【六全協】 [obsolete]
『結局、現在の佐野の消息は判らなかった。Aは、佐野たちが潜った時も大学に残り、一九五五年、節子が大学二年の夏、共産党の第六回全国協議会の決定で、軍事組織が解体され、佐野たちが大学に戻った時、彼らを迎えた。その時、佐野は多くの他の学生たちと一緒に、共産党を抜けた。
六全協による打撃は、
「ぼくも含めて、党と革命に自分の生活の目標を見出していた学生にとっては、殆ど致命的なものに思えました」
とAは書いていた。
(「されど われらが日々――」柴田翔 昭和38年)
“例文”にもあるように、「六全協」とは“共産党第六回全国協議会”の略。
日本共産党の全国大会は、例外もあるが2~3年に1度行われている。最近は昨年の1月に第24回大会が開かれた。
「六全協」がなぜ政治史あるいは社会史のなかでカッコ付きで記されているのかは、その大会によって決定されたことが、その後の共産党の進むべき道を大きく変え、さらにはその周辺の左翼運動にも大きな影響を及ぼしたからである。
戦前非合法だった日本共産党は戦後、合法化される。徳田球一書記長を中心に、政治活動、労働運動を活発化させていき、昭和24年の総選挙では35議席を獲得。さらなる飛躍が予想されたが、ソビエトのコミンフォルム(共産党情報局)からその平和路線が批判され、党はそれを全面的に受け入れてしまう。さらにアメリカでのマッカーシズムが日本にも波及し、党員、シンパの馘首、追放は公職だけにとどまらず、マスコミをはじめとする民間企業にまで及んだ。つまり米ソ冷戦の影響をモロに被ったのである。
そんななか、昭和26年に四全協、五全協が立て続けに開催され、日本共産党は武装闘争、暴力革命の方針を決めた。それによって各地で火炎ビン闘争が活発化し、運動は激化していった。しかし、そのことによって国民の支持を失い、昭和27年10月の総選挙では党員全員が落選した。
これらのことを踏まえて開かれた30年の六全協では、武装闘争、極左冒険主義が自己批判され、それにのっとった新活動方針が採択された。
この六全協を境に、日本共産党は“国民に支持される党”を目指していくのだが、この大きな路線変更は一部のコミュニストにとっては“裏切り行為”であり、知識人を含め多くの党員が脱退していき、“反日共系”あるいは“反代々木系”という新左翼が勢力をのばしていくことにもなった。そうした意味でも六全協は、左翼運動の大きなターニングポイントとなったのである。
柴田翔によって書かれた「されど われらが日々――」は、60年安保(昭和35年)“前夜”の話。
主人公の大橋文夫は東大大学院生で、来春地方の大学への就職が決まっている。文夫には佐伯節子という幼なじみの許婚がいる。節子は女子大を出て商事会社に勤めているが、来春文夫と結婚して、地方で新生活を送る予定であった。
それが、ある日文夫が古本屋で、ある全集を「意志に反して」購入してしまったことから、ふたりの思いがけない話が展開していく。ふたりは、その全集により数年前の自分を見つめなければならない羽目になり、その過去が現在を揺るがすことになっていくのである。
「されど われらが日々――」は、“空虚”にとらわれ、あるいは直面してしまった若者たちの話である。
文夫は身体の関係のあったガールフレンドの自殺によって、自分の中にある空虚が“本質的”なものであることを確認する。節子に好意を抱いていた文夫の同級生・佐野は卒業後、就職してしばらく後に、やはり自殺する。また節子が好意を抱き、強い影響を受けていた「歴研」のキャップ・野瀬は、何も判っていなかったくせに、判ったふりをして人の受け売りをしていただけだ、と独白して彼女の前から去っていった。佐野も野瀬も「六全協」によって党を離れた人間だった。ふたりの“空虚”は目標を喪失したことによるもので、その対応は、自殺するか隠遁するかの違いでしかなかった。
2つの空虚に直面した節子は、もうひとつ、文夫の空虚と対峙しなくてはならなかった。彼女は来春、その空虚を共有しながら新しい生活に踏み出そうとしていたのだ。しかし……。
柴田翔は昭和10年東京生まれ。東大、同大学院を出て昭和39年、「されど われらが日々――」で第51回芥川賞を受賞。その後、ドイツ文学者としていくつかの大学で教鞭をとりながら作家活動を続ける。ほかに「贈る言葉」「立ち尽くす明日」などの作品がある。
はじめまして。
貴ブログへの突然の書き込みの非礼をお許しください。
この度、私たちは「運動型新党・革命21」の準備会をスタートさせました。
この目的は、アメリカを中心とする世界の戦争と経済崩壊、そして日本の自公政権による軍事強化政策と福祉・労働者切り捨て・人権抑圧政策などに抗し、新しい政治潮流・集団を創りだしたいと願ってのことです。私たちは、この数十年の左翼間対立の原因を検証し「運動型新党」を多様な意見・異論が共存し、さまざまなグループ・政治集団が協同できるネットワーク型の「運動型の党」として推進していきたく思っています。
(既存の中央集権主義に替わる民主自治制を組織原理とする運動型党[構成員主権・民主自治制・ラジカル民主主義・公開制]の4原則の組織原理。)
この呼びかけは、日本の労働運動の再興・再建を願う、関西生コン・関西管理職ユニオンなどの労働者有志が軸に担っています。ぜひともこの歴史的試みにご賛同・ご参加いただきたく、お願いする次第です。なお「運動型新党準備会・呼びかけ」全文は、当サイトでご覧になれます。rev@com21.jp
by 革命21事務局 (2008-10-14 17:14)
ブログをみていただき、ありがとうございました。
皆様方の活動のご発展、ご繁栄を祈念申し上げます。
by MOMO (2008-10-19 10:50)