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Sophisticated Lady③ [story]

父の家出③.jpg

しばらくして、ドアが開き、野崎文恵の少し困ったような顔がのぞいた。
「むさくるしいところですが、どうぞ」
それでも彼女は前触れもなく訪れた無礼な訪問者を部屋の中に招いてくれた。俺は親父の葬式のときに受けた彼女の印象より柔らかな声になんとなく安堵した。

居間のソファで待っていると、彼女がお茶を運んで来た。そして、俺が改めて葬儀に来てくれたお礼を言おうとしたとき、彼女は床に正座し、

「大変なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
と両手を揃えて頭を下げた。彼女の思わぬ行動に慌てた俺も、思わずソファから降り、土下座しながら、
「いえ、こちらこそ、父が大変お世話になりまして……」
などと、わけのわからない返答をしてしまったのだった。

「謝って許していただけるようなことではありませんが、いつかは御母様をはじめ、皆様にお目にかかってお詫びをしなくてはいけないと……」
「いえ、そんなことどうでも……、とにかくこの状態じゃ話しにくいですから、どうかイスに座ってください。どうぞ、遠慮せずに……」

何を言ってんだか。俺は、すっかり舞い上がってしまっていた。そんな俺の様子に、少し安心したのか彼女の表情が柔らいだ。俺もホッとした。

俺の推理は半分当たった。彼女の母親、つまり野崎淑恵と親父は古くからの知り合いだったのだ。それに、親父が家出していた期間、ちょうど去年の今頃から半年あまり、この家にいたことも間違いなかった。
ただ、野崎文恵が俺の異母姉ではないかということは、まったくの妄想だったのだが。

彼女は母親と二人暮らしだった。その母親が癌と告知されたのが昨年の3月。病気はかなり進行していて、野崎文恵は医者から「半年もたないだろう」と言われていた。

「どうしても、もう一度逢いたい人がいるの……」
死期はともかく、自分の命がそう長くはないと悟った母親は娘にそう言った。

文恵はなんとしても、その人を母に会わせてあげようと思った。しかし、どうやって。住所も電話番号も分かっている。しかし、直接連絡をとったり、会いに行って理由を話せば了解を得られるという話ではないことぐらい彼女には分かっていた。

それでも文恵は思いきってその人の家に電話をした。取り上げられた受話器の向こうからその人ではなく、女性の声がした。彼女は素早く電話を切った。そんなことが何度かあって、ようやくその人が電話口に出た。

彼女がその人の名前を確認し、自分の名を告げようとしたとき、
「淑恵さん? 淑恵さんでしょ?……」
とその人が言った。

その翌日、親父は入院中の野崎淑恵さんを訪ねた。

「母は勝ち気で我が侭な性格でしょ。ですから小父様が来ても平気な顔なんです。無理して明るく振る舞ったりして。そのくせ小父様が帰った夜なんか、滅茶苦茶に泣くんです。一度だけってお願いしたんですけれど、それから毎週のようにいらっしゃるようになって……。小父様がいらっしゃるようになってから、母は急に元気になって。食もすすんで、傍目ではもしかしたら、治ってしまうのではないかって思うほどでした。多分母の中で、もっと生きたい、小父様と一緒の時間をもっと過ごしたいという気持が出てきたんだと思います。……すいません、身勝手なことばかり言いまして……」

「いえ、気にしないでください。もっと聞かせてください。あなたのお母さんと親父のこと」

「6月に入って、見た目は元気なものですから、自宅で療養したいって言い出したんです。お医者様に相談したら、かまわないということになって。もう治療のほどこしようがなかったんですね。小父様も今度はこの家までお見舞いに来ていただくようになって。
ある時、小父様がお見舞いにいらっしゃったその帰り、私が駅まで送っていったことがあったんです。その時、話があるからって喫茶店に誘われまして。そして、そこで小父様が私におっしゃったんです。
〈実は、先週来たときに淑恵さんから一緒に暮らしてくれないかって頼まれちゃって……〉って。
あきれた話でしょ? 母はそうやって我が侭を通して生きてきた人間なんです。周りの迷惑なんてまるで考えない。でも、小父様はこうおっしゃったんです。
〈もし、文ちゃんさえ許してくれるのなら、そうしてあげたいんだけど〉って。
私も母も、小父様には家庭があって、奥様もいらっしゃることを知っていました。ですから、私はお断りすべきだったんです。でも、私は泣きながら「お願いします」としか言えなかったんです。あとで怨まれてもいい、余命少ない母のためならどんなことでもしてあげようって、その時は思ったんです。ごめんなさい……」

その翌日親父は家を出た。そして、野崎淑恵さんとの短い生活が始まったというわけだ。

なるほどなぁ。


文恵さんが遠慮がちに話したところによると、二人はまるで仲の好い兄妹のようだったとか。体調のいいときなど、親父が車椅子を押して近所を散歩したことも何度かあったそうだ。

朝、昼、晩と食事はいつも一緒。ほとんどベッドで横になっている淑恵さんに、親父は尽きることのない昔話をしてあげていたとか。淑恵さんは眼を閉じて、ときどき笑ったり、自分の記憶に蘇った情景を話したり。親父はそうやって、淑恵さんが眠りに落ちるまで傍にいてあげたそうだ。

文恵さんの話を聞いているうちに、俺は、親父がただ淑恵さんに同情して傍にいたんじゃないって思うようになっていった。淑恵さんがそうだったように、きっと、親父も彼女の傍にいることが楽しかったのではないのだろうか。そうでなきゃ……。

淑恵さんの生命力は驚異的な回復をもたらした。夏を越せるかどうかといわれた命が、秋まで保たれたのだから。それでも、奇跡は起こらなかった。いや、たった数か月だけれど、寿命が延びたことそのものが奇跡だったのかもしれない。

そして11月に入ってまもなく、庭の秋海棠が咲いた日、淑恵さんは親父と文恵さんに見守られながら息をひきとった。

複雑な気持ちだった。文恵さんの話を聞いて、親父はもちろん、彼女と淑恵さんを責める気持にはなれなかった。かといって、お袋のことを考えると、手放しで二人を祝福してはいけないような気もして……。

「コーヒー、お飲みになります?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、文恵さんはコーヒーを運んでくると今度は、自分の母親と親父から聞かされたという、二人が出逢った頃の話を始めた。それは、俺がいちばん聞きたかったことだったかもしれない。


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