SSブログ

Sophisticated Lady ⑤ [story]

父の家出⑥.jpg

隆の頼りない直感は当たった。
しかしその三度目の邂逅を果たすまでには30年近い時を要した。
そのときもやはり彼女は、隆を驚かせるように突然現れた。

暮れも押し迫ったある日、隆は朝の満員電車の中でポケットに入れておいたはずの手袋を片方失くしてしまった。

夕方、仕事を終えると、霙の降る中、駅前のデパートへ向かった。
隆は手袋売り場の前で、茶色と灰色の2対の手袋を手にして考えていた。すると、突然背後から手が伸びてきて、
「こっちのほうが断然、似合うわ」
と言う声とともに茶色の手袋を取り上げた。
驚いて振り返ると、そこに上布に身を包んだ女性が笑っていた。隆にはすぐにわかった。

50歳近いはずなのに、時が止まってしまったかのように、若い淑恵の姿。隆は自分の方がはるかに長い年月を生きてしまったような気がして、妙に眩しかった。夢と現実の境に囚われてしまって呆然としている隆に、
「いつかのお詫び。プレゼントさせてくださる?」
そう言って、淑恵は毎日会っている友人にするような笑顔をみせた。

「ほんとうに君なのか、信じがたいなぁ……。ほんとに君なんだよなぁ……」
隆にはそんな言葉しか出てこなかった。

それはたしかに偶然の邂逅だったのかもしれない。
しかし、この年のこの師走の、そしてこの日、隆は淑恵に逢うべくして逢った。そんな気もするのだった。
そこには30年あまり前のすれ違いに対するわだかまりのひとかけらもなかった。

ふたりはデパートの喫茶店で向かい合ってお茶を飲み、話をした。
当たり前のことだが、お互いに家庭があり、子供もいる。
隆は20年ほど前に見合い結婚した。淑恵を“見失って”から10年あまり後のことだ。いまは大学生の娘と高校生の息子がいる。その結婚前に転職した中堅の印刷会社の営業部長として、残り10年足らずの定年まで毎日判で押したような時間を埋めていこうと思っている。

淑恵もまた、隆が家庭を持った同じ頃結婚した。
二度目の結婚だった。一度目は二十歳になったばかりの頃で、半月ももたなかった。その二度目の結婚は淑恵が勤めていたバーのオーナーで、子供までもうけたが2年後にやはり別れた。ひとり娘は淑恵が引き取った。

それぞれの30年間を1時間あまりに要約するのは困難だが、そんな話しか出てこないのが隆には滑稽に思えた。
あの時、どうして東京駅に来なかったのか、どうして何も告げずに姿をくらましてしまったのか。淑恵は何も語ろうとしないし、隆も訊ねるつもりはなかった。

淑恵がさりげなく壁の時計に目をやったので、
「また今度、どこかで逢いたいな」
と隆がつぶやいた。本心だった。すると彼女は、
「大丈夫、わたしたち、ある日突然ばったり出逢う宿命なのよ。だから、またどこかで必ず逢えるわ」
と笑った。そして、隆が初めて見るような優しい顔をして、
「幸せなんでしょ? よかった……、ほんとによかった……」
とつけ加えた。隆が言うべき言葉を探しだし、それをため息とともに押し出そうとしたとき淑恵が、
「いまね、あたし若い子と付き合ってるの。懲りないわよね。どこがいいんだか、たいした男じゃないんだけどね……」
と言って小さく笑った。

それから、数分後、隆は霙の中で彼女の背中を見送っていた。
こんな別れ方でいいのだろうか、という小さな思いがあった。しかし、先ほど話の途中で差し出した会社の名刺を淑恵は躊躇うことなく受け取ってくれた。それで充分なのだ。あの名刺がある以上またきっと逢える。隆はそう思った。


「これが、私の母と小父さまの昔ばなし。もどかしい話でしょ?」
2杯目の紅茶を淹れながら文恵さんが言った。そして、こう付け加えた。
「はっきり聞いたわけではありませんけど、二人は死ぬまでプラトニックな関係だったと思うんです」
「えっ、ほんとうですか?」
「母は奔放な人でしたけど、死ぬ直前、小父さまが席を外していらっしゃるとき、私にこう言ったんです。〈あの人はワタシの中のたったひとつの“純潔”〉だって」

遅くなったので俺は文恵さんにクルマで駅まで送ってもらった。

列車に揺られながら、夜がすっかり帳を下ろした窓外を見ていた。いや、眺めるというのではなく、ただ視線を窓に貼り付けていただけなのだが。その間中、俺の頭の中にはいまさっき聞いたばかりの親父と淑恵さんの数々のエピソードが映像として巡っていた。それはいままで見たことのない親父の姿だった。

停車駅の到着時間を告げるアナウンスが途切れたと同時に俺の頭の中のファンタジーも中断した。そして現実的だが、決してないがしろにできないふたつの問題がいきなり目の前に現れ、俺は思わず声を立てずに笑ってしまった。

ひとつは親父と淑恵さんの話をお袋と姉貴にするべきか否かということ。とくにお袋には黙っているべきかもしれない。
そして、もうひとつは……、言いにくことだが、実は俺が文恵さんに一目惚れしてしまったってこと。いや、不謹慎な話だが、あの葬式の時から心を奪われていたのかもしれない。しょうがねえなぁ、男ってヤツは。

とにかく、親父とのことがあるから、ストレートには俺の気持ちを受け入れてもらえないだろう。また、あのぐらいの人だ、きっと彼氏がいるはずだ。いや、休日にひとりで家にいるってことは、もしかしたら……。いやいや、そんなことはないな。
とにかくたとえ誰かいようが、そんなことではめげない。俺は親父のようなヘマをするつもりはない。
実は、抜け目なく今年の11月、淑恵さんの命日に墓参する彼女のお供をさせてもらうことを約束をしてきたのだ。

しかし、あと5ヵ月も待てそうもない。なにかうまい口実はないものか……。
俺は列車に揺られながら、そんな不純なことを考えていた。そして、その考えを消去すべく、さっき駅まで送ってくれたクルマの中で彼女が言った言葉を再生してみた。

「でも、もし小父さまと母が結ばれていたら、わたしもあなたも今こうして存在していなかったのね。……不思議ね」


THE END


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Sophisticated Lady ④BLUE/青い瞳① ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。