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【省線電車】 [obsolete]

『……坂本のくれた万葉集歌は、二度家を焼かれた時も、万寿子はもって逃げた。だが、敗戦直後のある日、混んだ省線電車の中で、急にうしろからのしかかるように押して来る男がいたと思うと、その男は万寿子の手から万葉集歌をもぎとって発車間際の電車から飛びおりていった。風呂敷に包んでいた万葉集歌を、男は札束か何かと間違えたのだろう。』(「明石大門」田宮虎彦、昭和33年)

「省線電車」あるいは「省線」とは、現在のJRが、鉄道省(戦後は運輸省)の管轄下にあったときの普通電車の呼び方。昭和24年に管轄が日本国有鉄道公社に移り、その頃から「国電」と呼ばれはじめた。それでも、すっかり定着していた「省線」はなかなか廃れることなく、とりわけ年配者にはいつまでも使われ続けた。昭和30年代はまさに「省線」と「国電」の過渡期だった。それが、昭和62年の国鉄民営化によって、現在のJRという呼称になった。当時、JRでは呼称を募集して「E電」を採用するという経緯があったが、これはなぜか定着せず消えてしまった。
「省線」どころか「国電」まで廃語になってしまったのだから、時代のスピードの速さには驚かされる。なお、昭和30年代頃まで、現在の私鉄のように民間会社で運営する電車やバスのことを「社線」(会社線)と言ったが、こちらのほうはあまりポピュラーではなかった。

田宮虎彦の小説はどれもこれも女々しい。「明石大門」(あかしおおと)も、その例にもれない。
戦後“ありきたり”の結婚をした万寿子は、酒浸りの夫の死後、生活のために下宿させていた9歳年下の砂田と深い仲になる。ふたりは結婚の許可を得るため砂田の故郷である姫路へ向かった。途中、明石の宿に泊まり、砂田はひとりで両親を説得するため実家のある村へ行く。ひとり残った万寿子は、明石の海をみながら、
「ともしびの明石大門に入らむ日や……」
という万葉集の柿本人麿の歌を思い出す。しかしその下の句がどうしても出てこなかった。
万葉集歌は、戦前彼女がまだ15、6歳の頃淡い思いを抱いた青年・坂本からもらったものだった。その坂本は戦火の南方へ行ったまま消息を絶っていたのだった。
翌日、連絡がないので心配になって万寿子は砂田の実家のある村へ向かった。その途中、夜道で砂田と会う。彼は説得がうまくいってないことを告げる。そこで万寿子はようやく結婚という“夢”から醒める。そして「半年間、楽しかった」といい残して駅へ戻っていく。
列車の窓外に拡がる暗い海に燈台の灯りが見えたとき、
「……こぎ別れなむ家のあたり見ず」
という柿本人麿の下の句を思い出し嗚咽するのだった。
ステロタイプのメロドラマである。しかしステロタイプだからこそ安心して浸れる世界というものもある。なぜならステロタイプというのは我々の日常であり、ステロタイプのメロドラマというのは、それを凝縮抽象したとてもわかりやすい世界だからだ。


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gutsugutsu-blog

こんにちは、MOMOさん。
省線かぁ、僕らの時は国鉄でした。ホントに時代のスピードの速さを感じます。電車や駅の佇まいにしろ、今では子供の頃の印象とはまったくかけ離れたものになってます。しかしMOMOさんの書く記事はとても興味深く、なおかつ資料的価値もあり、面白いのに、他の人がもっと読まないのは不思議でならないです。昭和30年代当時の風俗の勉強にもなるし。馴合い且つ予定調和のniceボタンが押されるよりはマシかも知れませんが…。
by gutsugutsu-blog (2006-07-06 15:15) 

MOMO

過大な評価をしていただきまして恐縮です。貴殿の心やさしきniceには、申し訳なく思いつつも励みにしている次第です。飽きっぽいうえに生来の怠け者ときてますので、どこまで続けることができるかわかりません(ネタ切れになるかもしれませんしね)が、今後ともよろしくお願いします。
by MOMO (2006-07-06 22:02) 

gutsugutsu-blog

ネタ切れになるまでおつきあい致します(笑)
自分の親の世代が過した時代の空気を感じる事の出来る貴重なブログだと僕は思います。MOMOさんさえ良ければ、今後とも一読者として楽しませていただくつもりです。よろしくお願いします(礼)
by gutsugutsu-blog (2006-07-07 20:11) 

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