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70年代歌謡曲⑥青春Ⅱ [noisy life]


♪ この胸の中 かけ抜けていく
  思い出たちが 優しすぎます
  背中を向けた あなたをつつむ
  淡い陽ざしが まぶしすぎます

  人は皆 つかの間の 幸せを信じて
  あなたと生きた 青春の日よ
  愛にすべてを 賭けた日々
(「青春Ⅱ」詞、曲:松山千春、歌:高田みづえ、昭和54年)

先日久しぶりにいつもの知り合いと、70年代の流行歌が流れるいつもの中華料理店へ。

いつものようにカウンターへ腰掛けるなり、めずらしい歌が。
高田みづえの「青春Ⅱ」

この歌が流れていた頃、わたしは生来の飽きっぽい性格から職場をやめて、行き当たりばったりのその日暮らしの明け暮れ。
そんな時、物心両面で援助してくれたのが、この知人。2歳年上で、殴り合いの喧嘩になった昔もあったが、いまじゃ頭が上がらない。
世話になったからではなく、彼の生き方が“真面目”だから。

彼はいわば腕のいい“職人”。それがなりゆきで、会社を起こす羽目に。それが20年あまり昔のこと。
仕事ができることと、会社経営はまた別。彼がまさにその例で、経営者としては下の下。中小企業と呼ぶよりは零細企業と呼ぶのがふさわしい会社を、それでもなんとかやりくりしてきた。

それがどうにもたちいかなくなったのが数年前。貯金や保険を解約し、家を売って手当したものの沈みかかった船はどうにもならない。
友人や知り合いから借りられるだけの金も借りた。しまいには金に縁のなさそうなわたしにまで。もう、こうなるとなりふり構わず。

おかげで何十年来の親友までが、彼を罵りながら離れていった。彼を誹謗中傷する手紙はわたしにまで何度も。そこには彼が法外な自分の報酬をまず確保して、支払いや借金の返済は後回しにしていると。でも、それはまったくの誤解。

微々たるものだが、彼の会社に出資しているわたしには、その会社の実情がよくわかっていたし、彼の給料が滞っているため、彼の家庭が破綻の危機に瀕しいることも、彼からではなく聞いて知っていたし、何よりも長いつきあいから、彼がそういう人間ではないことを知っていたから。

その後、彼をみかねた人が出資してくれることになり、会社の危機はひとまず回避。彼を誹謗した親友への借金も返済。2人の関係が修復されたか否かはしらない。

ラーメンに半チャーハン、餃子と食欲旺盛な彼。
ひところのように「誰か私に代わって会社やってくれる人いないかね?」とは言わなくなったが、嵐が完全に去ったわけではない。
今年はなんとか乗り切ったが、また来年荒海へと漕ぎ出して行かなくてはならない。力になれないもどかしさを感じつつ、天候が良くなることを願いつつ……。

そういえば、彼とのつきあいは20代も半ばすぎから。10代前後のいわゆる“青春時代”の話はほとんど聞いたことがない。
彼に青春時代なんかあったのだろうか。時々そう思わせるほど青春のイメージの湧かない人間がいるのだけれど、彼もそのタイプ。

10代から老成してしまっているような。子供からいきなり大人に成長してしまい、その中間(まさしく青春)が抜けているような。そんな印象を受ける人間。
でも、そういう人間にだって青春があったはず。あたりまえ。ただ、われわれ、いやわたしのようにバカなまねはしなかった、というだけ。

「青春Ⅱ」は昭和53年に松山千春が出した「季節の中で」のB面。大ヒットしたが、個人的にはそのB面のほうが好きだったな。のちに高田みづえがカヴァー。

ファンではないので全部調べたわけではないが、松山千春が他のシンガーに楽曲を提供するというのはめずらしいのでは。
また、彼自身の他人の歌をカヴァーする(コンサートではわからないが)ことはほとんどないのでは。聴いたことがあるのは下田逸郎「踊り子」ぐらい。

「青春Ⅱ」というぐらいだから、“Ⅰ”もある。もっとも「青春Ⅰ」ではなくてただの「青春」。

そもそも流行歌がほぼ若者向けであることから、むかしから「青春」はよく歌われてきた。
古くは昭和8年の「僕の青春(はる)」(藤山一郎)があり、昭和30年代はまさに『青春歌謡』真っ盛りだったし、「かけめぐる青春」(ビューティ・ペア)や「青春時代」(森田公一とトップギャラン)、あるいは「さらば青春」(小椋佳)、「ああ青春」(吉田拓郎)などもありました。
また最近なら「青春アミーゴ」(修二と彰)なんてのも。いまも昔もです。

いまなら「青春? はあ、いいんじゃない。いいよね」ってイージーに言ってしまいますが、若い頃はなぜか「青春」という言葉に過剰反応してばかり。

誰かが当時の映画をもじって「まあ、それって青春の光と影のようなもんじゃない」などというと「うへっ!」とばかり、人ごとながら恥ずかしくなったりして。だから、

♪あなたは わたしの 青春そのもの 「卒業写真」荒井由実 ♪青春のかけらを おきわすれた街 「大阪で生まれた女」ボロ ♪語り尽くせぬ 青春の日々 「乾杯」長渕剛 ♪Baby 青春知らずさ 「スニーカー・ブルース」近藤真彦
♪まぶしいひとつの 青春なんです 「あずさ2号」狩人

なんて耳を塞ぎたくなるほど(いまなら平気でカラオケで歌っちゃう)。

そういえば、「受験生ブルース」(高石ともや)でも、
♪大事な青春むだにして…… って。

たしかにふりかえってみれば、20代前後を青春と呼ぶなら、いかにそれを浪費してきたことか。もっと、有効に一刻一刻を充実させて……、いやそうではないな。後悔するのが人間で、青春イコール浪費ですから。いわば青春は、生瞬で盛峻で性惷なわけでして。
キリギリスの気持ちはアリなんぞにわかるわけはないのであって……。

人間はそれほど利口ではない。あゝ、もしタイムマシーンがあったら、あの時へ舞い戻って、今度こそうまくやってみせるんだけどなぁ。なんて愚かなことを考えるのが人類なのですから。

もし、わたしの若い頃に青春があったとするならば、散らばってしまったそれらのネガフィルムを現像して、アルバムに1枚1枚貼り付ける作業を、いましているところです。

そしてやがて来るだろう“寝たきりの時代”。
手足はおろか、目も見えず、耳も聞こえず、言葉も発せられず、生命維持装置の解除さえアピールできなくなったそのとき、わたしの脳のなかにあるその“アルバム”をめくり、そこに貼られた1枚1枚の写真を凝視しながら、その映像から聞こえてくるストーリーを反芻しようだなんて……。

その前に脳がクラッシュしたらどうするかって? それもありえるな。
誰か、脳のバックアップをとる方法を教えてくれませんか。


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