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Three Men Went A-Hunting [story]

♪ 星のない暗い空 燃える悪の炎
  こらえこらえて 胸にたぎる怒りを
  冷たく月が 笑ったときに
  命賭けて男の 怒りをぶちまけろ
  怒りをぶちまけろ
(「男の怒りをぶちまけろ」詞・滝田順、曲・鏑木創、歌・赤木圭一郎、昭和35年)

赤木圭一郎の主演デビューは昭和34年の「素ッ裸の年令」だが、彼の存在感をファンに知らしめた作品は昭和35年2月公開の「拳銃無頼帖・抜き射ちの竜」だろう。それから日活撮影所で事故死するまでのわずか1年間に13本の作品に主演している。
「男の怒りをぶちまけろ」は35年6月の同名映画主題歌。相手役は「抜き射ちの竜」からの浅丘ルリ子。しかし、拳銃無頼帖の3作目「不敵に笑う男」から笹森礼子になる。
トニーこと赤木圭一郎は映画もいいが、歌もいい。その歌の中で相手のことを“野郎”と呼ぶことが結構多い。この歌の2番には「欲に憑かれた野郎」があり、「不敵に笑う男」では「星の光をみつめさまよう野郎」がある。ほかにもいくつかあって極めつけはズバリ「野郎、泣くねえ!」といタイトルの歌もある。
裕次郎だったら絶対に「野郎」とは言わない。小林旭でも言わない。“野郎”が似合うのはトニーだけなのだ。にもかかわらずスクリーンの中のトニーはタフガイやマイトガイよりもはるかにエレガントだった。21歳の死はあまりにも早すぎたのだが、役者に限らず“永遠の21歳”は羨ましいという気持もある。

盆踊りの夜。炭坑節に抗うような力強い太鼓の音。櫓(やぐら)の上、捻り鉢巻に浴衣の片肌脱いで手慣れた撥(ばち)姿を見せている大男は間違いなく四郎だ。流れるような身のこなしと撥さばきで叩き出す心地よい音が、漆黒の空に貼り付いてる月に向かって飛んでいく。
僕は高校を出て半年めにこの町を飛び出した。そして8年が過ぎ、まるであの太鼓の音に引きつけられるように故郷へ帰ってきた。

僕と四郎と憲吾は幼なじみで同級生だった。小学生の頃はほんとによく遊んだ。家族といる時間より彼らと一緒に過ごす時間の方が長かったほどだった。それが、中学へ入る頃から少しずつ距離ができるようになっていった。
スポーツ万能だった憲吾は中学で野球部に入った。しかし運がなかった。1年の秋に暴力事件を起こして退部させられたのだ。野球か不良か。そんな時代だった。野球を奪われた彼は当たり前のように町の不良グループと交わるようになった。僕を避けるようになったのもその頃からだった。

3人のなかでいちばん優しい男が四郎だった。小学時代から身長は170センチ、体重80キロという巨漢で、中学に入るとさらに大きくなった。勉強が苦手、他人と争うことが苦手、おまけに極端な恥ずかしがりだった。何か失敗したり、人から笑われたりすると耳まで真赤になってしまう。小学校の頃から憲吾の舎弟分で、やや小柄な憲吾から大男の四郎が顎で使われる様子は、なんとも奇妙な光景だった。

僕から離れていった憲吾だったが四郎との付き合いは続いていた。野球部をやめさせられてから、あまり学校へ来なくなった憲吾は、授業が終わった頃に姿を現し、よく四郎を遊びに誘っていた。しかし憲吾たちのグループと行動を共にすることは、四郎にとって決して快適なことではなかったようだ。
そんな四郎が憲吾から離れることになったのは、3年の夏だった。突然、相撲部屋からスカウトされたのだ。そのことも驚いたが、それを四郎が承諾したことにさらに驚かされた。身体は大きくても運動神経は決して良いほうではなく、あの優しい心根はとても厳しい格闘技の世界でやっていけるとは思えなかったからだ。おそらく四郎は不良グループから離れたかったのではないだろうか。
四郎が憲吾の顔を見ずにいられたのは1年半ほどだった。大方の予想どおり、厳しい稽古に耐えられずとうとうケツを割ってしまったのだった。

四郎が戻ってきたとき、僕は隣町の工業高校へ通っていた。身体がさらに大きくなった彼は、家業のプレス工場で働いていた。朝、僕が通学するとき、開け放たれた工場の中から「お早う」と四郎が人懐っこい顔をのぞかせたものだった。
中学を卒業して不良グループのリーダー格になった憲吾は、町の暴力団の使いっ走りのようなことをして、いっぱしの組員を気取っていた。
四郎が戻ってきてからしばらくして、嫌な噂を聞いた。四郎が憲吾からひどく殴られたというのだ。理由は憲吾の誘いを断ったからということだった。小学校の頃から、憲吾はどんなに四郎に罵詈雑言を浴びせても暴力を振るうことはなかった。また、四郎も憲吾に誘われれば断ることはなかった。誰だって歳をとれば少しずつ変わっていくのだ。

四郎の顔に笑顔が戻ったのは、僕が高校3年の夏だった。町内会の世話役が彼の体格に目をつけ、盆踊りの太鼓を叩いてみないかと誘ったのだ。本番の1週間前から四郎の太鼓の練習が始まった。毎晩夜遅くまで公民館から太鼓の音が町中に響き渡っていた。四郎の没頭ぶりは教える世話役が辟易するほどだったとか。

