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【アドバルーン】 [obsolete]

『……街はようやく昏れかけていた。オレンジ色に空が光り、その空からデパートのアドバルーンがゆっくり降りはじめていた。ぼくは降りてくるアドバルーンを見上げながら、これからも幾度かあの女のいる店に行くであろうぼくを感じた。……』
(「週末の二人」原田康子、昭和31年)

昭和30年代、都会の空はアドバルーンで埋め尽くされていたというのは大変な誇張だが、当時の東京を鳥瞰してみれば、おそらく100本、200本という単位ではすまないアドバールンが上がっていたはずである。
「アドバルーン」のはじまりは、大正2年とも5年とも言われているが、いずれにしろ日本独自の広告媒体だったとか。adballoonは和製英語で、当初は広告気球と呼ばれていた。美ち奴が♪ 空にゃ今日もアドバールン……(「あゝそれなのに」)と歌ったのは昭和11年。戦時中は気球爆弾などという物騒なものに取って代わられ、戦後、進駐軍の許可が出て大ぴらに空にブチ上げはじめたのが昭和30年代というわけ。引用にもあるとおり、デパートの宣伝には欠かせないものだった。「週末の二人」の舞台は北海道の都市で、当時アドバルーンが全国的に使用されていたことが分かる。宍戸錠がアドバルーンに乗って登場したのは「殺しの烙印」(鈴木清順監督、昭和42年)だったか。
最近は見かけなくなってしまったが、今でも制作会社はあり、時折、イベントや郊外パチンコ店の開店などで使われているようだ。もっともオーソドックスな丸形よりも、キャラクター仕様の気球が多いという話。

結婚3年目の若い夫婦。土曜日の夜は妻の誕生日パーティー。妻は出勤する夫にプレゼントを買うための金を渡す。しかし、その夜ケーキと料理を用意した妻のもとに夫は帰らなかった。夫はプレゼントは買ったものの同僚の誘いを断り切れず、バーで飲み明かしてしまったのだ。日曜日の朝、夜中に帰宅した夫は妻に理由も告げず外出する。昨日の店へ忘れてきたプレゼントのペンダントを取りにいったのだ。残された妻も街へ出かける。喫茶店に入り、そこの音楽に触発されて何かをノートに書きたくなるが、ペンを忘れたことに気づく。傍にいた若い男に訊ねると鉛筆を貸してくれた。妻は誘われて座席を移り、その男と向かい合う。
「三年目の浮気」という流行歌があったが、原田康子の「週末の二人」は、三年という微妙なキャリアの夫婦の、心のすれ違いやSOMETHINGを求める気持を描いた短編。大ベストセラー「挽歌」を書く少し前に書かれた作品。


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