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【瀬戸火鉢】 [obsolete]

『差しむかいになって、ゆき子が坐った。ゆき子は風呂上がりとみえて、血色のいい手をしていた。大きな瀬戸火鉢には、鉄瓶が湯気を噴いている。障子ぎわに三面鏡が置いてあり、その横の小さい棚には潮汲みの人形が硝子箱におさまっていた。』
(「浮き雲」林芙美子、昭和26年)

瀬戸物製の火鉢。中には藁などを焼いた灰を入れておき、その都度火のついた炭を入れて使う暖房具。昭和30年代以前には各家庭にあったものだ。暖房具といっても部屋中が暖まるわけではなく、家族が火鉢の周りを囲み、手をかざして暖をとることになる。それはそれで今にはない超接近のコミュニケーションがあった。裕福な家庭には個人用あるいは来客用の小さな火鉢もあった。小火鉢あるいは手焙りなどと呼んでいた。
炭の上には五徳という鉄製で脚のついた輪を置き、その上に薬缶を乗せて湯を沸かしたり、金網で餅などを焼いたりした。火鉢に欠かせないのが、炭を動かすときに使う鉄製の火箸。つねに灰に突き刺さっていた。もうひとつ、“もんじゃ”で使うようなヘラがあったが、あれは炭を消すときに灰をかけるためのものだったのだろうか。
やがてガスストーブ、石油ストーブ、さらにはエアコンと暖房器具も変わっていった。セッティングが面倒なわりには、暖まらない暖房だったが、あの炭の燃える臭いはなつかしい。また、意味もなく火鉢で灰をかき混ぜてみたい。

林芙美子の生い立ち、青春時代は自伝である「放浪記」を読めばわかる。父親の放蕩、母との家出、身内からのいじめ、友だちの不在ととにかく暗かった。本だけが友だちだった。働きながら女学校を出て、カフェーの女給、女工、女中など様々な職をそれこそ放浪しながら、書く事への情熱を燃やし続けていたのである。19歳のときから日記をつけはじめ、それがのちの「放浪記」で、昭和5年(26歳)に出版され大ベストセラーとなった。以後流行作家として活躍し、戦後も「うず潮」「晩菊」「めし」など多くの作品を新聞、雑誌に書き続けた。
昭和24年11月から雑誌に連載したのが「浮雲」。どうしても充たされることのない男と女。それでいて離れることができない運命。彷徨の果て、女の死によってようやくその関係が終焉する。戦前から戦後にかけてのロング・ストーリー。監督・成瀬己喜男、主演・高峰秀子、森雅之で映画化された。
この「浮雲」が完結したのが26年の4月。それから三カ月後に林芙美子は心臓マヒで亡くなる。47歳だった。


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