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【物干台】 [obsolete]

『毎朝、麻理が学校へ出て行くと、私は、薄暗い階段を登り、仕事部屋に入った。机の前に坐ると、東隣の文房具屋の物干台が、見えた。その隣りは、理髪店で、その物干台には、よく、白布が干してあった。……』
(「娘と私」獅子文六、昭和31年)

洗濯物を干す場所で、主に2階の外に据え付けられていた。「物干し」あるいは「物干場」とも言った。これはいまでも設置している家がある。「物干台」や「物干し」と言っているのか否かは不明。ベランダと言ってしまっているのかも。いずれにしても昭和40年代以降、マンションの増加や建築構造の変化、あるいはプライバシーに対する過剰反応から少なくなってしまったことは事実だ。
物干台に欠かせないのが物干し竿。これもいつこ頃からかプラスチックや化学繊維製になってしまったが、以前は竹だった。したがって古くなると変色したり、割れたりする。一時、竹にビニールを貼り付けることが流行った。筒状のビニールを竹に被せ、上から熱湯をかけると縮んでピッタリと貼り付くのだ。これだと洗濯物も汚れないし、割れるのを防ぐことにもなる。グッドアイデアだったが、すぐにプラスチック製に押しやられてしまった。昨年だったか「さおだけ屋はなぜ潰れないか」(違ったっけ?)という本が話題になった。タイトルにつられて立ち読みしたら、答えは「専業ではないから」、つまり雑貨屋さんが配達の途中で、言葉は悪いが“行きがけの駄賃”でやっているからだと。早い話「さおだけ屋」なる商売はないので、当然潰れることもないというオチ。その本はマーケティングの本で、さおだけ屋は一例だったというわけ。商売は合法的な詐偽だとはいえ、あやうく購入するところだった。やっぱり立ち読みは必要だ。
あだしごとはさておき、夏の夜など星空が見えたり、夕涼みがてら花火見物ができたり、「物干台」は風情のある場所だった。

獅子文六は戦前からの作家だが、戦後、毎日新聞に連載した「てんやわんや」で多くの読者を獲得した。以後、「自由学校」「やっさもっさ」「青春怪談」「大番」などユーモアとアイロニーに富んだ小説を発表。
「娘と私」は雑誌『主婦の友』に足かけ4年にわたって連載した長編。他の作品とは異色の私小説で、娘とその義母になる妻の日常が描かれている。娘の恋人が訪ねてきたとき、キャッチボールをしながら、相手の人格を見抜こうとする父心が滑稽でリアル。
昭和36年、NHKが朝の連続テレビ小説の第一号として放映している。娘役は北林早苗他、「私」は北沢彪、妻が加藤道子。翌年には東宝で映画化。監督堀川弘通、出演は山村聡、原節子、星由里子。


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