そして本番の盆踊り。四郎は言ってみれば“控え”のひとりで、主役の叩き手が休憩するときだけ代わりに叩くのだ。それでも三晩続いた踊りの祭典で何度か四郎が撥を握る姿が見られた。大きな図体の割りにぎこちない身のこなしは、踊り手や見物人の失笑を買っていた。それでも、顔ばかりではなく身体中真赤にしながら四郎は太鼓を叩きまくった。

その翌年の夏。四郎は相変わらず“控え”だったが、櫓に登る機会は前の年よりはるかに増えていた。その撥さばきもベテランの主役にははるか及ばなかったが、なかなか様になってきていた。その四郎の勇姿を見た翌日、僕はこの町を出て行ったのだった。

たった8年というけれど、町は大きく変わった。いちばん大きな変化は以前から計画されていた地下鉄が開通したことだろう。そのことで駅前にショッピングセンターや大型スーパーができ景観も一変した。しかし、僕が驚いたのはそうした町から街への変化ではない。

憲吾は僕が町を出てすぐ、中学時代の同級生の芝崎恵美と結婚した。恵美は当時、学年でも1、2を争う美少女で、崩れたところなど微塵もない優等生だった。それが大学を中退し、どうして憲吾とつき合い、そして一緒になったのか。その経緯は知らない。
しかし、憲吾と恵美の暮らしは3年もたなかった。その間、憲吾は彼女に暴力を振るい、いじめまくった。
それは、憲吾たちの溜まり場のパブでの出来事だった。仲間のいる前で恵美は憲吾からひどい暴行を受けた。見かねてそれを止めたのが四郎だった。舎弟に仲裁されて憲吾はさらに激昂した。恵美に代わって四郎を殴り始めた。しかし、4、5発殴られると四郎が1発返した。仲間たちにとって四郎が憲吾に反抗する姿は思いもよらない不思議な光景だった。四郎のパンチの数が段々増えていった。それと反比例するように憲吾の手数が減りやがて無抵抗になっていった。それでも四郎の打撃は止まなかった。まるで、太鼓を叩くようにリズミカルに拳を振るった。当時、その場にいた人間の話では、みんなで四郎に飛びかからなければ、憲吾は殴殺されていただろうというほど凄惨な状態だったとか。

憲吾は顔面、肋骨、腕を骨折して3カ月あまり入院した。店の通報で逮捕された四郎だったが憲吾が告訴しないといい張ったため、数日の留置で釈放となった。退院した憲吾はしばらくして町を出た。知り合いを頼って東京へ行ったとか。風のたよりでは、いまでは向こうで本格的な極道になったらしい。

昨日、四郎の家の前を通ったとき、あの規則正しいプレス機の音が聞こえてきた。彼の家では、一昨年父親が亡くなり、現在、母親と2人でプレス工場を営んでいる。母子2人の生活はなんとも寂しい光景だが、今年の秋、あの四郎がお嫁さんをもらうそうだ。僕を差し置いて。相手は芝崎恵美。うまくやったな。

四郎の幸せは、あの撥を振るう姿をみれば分かる。優しい目元が紅潮している。僕は、彼が“控え”の叩き手と交代して櫓を降りてきたら声をかけようと思っている。もちろん「おめでとう」と言うつもりである。


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gutsugutsu-blog

こんにちはMOMOさん。谷やんの話に次ぐ、イイ話ですね。「拳銃無頼帖」シリーズ好きでした。おふくろがトニーのブロマイドをいまだにもってて笑った記憶があります。笹森礼子も「お嬢さんの散歩道」やったかな?60分ぐらいの映画でしたが好きでした。宍戸錠はいい映画いっぱいありますが都筑道夫原作「紙の罠」を「狂った果実」の中平康監督が撮った「危いことなら銭になる」とか好きだったなぁ。この頃、映画と歌ってのはリンクしてて、面白かったですね。流行歌から映画が作れられるという時代でもありましたね。しかしこの頃の映画はちゃんとスターがいて良かった…、安心して90分楽しませてくれるし、見せ場はちゃんとあるし、スターが当然かっこいいし、それに比べて最近の日本映画は理屈だけいっちょまえで、当たり前のことを当たり前にやるってことができないのか、って思います。石井輝男亡き後は杉Jさんの男の墓場プロダクションに頑張ってもらいたいです。またまた長くてすいません。反省!
by gutsugutsu-blog (2006-07-05 00:54) 

MOMO

そっくりモグラさん、いつもいつも読んでいただいてありがとうございます。
そうですか、お母さまが赤木圭一郎のファンなのですか。演技のぎこちなさ、セリフの下手くそさを割り引いても、わたしが見た(たいしたことありませんが)日本の俳優の中ではダントツにカッコイイ俳優でした。ああいう俳優は今いませんね。
笹森礼子も可愛い女優でしたね。恥ずかしい話、はじめ浅丘ルリ子と笹森礼子と芦川いづみの区別がつかなかった。そのうちなんとか芦川いづみは区別できましたが、あとの二人を区別できるようになるのにしばらくかかりました。白木万里はすぐわかったのですが。
しかし、ずいぶんマイナーな映画も観ていますね。とてもかないません。
by MOMO (2006-07-05 22:48) 

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