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Sophisticated Lady ② [story]

父の家出②.jpg

姉の話によると、親父は、家に上がるなりお袋の前でただひたすら土下座して「すみませんでした。許してください」を連発するばかりだったとか。おふくろはただ泣くばかりで言葉も出ない。無情に問いつめたのはやっぱり姉。「何処にいたの!」「半年も何してたの!」「どれだけ心配してたか、わかってるの!」「女とはちゃんと別れたの!」とまあ、ポンポンポンと立て続けに。

親父は平身低頭、「すいません」「はい」の一点張り。女と暮らしていたことは認めたものの、誰と何処でという話になると。「いずれ話す。いまは聞かないでくれ」と言うばかり。まあ、何処の誰かを聞いたって、姉に何かできるってわけでもなかったのだけど。それに「もう二度と会うことはない」という親父の言葉を信じるしかないものね。
しかし、母よ貴女は偉かった。さんざん泣いたあげくの第一声が親父さんに、
「じゃあ、今晩はお寿司でもとりましょ。あなたいいでしょ?」
だって。なんの祝だよ。

俺も姉からの連絡でその夜駆けつけた。で、親父の元気そうな顔を見てつい、
「よっ、お疲れさん」
親父、照れ臭そうな顔して笑ってた。以前とまるで変わらない。いいんじゃないかな。ひとまずはこれで。

翌日からも、お袋は家出のことや半年間のことには一切ふれなかった。まるで、何事もなかったような顔で親父と接している。いや、家出前より、親父への接し方や話しかけ方がいくらか優しくなったような気がするね。親父は親父で、ほんとうに申し訳なさそうにしている。家出前よりさらに低姿勢に。盆に返る覆水もあるってこと。

でも、機械にたとえるのもおかしいけれど、電化製品などでも一度故障すると、直してもまたすぐ壊れることがある。壊れグセっていうのかな。

ともあれ新年は久しぶりに家族4人で迎えることができた。
そして正月が過ぎ、俺がアパートへ戻った後は、あの家出がウソのように、親子3人みずいらずの生活が続いていたのだけれど……。

桜にはまだ早い弥生3月、南風の吹く妙な陽気の日だった。
以前の会社の仲間と旧交を温めた帰りの夜道、親父はクルマに撥ねられ、あっけなく死んでしまったのだ。お袋と姉が病院へ駆けつけたときにはすでに息がなかった。誰も死に目に遭えなかった。お袋がポツンと言った。
「せめて戻って三月のあいだ暮らせたんだから、家出したまま死なれるよりは良かった……、そう思わなくちゃ……」

通夜、葬式は忙しかった。俺もお袋も姉も。家族は泣いてる暇なんてないって言われてたけどまさにそのとおり。
火葬を済ませ、近くの料理屋で精進落としをして、実家へ戻ってきたのは黄昏時だった。
「あああ、やっと終わったわ」
コートを脱ぐと、お袋はそう言って炬燵のそばに座った。
「ほんと、もうこりごりね、お葬式なんて」
姉の言葉に母娘して笑って。それを見て俺もなんだかホッとしたな、親父の葬式なのに。

「でも、大袈裟でなくていい葬式だった。兄さんも喜んでるさ、きっと」
俺の注ぐビールをコップで受けながら叔父が言った。そして、母が用事で部屋を出て行くと、
「ところで、焼香のとき気になったんだけど、スゴイ美人がいたね。ありゃ誰だい?」
と、俺の耳元で囁いた。もちろん覚えている。髪が長く、ラテン系を思わせる美人だった。年の頃なら24、5。場所が場所だけに終始うつむき加減だったが、笑顔が見てみたいと思わせる美人だった。なにを言ってんだか。

「叔父さんも知らないんですか? 実は俺も気になっていたんですよ」
叔父に負けないぐらいの小声で言うと、
「野崎さんって言うのよ。お父さんの仕事関係のひとじゃない? いやね男って、あんな時でも女の品定めしてるんだから」
姉が背中を向けたまま言った。そして向き直り、
「お父さんから死んだら連絡するようにって言われていた人の名簿が、そこの箪笥の抽斗に入っているんだけど、その中にあったのよ。あの歳だから、お父さんのお友だちの娘さんか誰かじゃないかしら」
とつけ加えた。

「……もしかして親父の……」
俺はふたたび小声で叔父に言った。
「まさか……。そうかな……、もしそうだったらお前のお父さん、見直すぜ……」
叔父の声がさらに小さくなった。
姉がふたたびふり返り、
「ふたりとも、何をバカなこと言ってるの。あんな若くてキレイな人とお父さんが何かあるわけないじゃない。だいちもしそうなら、のこのことお葬式に出て来るわけないじゃない。そんなことも分からないんだから。やーネ」

まさか、とは思う。しかし、あの女性は親父の家出と絶対に関係がある。これは俺の直感だ。その夜、俺は姉が言っていた連絡先の名簿を開いてみた。そこには「野崎淑恵」という名があった。F市の住所が電話番号とともに書かれていた。もちろん見覚え聞き覚えはない。念のために、香典帳も見てみた。たしかに同じ住所で「野崎」の名があった。しかしそこは「野崎文恵」と書かれていた。妙な確信のようなものが俺の心に湧いた。

だいたい俺には空想癖がある。それが三文小説やB級ドラマ並みの発想だから質がわるい。だからろくな戯曲が書けないって? そんなことわかってる。
実は今、野崎文恵は俺の異母姉ではないか、などと考えてしまっているのだ。
そんな妄想はともかく、俺は「野崎文恵」にどうしても逢ってみようと思った。もちろん、お袋や姉貴には内緒。

親父はきっと、家出の理由を俺にだけは言いたかったのではないだろうか。家へ戻ってきてから数カ月、バイトが忙しくてあまり顔を合わせることもなかった。いま思いだしてみると、たまに帰ったときの親父のちょっと照れたような表情、あれは何かを話したかった顔だったような気がするんだ。ならば、俺が親父の秘密を暴いたとしても、親父は喜んでくれることはあっても、怒ることはないだろう。俺は勝手にそう思った。


野崎文恵に会おうと思い立ってから、ひと月が過ぎてしまった。
その間、俺はついに悪運が尽き、就職する羽目になった。事務機器メーカーの企画開発部。20数年の俺の経歴とはいっさい関係ない仕事だ。また一歩、夢から遠ざかってしまった気がする。これも現実か。いいさ、しばらくは流れに身を任せてみるのも。


四十九日を済ませ、鮮やかな若葉への感動も薄れた6月の日曜日、俺は心を決めて野崎文恵に会いに行くことにした。事前に電話で連絡もせずにだ。

若い女性が休日に家にいるという確証はない。いや、出かけている可能性の方がはるかに高いだろう。万が一家にいたとしても、突然の訪問者を歓迎してくれる保証はない。
俺は半ば野崎文恵と会えないことを前提に、スゴスゴ帰ることを想像しながら出かけて行ったのだ。どうかしてるよ。
ぜひ会いたいという気持ちと、会ってはいけないという気持ちが半々。俺のことはどうでも、会うことで彼女を困らせる結果になるのではないかという思いがあったのだ。カッコつけすぎか……。

野崎文恵の家は、郊外のT駅から歩いて15分ほどの高台の新興住宅街にあった。
玄関脇の駐車場に青いワーゲンが停まっている。
俺は観念してドアの側のブザーを押した。
インターフォン越しに「はい?」という声が聞こえたので、名前を告げると、「あっ」と小さく驚いた声が聞こえた。


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