【鉄漿(おはぐろ)】 [obsolete]
『「出来たってええでねえか。好きな亭主の子じゃもン、おしんさん。みんな子ォ産みとうても、相手のない女もこン中にいるだわ」
他所者の女たちは鉄漿(おはぐろ)のはげたまだらな歯をみせてけらけら笑った。』
(「越後つついし親不知」水上勉 昭和38年)
「鉄漿(おはぐろ)」は“かね”ともいい、かつて日本で行われていた歯の化粧のこと。
“芸能人は歯がいのち”ではないが、白い歯が美しいとされる現代とは正反対に“カラスの濡れ羽色”のような黒い歯が美とされた時代があった。
「鉄漿」の起源は古く、南方あるいは朝鮮半島から伝播したといわれるが定かでない。一説には聖徳太子も愛用していたとか。残念ながら“笑う聖徳太子”の肖像が残っていないのでこれも確証がない。
当初は男女を問わず貴族の間で行われていたが、江戸時代になって庶民に普及した。この頃になると鉄漿を用いるのは女性、それも既婚者、成人(18歳以上)、遊女などに限られた。明治になるとすぐに貴族、皇族に対して“鉄漿禁止令”が出た。時の政府が「西洋に対して恥ずべき風習」と考えたのだろう。元来面倒くさい習慣であったことから、やがて一般庶民のあいだでも旧習とされ、やめる女性が増えていった。歯磨き粉が登場したのが明治の中期なので、そのことも「鉄漿」衰退を後押しした。
“引用”の「越後つついし親不知」の時代設定は昭和12年。地方ではこの頃まで残っているところがあったことがわかる。
「鉄漿」は焼いた鉄片を濃い茶の中に入れ、酒や飴などを加えて発酵させた黒い溶液と、五倍子粉(ふしこ)というタンニンを含んだ粉を混ぜてつくる。虫歯の予防にもなったということだが、それを毎日あるいは数日に一度鉄漿用の筆で歯に塗るのである。手入れを怠ると“引用”にあるような見栄えのわるい歯になってしまう。
いま考えると、どえらい化粧法だが、ピアスやネイルアートが普及している現代なら、歯の化粧だって流行るかもしれない。ピンクの歯だとかブルーの歯だとか、七色の歯だとか。あるいはワンポイントでゴールド(?なんか昔あったような……)なんて。そんななかでブラックがいちばんはやったりして。歴史は繰り返すって、ね。
「越後つついし親不知」は昭和10年代の新潟を舞台にした、出稼人の悲劇を描いた小説。“つついし”も“親不知”も当時の越後の寒村である。
当時、農家の生活は苦しく、農閑期の冬になると男たちは出稼ぎに行った。越後で多かったのが京都の灘や伏見の醸造元ではたらく杜氏(とうじ)。親不知で妻のおしんと母と三人で暮らす瀨神留吉もそんなひとりだった。
悲劇は留吉が伏見に出かけたある冬に起こった。杜氏仲間の権助が、母危篤の報せを受けて村へ帰ることになった。気性が荒く評判のよくない権助はまだ独り者。そんな権助が帰った村の雪道で、ひとり村の作業場から家へ帰るおしんと出逢った。以前から美人の女房をもらった留吉を妬んでいた権助は、欲望のまま雪中でおしんを犯してしまう。いまの平和を壊したくないおしんはそのことを留吉に言えるはずがなかった。
さらに権助は、留吉が杜氏として昇進したことを妬み、彼におしんが菰(こも)を買い付けに来る若い男と浮気していると告げる。家へ帰った留吉は妻に問い質すが、否定される。一度はおしんの言葉を信じた留吉だったが、やがて妻が妊娠し、その時期から自分の子供でないことが分かる。逆上した留吉は畑でおしんの首に両手をかけ、「ほんとうのことを言え!」と叫びながら思わず力を入れてしまうのだった。
昭和39年、東映で映画化(監督・今井正)。出演は、おしんが佐久間良子、留吉が小沢昭一、権助が三国連太郎。まさに3人とも適役。この年の日本映画ベストテン6位。
出た、親不知に筒石!!
「越後つついし親不知」という言い回しは知っていましたが、こんなお話とは知らなかった。DVDあるかなあ。
by pafu (2007-11-06 07:05)
へえ、「つついし」って筒石(一発変換)と書くのですね。
はじめて知りました。
勉強になるなインターネット!
白黒画面と暗い話に耐えられる人にすすめたい映画ですよ。
by MOMO (2007-11-06 22:16)
takagakiさん、重ねてありがとうございます。
by MOMO (2007-11-06 22:16)