(歌詞つきの)もあるようですね。
驚いたのは、「マスプロアンテナ」が昔とおなじ音楽で存在してたこと。地上デジタル用のアンテナの販売で書き入れ時ということかも。
そのほか印象的な耳に残るコマソンもありました。
あの宮崎あおいが出ている♪クェックェックェッ クワックワックワッ アヒルのワルツ というヤツ。2度見ましたが、いまだにどこの会社のどういう商品かわかりません。
どこか聞き覚えのあるメロディーですが、ときどきこういうオリジナルCMの傑作がでてきます。
トリロー時代はときどきではなく、しばしばだったのジャガネ。
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