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『ジルバ②』 [noisy life]

 ♪ このまま笑ってジルバ いつもの調子でジルバ
  なじみのお店を出たら ふざけた調子でバイビー
  
  時おりの 雨に濡れて歩けば 
  気まぐれな恋でも 素直に許せるわ
  みなと町 そんな女がふらり
  ゆきずりの気分で さらりとお別れ
  ああ恋は 夢色シャボン玉
  ふられちゃったと 肩をすくめてみせる
  
  時にはうかれてジルバ 最後の夜ならジルバ
  初めて踊ったメロディー 悲しき街角バイビー
(「涙のジルバ」詞、曲:松宮恭子、歌:高田みづえ、昭和56年)

さて、そのジルバ、日本への上陸は?。堰を切った川のように日本列島へ流れ込んだのは昭和20年、かの占領軍とともに。しかし、ジルバが誕生した1930年代、すでに日本のステージでも踊られていたのです。昭和でいうと13年(1938)から15年にかけて。スウィング・ジャズにのせてジルバを披露したのは日劇ダンシングチーム、あるいは宝塚少女歌劇団や松竹楽劇団によって、ジルバやそのバリエーションである“ビッグ・アップル”というアクロバチックなダンスを取り入れたレビューが上演されていました。しかし、昭和16年には、ごぞんじのようにアメリカと一戦構える羽目になり、ジルバの勢いにも水が差されます。鎮火したジルバの火が再燃するには5年の月日と多大な犠牲を払わなければなりませんでした。

そして敗戦。「ジルバ」再上陸とともに、さっそく新しきを取り入れる流行歌もでてきました。昭和20年代には田端義夫「ひょうたんジルバ」がありますし、旭輝子「東京ジルバ」なんていうのもありました。しかし、同じダンスのワルツやタンゴに比べるとはるかに少ない。それでもいくらかは。まず「東京」があるなら「大阪」もというと、そうははいきません。でも、「横浜ジルバ」(北原明)はあります。そのほか「ヨコハマ・ジルバ」(野路由紀子)「YKOHAMAジルバ」(わたりとしお&樹ゆう子)と、ジルバのメッカはヨコハマか! というほど横浜は多い。またご推察のとおり「横須賀ジルバ」(南かなこ)もありです。実は、上にあげた歌、いずれも聴いたことがないのです。よほどディープなファンならともかく、わたしのような一般人の耳には届いてこないほど、不発に終わった曲ばかりなのです。

そこそこヒットしたのは上にあげた「涙のジルバ」(高田みづえ)と、あとはカヴァー曲の「抱きしめてジルバ/Careless Whisper」(西城秀樹)ぐらい。
「涙のジルバ」の作詞作曲、松宮恭子は、東大文学部卒でポプコン出身。ほかに倉田まり子「カナリヤ」、石川秀美「ヘイ・ミスター・ポリスマン」など50年代のアイドルたちにいくつかの楽曲を提供しています。
「ジルバ」が歌詞の中に出てくるものでは♪さあさみんなで陽気に踊ろう ジルバにマンボ の「ルイジアナ・ママ」(飯田久彦)と、「チャコの海岸物語」(サザン・オールスターズ)♪目を閉じて胸を開いて ハダカで踊るジルバ  がすぐに思い浮かびます。そうそう「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)でも、♪ハマから流れてきた娘だね ジルバがとってもうまくってよぉ というのがありました。
古いところでは「東京キッド」(美空ひばり)で、♪いつもスイング ジャズの歌 踊る踊りはジタバーク という歌詞があり、この歌のつくられた昭和25年頃は、まだジルバという言葉が一般的ではなかったことがわかります。

いまのダンスホール、いやディスコ、いやいやクラブですか? そこでヤング(?)たちはどんな音楽に乗ってどんなダンスに興じているのでしょうか。ジルバなんて古いって? そりゃごもっともです。でも、20年も経てばいまのその踊りだって……。


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deacon_blue

☆ こないだTVに久しぶりに出ていたようですね<高田みずえ。鹿児島も彼女を境に最近はいろんな「おごじょ」が活躍しています。歌詞を見て曲を思い出せるのは,ちんたらと歌を聴き流してきたものの特権かも(自爆)。。。ではでは(^o^)/~~~。
by deacon_blue (2007-05-19 06:08) 

MOMO

高田みづえがテレビに? めずらしいですね。
何を歌ったのでしょうか。やっぱり「硝子坂」ですかね。
“好球必打”でいい歌をうたっていますよね。
by MOMO (2007-05-19 13:53) 

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